「図解塾」の図解「JAPAN」プロジェクトーーー「花火」「庭」「盆栽」がテーマ。

「図解塾」の図解「JAPAN」プロジェクトが進行中。

今回は、「花火」「庭」「盆栽」がテーマ。

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以下塾生の学び。

  • 久恒先生、皆様、ありがとうございました。今日は、「花火」の修正版と、「庭」と「盆栽」でした。「花火」は図解に矢印が増えたり自分の考えの対比があらわされていて、図解が進化しているのが分かり良かったです。「庭」は、タイトルを聞いたときは「日本庭園」についてのお話かな。と思っていたら全く違い、坪庭から、源氏物語、家庭のお話まで広がり、庭の捉え方考え方には奥深さを感じました。庭に関する単語やことわざを調べてみるのも良いかもしれません。「盆栽」については、人と自然の対話対決というお話が成程と思いました。盆栽は大会などありますが、自然との対決に勝つという感じなのでしょうか。また自由課題では「お地蔵さん」と「しつけ」について。お地蔵さんは菩薩。手を合わせれば極楽浄土。子どもの守護神など、知っていたようでわかってなかったような感じです。よいお題でした。『日本を知る105章』にないお題を題材にするのは良いですね。「しつけ」についても、体罰は外的、しつけは内的というのがなるほど。こどもはまるごと認めることが大事だなぁと改めて思いました。 講義の最初、マシンが熱くなりすぎたようで動かなくなってしまいました。壊れなくてよかったです。気温も高くなってますので、皆様体調にもお気を付けください。また次回を楽しみにしております。
  • 坪庭は、人に見せることを前提とせず作るからこそ、自己顕示てきな欧米のガーデニングとは対極にあるように感じた。日本人には、自己表現であり内面を覗かれる感覚と、謙譲などの美徳から、恥ずかしい気持ちとの表現になるのかと思う。坪庭から、源氏物語の桐壺、藤壺、梅壺などの登場人物に話しが発展するとは想像しませんでしたが、家庭、女性、生命、死へと短い文章で話しがどんどん展開していくのに、図解はとても参考になりました。盆栽は話しを聞いていたのですが、移動中のため図解が見られず残念でした。ただ、皆さんが盆栽にネガティブな印象をもっていることになるほどという想いと少し驚きました。盆栽についての感想ですが、海外の人が興味をもつ禅や盆栽などは、外向きではない自己の精神性と向き合う内向きのエネルギーの象徴のように感じています。伸びようとするモノを成長させず、木の生命力を本来の姿の何十分にも小さく凝縮するからこそ、樹齢1000年を越えるような小さい盆栽が作られ引き継がれていくのだろうと感じています。 自由テーマの地蔵は、地蔵菩薩閻魔大王→こどもの守り、との発展に過去に断片的に耳に入っていた知識が繫がって呼び起こされたように感じてとても良い気持ちになりました。道祖神も興味深いテーマだなと思い楽しみにしています。躾と体罰についてはわかりやすいキーワードであったが、業界的にわかりやすくても一般にはしっくりこないことばなのかもしれないと感じた。図解はわかりやすく対比や強調、繋がりを示すことでよりわかりやすくもなるし、わかりにくくなるとも感じた。締めにようやく顔を出せましたが、知識は時にモノを言えなくする。無知が大胆さを生む。との先生の言葉に、無知な私は勇気づけられると共に、「無知で臆病」になっては意味がないので気をつけたい。図解は本に書いてあること以上に表現できる可能性を聴き、文章の限界と図解の余白の可能性を感じました。
  • 本日もありがとうございました。いつもながら、本題に入る前の近況も情報や気づきが満載でした。「ラジオ深夜便」の「明日への言葉」は興味深いお話で、自分も聴いてみようと思いました。紅茶を自分でつくられた話、京都の神社仏閣が人物記念館そのものだということ、町内会での廃校の活用など、楽しくためになるお話ばかりでした。NHKカルチャーラジオの保阪正康氏が語る梅棹忠夫についても、クラウドノートをうまく使いこなす実践報告をお聞きすることができました。また、名言との対話が3100回を迎えたとのこと、毎日何か書こうとすることが大切だと励まされました。今日の日本を知る105章は「花火」の修正版と、「庭」。そして私が担当した「盆栽」でした。「花火」は前回のリニューアル版ですが、矢印の数もふえ、何より「もののあはれ」をキーワードとして前回と比べてはるかに深掘りし、熱心に語っておられたのが印象的でした。「図解をやっているとプレゼンがうまくなる」というコメントがありましたが確かにその通りだと思いました。 「庭」は西洋の庭や美しい庭園を取り上げているのではなく、京の町家の奥まった所にある壺庭(坪庭)が中心でした。外からは見えない恥じらいがあるが人の命を育んできた壺、という独自の見方を教えられました。「盆栽」からは日本のさまざまな文化が参加型であるということに気づかされたし、自由に伸びようとする樹木の自然と剪定によって人間の理想とする姿に整えようとすることの闘いであるという発想には驚かされました。
    最後の福祉図解塾の予告の中で、「本をたくさん読むと物が言えなくなる」「要約は本の内容に対して100%以上のことができないが図解は書いてあること以上のことを語れる。」「知らない方が強い。大胆に」というコメントが非常に印象に残りました。
  • 久恒先生、みなさま、本日は図解塾ありがとうございました。『日本を知る105章』の図解の続きで、今日は「庭」と「盆栽」を読みました。「庭」には庭園のような大きなものもあれば、坪庭のようにこじんまりしたものまであって、それぞれに奥深い意味や思いがあり、面白く読みました。特に「坪庭」(壺庭)には気恥ずかしさ、照れ等と言った日本独特の思いのほか、後宮に囲まれ住む女性(桐壺、藤壺、梅壺など)への連想や人の命を育んできた「女の壺」といった意味合いもあると言うところは、これまで見聞きしたことのない視点でした。また、「家」に「庭」と書いて「家庭」ですが、暖かいぬくもりを感じさせる「家庭」という言葉に「庭」が使われているところに、日本人の「庭」への思いが凝縮されているように感じました。 続いての「盆栽」。「盆栽」というと小さく育てた鉢の中の木や枝を優雅に眺めている情景が浮かびますが、実は、枝を切る剪定を通して人と自然が対決している(一本の枝を伐るか伐らぬか重大な決断をする)という一面もあるというところが面白いと思いました。ただ鑑賞するのではなく、真剣に向き合おうとする精神性を感じます。自由課題は「お地蔵さん」。お地蔵さんには何かほっとするものを感じますが、「お地蔵さんて何?」と問われると答えられません。お地蔵さんは、貪りの心、怒りの心、無智の心の三つの悪い心を人の代わりに受け負う菩薩なのだそうで、ありがたいことです。
    次回の図解塾も楽しみです。
  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、図解塾。継続中の「Japan」プロジェクトについて規定課題3件、自由課題2件、塾生の成果について論議する事が出来ました。⑤『花火』(アップデート版):a) 夜空の星にはならない=消える運命→『儚さ・あわれ』という日本人らしい美意識に対する、b)「退屈」とか「酔って見すごす」などという『機会浪費』型の作文者の主張に加え、c) 「四季の移ろい」とか「一期一会の生き様」という「作図者」の意見が対比の構造に織り込まれ、表現の視野が広がった事、導入部分の俳句に加えて「三尺玉」「スターマイン」等の写真が織り込まれ、より一層リアルに情景が表現されており、『一旦寝かせ仕立て直す』効果が感じられ、加えて「演者の自信」という点においても納得度が一層高まり、数段上の仕上がりの良さ」を実感する事が出来ました。⑫ 『庭』:先ず想像したのは、「木の枝や芝生がきちんと刈り揃えられた庭園」といった『見た目の美しさ』を訴える情景だったが、それに対し「家庭」「校庭」「庭訓(ていきん)」という『内面の充足とか成長』に重きを置いた発想や「壺庭」「箱庭」といった事例を用いた「気恥ずかしさ、照れ」とか「とっておきの一点豪華」といった日本人らしい『与えられた持ち場をきちんと造り込む』という価値観を中心に論じられている事がよく伝っただけでなく、ご自宅の庭木を例に「家人の成長~終焉」を見届ける『命を育むもの』という在り方へ昇華するリアリティ溢れるプレゼンで心に響きました。また久恒先生からは「大河内山荘」を例に「スゴイ庭、一生をかけて作り上げる、その為に稼ぎに精を出す、それだけ価値のあるモノ」という、『贅の極み』という一面も紹介頂き、変わらぬ価値と時の移ろいに変わる価値(不易と流行)双方を思わせる世界観を感ずる事が出来ました。⑭ 『盆栽』:「剪定」という作業をまくらに、「形を造り込む」「作り手として自然に参加する」という著述と共に、「無理くり押し込めて捻じ曲げる」といった、いささか作りて本位な強引なイメージも論議されましたが、森林限界の高山に根を張る樹木を見ると、やはり「厳しい環境にあっても与えられた居場所で懸命にもがきながら成長・変化を遂げる自然の生き様」に見る者が感動を覚えるという、むしろ論調途上にあった『人と自然の対話・対決』というコトバにこのテーマの存在意義があるのではないかと思い至り、様々な角度で考えさせられる感慨深いテーマであったと感じました。本日は庭園、盆栽と日本人になじみ深い「植物との付き合い方」という観点において、外国の「garden」とは一味違う日本ならではの特徴を確認する事が出来大変有意義でした。自由形その① 『お地蔵さん』:身近な場所でたたずむ親しみから「さん」付けのタイトルでありながら、「菩薩様の代理」であり、極楽浄土へ万民を誘い子供の守護神を担う。あちこちの辻でふつうにみられるこれらを建立したのは、名のある僧侶ではなく地域住民の団結・寄進の賜物であり古くから宗教が根付き、一般市民の生活に神様を敬う高い精神文化があった事を考えさせられました、「Japanエキゾチックな」テーマでした。自由形その② 『しつけ』:「しつけ」そもそもの語源が「仮縫い・ガイド」であるという導入は非常にキャッチ‐で、実態である「体罰」との対比が明確に表現されたテーマで興味深かったです。一方カタカナ表現(表現があいまい化する)や、『躾』の対極的立場となる一字を創ってみる、といった正に図解ならではの著作の要約にとどまらない「一歩進んだ」表現について、久恒先生のアドバイスを伺う事が出来、なお一層高い「図解」のポテンシャルを感じる事が出来ました。この点は本日プレゼン頂いたすべてのケースに当てはまり、鋭意別テーマを仕込み中である当方も一層力が入った次第です。有難うございました。
  • 6月の図解塾に参加しました。久恒先生、皆さんありがとうございました。今回のテーマは「日本の文化を知る」で、「花火」「庭」「盆栽」「お地蔵さん」「子供のしつけ」について学びました。私は「花火」と「庭」を図解で説明しました。「花火」について皆さんからいただいたアドバイスを参考に再度作り直し、図解しました。花火のはかなさは日本の美意識に深く根ざしており、本居宣長の「もののあわれ」を知る心から来ていることを学びました。花火大会の始まりは疫病退散や慰霊を目的とした隅田川の花火大会からで、江戸時代の和火は質素な色合いでしたが、明治の文明開化以降、外国からの影響で色鮮やかな洋火が増えました。これを通して、花火が儚さから楽しい花火へと移り変わっていく歴史の流れを知ることができました。 「庭」について以前は「お庭」という軽いイメージを持っていましたが、図解を通じて庭の深い意味を学ぶことができました。日本の庭の歴史や、京都の町屋から発祥した壺庭について知ることで、庭に対する見方が変わりました。庭はその家の歴史を静かに見守っており、庭についてより厳かな印象を持つようになりました。「盆栽」についても印象深かったです。特に「盆栽は自然との対話」という言葉が心に残りました。以前、盆栽展で見た自由奔放に垂れ下がる盆栽に驚いたことがありますが、今回の図解でさらに理解が深まりました。盆栽の奥深さを改めて感じました。また「お地蔵さん」についても図解で学びました。最近はあまり見かけないお地蔵さんですが、その意味や仏教との関係、お地蔵さんが菩薩であり、閻魔大王にもなるという話などを詳しく学び、改めて興味を持つことができました。「子供のしつけと体罰」についても図解で学びました。しつけは子供の心を整える一方、体罰は心に傷をつけるという違いがよくわかりました。図解によって、難しい内容もわかりやすく伝えることができることを実感しました。今回も多くの興味深い内容を皆さんと共有し、とても楽しい時間を過ごしました。次回の図解塾も楽しみにしています。ありがとうございました。
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「名言との対話」の7月分の人選が終了。今年は「令和」に亡くなった方をメインに人選している。なんとか、半年続けられた。

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「名言との対話」6月25日。望月照彦「宇宙を構想し、身の丈で生きる」

望月 照彦(もちづき てるひこ、1943年8月15日 - 2023年6月26日)は、都市計画家。享年79。

静岡市清水区)出身。日本大学理工学部建築科卒業。日本大学助手や非常勤講師を経て、1989年から多摩大学に奉職。教授、多摩大学総合研究所所長。

研究と人材育成の傍ら都市・地域マネジメント、中心市街地活性化計画等の支援とその実践、産業開発・振興、観光計画・推進やプロデュースを多く手掛ける。鎌倉極楽寺に、人類の未来を俯瞰する「構想博物館」を創設し運営。人間と社会を見据える旅を重ねた。著書は『旅と構想』など多数。

2024年1月20日目白台和敬塾本館(旧細川侯爵邸)で開催中の「望月照彦回顧展ーー構想博物館2024 愛に生きよ 自在に生きよ」を訪問した。

旧細川侯爵邸という和風の大邸宅での回顧展の開催場所といい、たくさんあるそれぞれの部屋の凝った展示といい、望月照彦という天才の生涯と思想が結実した、そして心のこもった、実によく工夫された回顧展だった。

先日も望月先生の親友でもあった谷口正和回顧展にも感銘を受けた。死後すぐの葬儀よりも、少し時間を置いた、相応の規模の回顧展を企画することの方がずっといいと改めて思った。

望月先生は「構想博物館館長」という肩書を持っていた。この博物館は鎌倉の自宅のことだ。「宇宙を構想し、身の丈で生きる」。構想とは「物事を考え、発想し、組み立て、実践し、そのことが人類社会に役だつこと」と定義し、「構想の質(哲学)が、社会やコミュニティの質をきめる」とし、この博物館で「構想を研究・収集し、それらをデータベース化し、情報をオープン化することで、多くのこれから新たに構想を打ち立てようとする人々の活動に寄与」しようとし、「構想を生み出し提案する」役割を果たそうとしていた。

元々は建築家であったのだが、40代半ばから多摩大学経営情報学部教授になり、研究者、教育者、エッセイスト、童話作家、建築家、都市プロデューサーと名乗るように、実に多彩な活動をされた方だ。

私は30歳で入った「知的生産の技術」研究会のスタッフとして、講師としてお呼びするなど何度も謦咳に接したし、横浜でのある講演会ではまだ30代のころに前座をつとめたこともある。仙台の宮城大時代には、東北電力傘下の研究所のコミュニティビジネスの研究会で望月委員長のもとで副委員長を拝命したこともある。また多摩大では同僚ともなり、「現代の志塾」という教育理念の制定から始まる立て直しの構想を立てたときにヒントをもらった。改めて振り返ると、随分と長い間、お世話になったと思う。

以下、望月先生とのご縁の一部。

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多摩大創立以来のメンバーである望月照彦教授が今年度末で退任される。
25年に亘り多摩大を引っ張ってきた先生のゼミ生たちが、このたび記念誌「脳力知熱発伝所・望月ゼミ--500人の遺伝志情報大全」を発刊した。226ページに及ぶまさに大全である。

この中に望月先生の教育者としての25年が凝縮されていると感動を覚える。20年史の時もそうだったが、区切りごとに総括を続けていくという姿勢には共感と尊敬の念を強くする。
この冊子は多摩大の歴史の一つの凝縮でもある。25年史の正史は編まねばならないだろうが、こういった歴史書の存在が正史に彩りとリアリティをを与えていく。組織のそれぞれの構成員がそれぞれの人生を賭けた歴史を編まねばならない。
以下、多摩大望月ゼミの25周年記念誌へ寄稿したメッセージ。

「現代の志塾」のモデル・望月ゼミには、多摩大OBのリード役を期待します。          経営情報学部長 久恒 啓一
多摩大学は創立20周年を機に、建学の精神の再興を目指して、あらためて教育理念の制定に着手し、「現代の志塾」と定めました。
「志」とは、社会の不条理の解決のために自らの職業や仕事を通じて貢献をすること、「塾」とはゼミ中心の人間的な触れ合いを通じた人格教育、「現代」は寺島実郎学長のいうアジア・ユーラシアダイナミズムを念頭に置いています。
そして経営情報学部は、「産業社会の問題解決の最前線に立つ志人材」の育成を教育目標とし、高校生対象の「私の志」小論文コンテスト、志入試、産業社会論・問題解決学・最前線事例の3つの科目群で成り立つカリキュラム、グローバルビジネス・ビジネスICT・地域ビジネスという出口を意識した3つの履修モデル、多摩を中心とする志企業への就職、といった体系的・総合的な改革を教職員一体となって一歩一歩押し進めつつあるところです。
「現代の志塾」という教育理念については、過去の多摩大の全資料を読み込んだ上で、北矢行男先生の提唱された「現代の私塾」というキーワードを土台に、望月照彦先生から「志塾」に、という貴重なアドバイスをいただき決まったものです。本学創立以来のメンバーである望月先生を始めとする輝かしい多摩大の伝統の上に立って、新しい時代を展望できる教育理念が出来上がったと考えています。
30代初めの頃から、所属する「知的生産の技術」研究会で望月先生の謦咳に接してきた私にとって、野田一夫先生の創った多摩大で、寺島現学長のもと望月先生の仕上げの5年間をご一緒できたこと、そして先生ら先達の志の松明(たいまつ)を高く掲げる責務を負っていることに不思議な縁と使命を感じております。
多摩大に望月ゼミあり、と称されるこのゼミは、「高い志、事業創造力、先進の社会デザイン」をモットーに、創立以来四半世紀にわたって本学の教育をリードしてきた名物ゼミであり、この間500名に及ぶ人物群(本学最高記録でしょう)を世に送り出しているわが大学の貴重な財産です。

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2009年に鎌倉の望月照彦先生の構想博物館(極楽塾)を訪問する。NPO法人知的生産の技術研究会の出版プロジェクトの取材で、知研のメンバー数人と一緒。鎌倉駅からタクシーで向かったが、それは素晴らしいお宅で、改めて望月先生が建築家だったことを確認した。少人数でディスカッションできる書棚のある書斎、それに続く六角堂を模した知の現場。六角形なので、机の向きが3面とれる。それぞれ、アナログ、デジタル、クラフトをする机となっている。その窓からは美しい緑がみえる。

音楽ホールにもなっているリビング、2階には映像スクリーン付きの寝室や、茶室、小さなミーティングができる部屋もあり、その部屋からは屋上に出れて、富士山や江ノ島などがみえるという。あちこちに何気なく置いてある家具などもいわれがあり、実に趣味がいいという印象を受ける。絵は藤田嗣治

「構想博物館はどこにあるんですか」という質問に、「頭の中にあります」という答えから始まったインタビュー終了後に、手入れの行き届いたガーデンで美しい奥様が用意してくださったでシャンパンをいただきながら楽しく歓談したが、土地が斜面にあるために大木もすぐ間近に感じることができた。その枝にはリスが巣をつくっていた。

30歳を少し超えた頃、参加していた「知的生産の技術」研究会で若き望月先生の講演を聴いたり、仕事場に押しかけたり、横浜での研修会で前座をつとめたりしたことを思い出す。優れたコンセプトメーカーであり、その発想に驚くことが多かった。宮城大時代には、東北活性化センターがつくったコミュニティビジネス研究会で委員長の望月先生と一緒に新しい分野の勉強をしたこともある。多摩大に移った後は、先生のつくった「現代の志塾」という言葉を、改めて多摩大の志にするということにしたのだが、その過程でいろいろアドバイスをいただいた。

  • 時代に直面していることに関心がある。
  • 知の怪人二十面相
  • 奥尻島(身の丈島)、世田谷(サザエさん研究)
  • 恩師。小林ぶんじ(住宅と一国の歴史)、中村秀一郎(ベンチャーのフィールドワーク)、草柳大蔵(もの書き修行)、木村尚三郎(風景がメモ帳)
  • 人。島津斉彬。大原幽学。はたの鶴吉。
  • 世直し。
  • アナロジー思考法。アナロジー型トレーニング。コンセントレーション。
  • 人間は考える足である。ミョウバン。内なるグーグル。DNAに聴く。観光リスクマネジメント。情報は集めずばらまく。頭書館。テンポロジー(店舗学)。フィールドアルク。コンパートメント社会。ライフウェアマネジメント。知的生産とはよりよく生きること。情報のフック。文化のダム。宇宙を構想し身の丈で生きる。

30代初めの頃に、今回の企画と同じように知的生産者の書斎を訪ねるプロジェクトを実施し、「私の書斎活用術」という本にまとめて講談社から出したことがある。そのプロジェクトで16人の著名な方々の自宅を訪問したのだが、それは今まででもっとも楽しいプロジェクトだった。そのとき紀田順一郎先生の百合ヶ丘の自宅を訪ねたとき、これこそ理想の書斎だ、と感銘を受けたが、この望月邸にもそのような感じを持った。

帰りにいただいた、せたがや自治政策研究所「都市社会研究」の「地域から世直しを考える(世田谷型地域経営論)−−サザエさんスタイル、身の丈コミュニティ・マネジメントのすすめ」と「多摩ニュータウン研究」の「地域と大学のアライアンスの可能性を探る」という二つの論文を読んだが、大いに触発された。

月照彦には独特の名言が数多くある。「知の怪人二十面相」「人間は考える足である」など、ユニークなものも多い。「知的生産とはよりよく生きること」など励まされるものもある。ここでは、「宇宙を構想し、身の丈で生きる」を採ることにした。鎌倉極楽寺の自宅兼構想博物館で、聴いた言葉である。心の中に大宇宙を持ちながら、日々を過ごした日常を思わせる名言である。