福祉図解塾2期の最終回。「子ども図解塾」についての図解が出そろった。来年1月7日にもう一度やることにしよう。「福祉」についての勉強になった。
以下、塾生の学びから。
- 最終回の福祉図解塾ありがとうございました。スノーで音楽作れることは知っていましたが、直ぐに実践する先生と知ってるだけの私の、近くも大きな差を感じ、実践する好奇心を持つことの大切さを感じました。図解のブラッシュアップは、前回指摘が少なかった分、図が見やすくなるよう質の向上を意識しましたが、先生から「前回のは自分が理解するための図」「今回は化粧をして人に見せるための図」と表現をしてもらい、とても腑に落ちました。今回、数多くの微調整すべき点を助言してもらえたので、一つ一つ修正してブラッシュアップしてみたいと思います。このような図解を作成するにあたり、最終消費者は誰かを再確認し、それを中心に据えて、公(国・行政)はそれを下支えする役割を意識しながら図を展開していくことの大切さを忘れないようにしないといけないとあらためて感じています。図をいじっていると何時間でも凝ってしまうのでほどほどにしないといけないのですが、作品を作る楽しさ・喜びを感じられて貴重な時間でした。次回、1月7日に再度皆さんと『図会塾』であえるのを楽しみにしています。ありがとうございました。
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本日も福祉図解塾、ありがとうございました。図解をすればするほど難しく考えがちになっている自分に気づけた。最初の会の方が色々な事を深く考えずに取り組めていたのかもしれない。これは仕事や生き方にしても同じで、仕事をすればするほど、長く生きれば生きるほど難しく考えがちなのかもしれない。「最終消費者を意識して」誰を中心に置くか。今回の図解でも、中心に据えるのは「こどもの幸せ」である。そのためには社会がどんなことが出来るのか。育てやすい世の中を作り出すには何があって、何が欠けているのか。物事が本当にわかるということ、本質は何なのか、今、何が起きているのか。時代は変容しても変わらない価値や姿勢、在り方などが図で示すことが出来るようになったら、起きている事を説明して社会を巻き込める、そんな世の中を作り出したいと感じた。
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12月18日に開催された「福祉図解塾」に参加し、久恒先生から図解プロセッサーや新刊「図解の技術大全」、アクティブシニアクラブの音楽制作についてのお話を伺いました。これらの内容は、今後ますます重要になると感じ、とても楽しく参考になりました。今回は、「こども白書」第2部第4章の「こども施策」について、前回作成した図解をブラッシュアップし、修正点を発表しました。具体的には、「国」や「こども家庭庁」を三角形の図の下に配置し、土台として「各自治体や地方公共団体」がこども施策を支えていることを表現しました。また、「こども・若者の意見反映」の枠の位置を変更し、それぞれの矢印に説明を追加しました。さらに、長文だった「こども施策の取り組み」の説明を「すべてのこどもが健やかに成長でき、幸せな生活を目指して総合的に推進する」と短くまとめ、イラストや「こども若者⭐︎いけんぷらす」の写真も追加しました。これらの改良により、図解がスッキリと見やすくなったと感じています。 「こども白書」という難しい内容を、皆さんと一緒に図解を作成することで励まされながら進めることができ、とても感謝しています。意見や感想を共有することも楽しく、次回で最終回となるのは寂しい気がしますが、学んだことを大切にし、仕事やさまざまな場面で活かしていきたいと思います。
「名言との対話」12月17日。岸田今日子「妻になっても人は変わらないけど、母親になると変わると思う」
岸田 今日子(きしだ きょうこ、1930年4月29日 - 2006年12月17日)は、日本の女優、声優、童話作家。
父は劇作家で文学座創設者の岸田國士、母は翻訳家の岸田秋子。姉は詩人で童話作家の岸田衿子、従弟に俳優の岸田森がいる。俳優の仲谷昇は元夫。衿子は詩人の谷川俊太郎の最初の妻である。
自由学園高等科を卒業。1950年に文学座の「キテイ颱風」で初舞台。1960年、三島由紀夫演出の「サロメ」で主役に抜擢される。1962年「破戒」などで毎日映画コンクール助演女優賞、1964年の主演映画「砂の女」でブルーリボン助演女優賞を受賞。1969年からアニメ「ムーミン」の主人公の声を担当し、ドラマ「大奥」のナレーションも務める。映画「八つ墓村」やドラマ「傷だらけの天使」で独特の存在感を示す。1994年に紫綬褒章を受章。1999年に紀伊国屋演劇賞個人賞。晩年は九条の会の他、「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」に参加するなど、護憲運動に関わった。
女優としての独特な存在感のある演技には私も何度も接している。どんな役でもこなすため「怪優」という人もいた。『人間の記録「岸田今日子」』を読んでみたが、父や母など家族の断片的な思い出、谷川俊太郎や三島由紀夫などの人物評、日常のエッセイが多かった。
NHKアーカイブ「あの人の会いたい」では、久しぶりに顔と声をみた。舞台ではキツネつきのように、何かがつくことがあるという。ある一言からイメージが広がっていくのだそうだ。「演じるとは飛び込むことだと考えていた時期もあったが、いまは裸になることじゃないかなと」と語っているのが印象的だった。
40年以上続いている「話の特集句会」のメンバええもあった。黒柳徹子、中山千夏、下重暁子、山本直純、中村八大、色川武大、吉行淳之介、吉行和子、小室等、山本容子、南伸坊、横尾忠則、妹尾河童、中村桂子、阿川佐和子、佐藤充彦、小田島雄志、井上ひさし、俵万智、三谷幸喜、、、、。
小沢昭一の俳号は変哲、永六輔は並木橋、吉永小百合は鬼百合、渥美清は風天、田村セツ子はパル子、黒柳徹子は桜蘭、中山千夏は線香、山本直純は笑髭、、、。眠女の岸田今日子は「妖怪のふりして並ぶ冬木立」の句がある。
「あたし、魔女の役がやりたいわ。人間は楽しくないもの」といったこの女優は俳優の中谷昇との結婚生活では何もしない妻だったようで離婚したが、子どもが生まれて母となってからは変わっていったと、中山千夏、富士真奈美との3人の「井戸端会議」で語っている。怪しげな雰囲気、不思議な存在感、独特の個性、謎めいたセリフまわしのこの女優は、母となって演技も変わっていったのだろうか。 1998年に日本エッセイスト・クラブ賞をとった、67歳の時のエッセイ『妄想の森』を読んでこの才媛の才能を確かめたくなった。