都心ではマスクの人は3人に1人。

立川、東京、新宿、荻窪と移動した。新型コロナウイルスの影響がどのくらいあるかを観察する。特に東京都心ではマスクをかけている割合をずっと数えながら電車の座席、駅のエスカレーター、歩道で数えてみた。ざっくり、3人に1人の割合でマスクの人がいた。白いマスクがほとんどだが、黒マスクも見かけた。中国人の観光客とおぼしき女性はレストランでもマスクをしながらスマホを見ている。日本で発症者が増えてくると、この割合も増えてくるだろう。

立川:整体。東京:日銀の貨幣博物館を訪問。企業博物館めぐりの第二弾。田中啓文渋沢敬三。郡司勇夫。松方正義。後藤庄三郎。新宿:橘川さんと陰謀ミーティング。荻窪:出版社に寄る

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「名言との対話」1月20日。 フェル7ディナンド・ポルシェ「私の夢を実現してくれる車は、どこを探しても見つからなかった。だから自分でつくることにした」

フェルディナント・ポルシェ(Ferdinand Porsche, 1875年9月3日 - 1951年1月30日)は、オーストリア工学技術者自動車工学者。

ポルシェは金属細工の家業を継ぐことを期待されており、学校には通わせてもらえなかった。独学で電気を学び、自動車メーカーの仕事をしながら、優れた自動車設計を連発する。その功績に対して博士号を贈られている。そして「20世紀最高の自動車設計者」と呼ばれる最高の称号をもらまでになった人だ。

メルセデスの高性能車や、レーシングカーなどのスポーツカーを設計した。またヒトラーから国民車(ドイツ語フォルクスワーゲン)の設計を依頼され、史上最も成功した大衆車と言われるフォルクスワーゲン・ビートルを世に出すなど、自動車史上に残る傑作車を設計している。それ以外にも、ナチスの戦車、トラクター、風力発電なども手がけている。

そしてフェルディナンド・ピエヒなど子孫の活躍も目覚ましく、ポルシェ自身が自動車業界全体に与えた影響ははかり知れない。現在でも高級スポーツカーレーシングカー自動車メーカーのポルシェはフォルクスワーゲングループに存在している。正式な社名を直訳すると「F (フェルディナント) ・ポルシェ名誉工学博士株式会社」となる。名前が永遠に残ることになっている。

直近の2016年に販売され、大ヒットとなっている日産・ノートe-POWERの目玉である、車輪のハブにモーターを搭載したシリーズ方式ハイブリッドシステムを、ポルシェは第二次世界大戦時に、すでに実用化していたということも驚きだ。

外国では、ジョームス・ディーン、スティーブ・マックィーンブルース・リーカラヤンショーン・コネリーポール・ニューマン、セナ。日本では白洲次郎が筆頭だ。ダンディな白洲次郎は、神戸にいた頃にはアメリカの高級車「ペイジ・グレンブルック」、イギリス留学時には「ベントレー」や「ブガッティ」。そして晩年に選んだクルマが「ポルシェ911」だった。この名車を乗りまわし、ゴルフ場などに現れた姿はよく知られている。また高倉健三國連太郎もポルシェだった。ポルシェの人気は、このような感度の高い人たちがファンであったことからわかる。

「技術的問題を解決するためには美的観点からも納得のいくものでなければならない」「ユーザーの立場で考えた場合、多少でも不利となりうる要素は決して採用すべきではない」。美意識の高い技術者であるポルシェ自身を満足させる、使いやすい機能性と優れたデザインの高いレベルでの融合を実現した高級車は世の中になかった。世の中になかったものを世に出す発明ほど面白いものはないだろうなあ。