『川柳まつど』466号が届く。2023年3月号から投稿を始めたから、2024年6月号までいつの間にか16カ月になった。
久恒吐鳳で毎月投稿している。基本は4つの宿題それぞれ3句を提出。今月は3句が採られた。
たまたまとひょんなことから今がある
指なぞるスマホは位牌母の顔
友がいるタテ・ヨコ・ナナメ ウチとソト
以下、2024年の5月までに採られた作品
- 461号(1月):大のつく良識人になれるかな 過ぎたるは及ばざるごと金と地位
- 462号:三高も美女も美男もみんな元 バカ阿呆無恥ウソつきの勢ぞろい
- 人生は人・旅・本の縁めぐり たまたまとたまたまの縁大都会 (がんばろうウエストサイズ物語)
- 463号:価値観が違うからこそ価値がある 今さらと言うな君たち今からだ 居ないのにまだ安倍派とは情けない 悪党とダメな野党の猿芝居 (毎日を自動詞だけで暮らしたい)
- 464号:不提出(三角が四角になって丸になり まん丸の孫の笑顔がたまらんな メキメキと骨音高く部下伸びる 好き者が道楽過ぎて極道に どっちかなマニアとオタク俺の趣味 マニアック誉め言葉とは受け取れぬ 信念を右や左に曲げたヤツ やせ我慢誇りは曲げず最後まで 生き方を少し曲げると生きやすい)
- 465号:続けてるヤツはホントは偉い人 同等と思った時は敵が上 部下のせい出処進退死語になり 俺お前ビリケツ争いしたっけな(地)
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2週間ぶりのヨガで1時間汗をかく。7000歩。
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2024年の「名言との対話」は「令和」に亡くなった方を中心に書いている。7月の「名言との対話」の人選の候補選びと本の注文を行った。
佐伯旭。李錦玉。桂歌丸。岩田孝八。山本コータロー。南部陽一郎。安西愛子。流政之。竹村健一。川渕登。藤井裕久。岡井隆。外山雄三。大橋巨泉。木滑良久。辻久子。堀場雅夫。青木雨彦。宮脇昭。中島弘明。日野原重明。佐藤陽子。又吉イエス。無着成恭。李鵬。益川俊栄。森村誠。島田陽子。石浜朗。若生正慶。江田五月。松原泰道。外山滋比古。サトウサンペイ。
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「名言との対話」6月30日。大島康徳「振りきった、生ききった」
大島 康徳(おおしま やすのり、1950年〈昭和25年〉10月16日 - 2021年〈令和3年〉6月30日)は、日本のプロ野球選手、監督、解説者。享年70。
大分県中津市出身。中津工業に入学後に野球を始める。卒業後に1969年投手としてドラフト3位で中日に入団するが水原監督が打者としての素質をみて、野手にする。1976年に1シーズン代打7本塁打の日本記録をつくる。1983年には36本で本塁打王。1990年、日本ハムに移籍。プロ在籍26年、44歳の現役最高年齢を記録し、1994年に引退。通算2204安打、2割7分2厘、382本塁打、1234打点。2000年日本ハム監督。2006年ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)打撃コーチ。評論家としても活躍。
現役生活26年は、山本昌32年、工藤公康・中嶋聡、野村克也・谷繁元信に次ぐ記録である。
通算の代打ホームランは20本で歴代2位であるが、これは好不調の波が激しかったからの記録である。「配球を読んでヤマを張る」、そして「ファーストストライクを狙う」というスタイルで、ホームランを量産した。
2006年の第1回WBCの優勝時には、打撃コーチとして金メダルを首にかけられて号泣した。オリンピックに出場するのが夢だったと語っている。
評論家としても、テレビで明るいキャラクターで、活躍した。その姿はわたしもよく見ている。
大島はブロガーだった。「この道」というタイトルのブログを書いていた。2006年に大腸がんのステージ4であることを公表した。その4年半後まで生き抜いている。「病気に負けたんじゃない。俺の寿命を生ききいたということだ」と没後に更新されたブロで語っている。このブログは、妻の奈保美さんが、時折書いている。最新は6月5日だった。
こういうエピソードは、『振りきった、生ききった』というタイトルの著書で読むことができる。この本は「一発長打の大島くん」の遺書でもあった。
運命にさからわず、失敗を悔やまず、忘れ、切り替えて前に進む。すべてを受け入れ、慌てず騒がず、先を見て歩いていく。著書のタイトルのとおり、思い切りバットを振り切った現役時代と同様に、引退後も本人がいうようにやりたいことをやった、生ききった幸せな生涯であった。