6月2日の「知研東北」設立総会及び記念講演の記録。

2018年6月2日に行わた「知研東北」設立総会及び記念講演の議事録が事務局の本山さんから送られてきた。以下。

・ 15時~16時 第1部:「知研東北」設立総会19名参加。仙台の中小機構東北6階。

・16時~18時 第2部:記念講演 NPO法人 知的生産の技術研究会理事長 久恒啓一氏。「人生100年時代を迎え撃つ---アタマとココロの革命を」 19名参加。

・8時~20時 懇親会 19名参加

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第1部:「知研東北」設立総会

NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 高橋茂人氏

NPO法人 知的生産の技術研究会の設立の経緯、38歳で入会してから今まで多くの刺激を受けてきた。今度は、それを次の世代に伝えたい。2020年にNPO法人 知的生産の技術研究会は、設立50周年を迎える。再興・再生が必要。その一環として今日、「知研東北」を立ち上げる。7月には「知研宮島」。来年は「知研北海道」が立ち上がる。地域を越えて知の交流を行う」

全員で名刺交換。人数が多い場合、このやり方はいい。これだと、誰と名刺交換したのかわからないということがない。

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NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 「知研岡山」会長 伊藤松郎氏

「初めは異業種交流会を行っていた。でも、それには限界があると感じ、20年前に久保田貢さんと話し、本部との交流をスタート。なんといっても、よき仲間に尽きる。仕事もこのような活動も、楽しくなければいけない。様々な得意分野を持つ人に幹事になってもらっている。会を継続させるために、飽きさせない工夫をしている。講演会だけではなく、様々なイベントを企画して。知研東北とのコラボができたらいい。健康寿命をのばすためには、人とのつながり、交流が大切。知研が発展すればするほど、国に貢献する」

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NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 高橋茂人氏

「知研岡山のやり方をヒントに。今日参加したメンバーはみな幹事。体制は以下の通り。会長は福島の大槻一博さん。会長の補佐として若い二人、青森の柳谷彰成(あきしげ)」さんと山形の菅原脩太さん。各県の幹事は、宮城県が片瀬弥生さん、早坂道信さん。福島県高橋美帆さんと佐藤義道さん。秋田県が黒田文男さんと萩原俊輔さん。岩手県が山田裕幸さん。山形県が菅原脩太さん。青森県が青森の柳谷彰成(あきしげ)さん。事務局が本山賢治さん」(今日参加されていなかった青森の三上博久さんも事務局です)

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日本経済新聞社の中沢編集員委員。

「25年前、久恒先生と高橋さんに会い、梅棹先生のことを知った。それ以前は、体力勝負の記者生活だった。梅棹先生の全集を読んだ。そして、民博の館長をしていたもとに梅棹先生のところにしょっちゅう行った。梅棹先生の言葉、『知はオリジナリティ』、『リアル』。梅棹先生は天才で一人でできるが、自分たち天才でない人間は共同でやるしかない。全国的に本の購読数は減っているが、東北は例外。特に、岩手県の購読数は日本一(率だと思う)。梅棹先生は、『知的生産の技術』を書いた前後に、『普通の人が発信する時代になる』と予言していた。そして、ブログやインターネットが普及し、自由にやれる時代になった。便利なツールがある時代だからこそ、生で会い、刺激を受けあうことが重要。直に触れ合い、知的生産をすることが大事。やっぱり人間関係。今後、地研の活動をまとめ、記事にする予定」

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16時~18時 第2部:記念講演 NPO法人 知的生産の技術研究会理事長 久恒啓一

「人生100年時代を迎え撃つ---アタマとココロの革命を」

「鳥の目で考える人、鳥瞰できる人が重要。大学時代、探検部に所属していて、梅棹先生の本に出会った。その後、日本航空に勤務していた1980年に知研に出会った。その後、約10年刻みでキャリアが変わっていった」

「今後は、超高齢化時代になる。長生きはリスクというのは間違い。『新・孔子の人生訓』の図を用いて人生50年時代と現在の高齢化時代の比較。国の65歳定年は、キャリアデザインの考えは全くない。キャリアは、青年期・壮年期・実年期の3つ。そして、その後も、熟年期・大人期・仙人期の3つある。ワークライフバランスという言葉はおかしい。ワークとライフを並列に考えている。ライフデザインをどうするかが大事」

「箇条書き、カタカナだから、だまされる。箇条書きは実体を表していない」。「読む→書く→考えるというのは、順番が違う。読む→考える→書くが正しい。これが、ビジネスコミュニケーション。図解は、理解できたこと、疑問に思ったこと、本当にわかったことだけで組み立てて描く」

『アジア・ユーラシアダイナミズム・・・日本をめぐる世界潮流』という図をもとに、世界の構造や変化を説明。「1枚の図で全体を表すことができる。この中の数値は毎年書き換えている。そうすることによって、世界の構造の変化がわかる」。 『江戸幕府の成立』という図をもとに説明。「年号や部分部分だけで覚えさせられたが、覚えていない。それは、図解していないから。このように図を描いたことによって、記憶できる。そして、見ないでも話せる。図を描いているときが、脳が一番働いている。ある分野で100枚図を描けば、図同士が関係しあう」

「講演会をやると、現場が見える。その業界のことは知らなくても、どこに行っても話せる。どの会社・組織に行っても、『うちには考える人間がいない』と言われる。考える力・企画力・想像力・構想力が欠けている。文章はコミュニケーションのOS。私は、そこに図解を入れた。それ以外のものはOSではなくアプリ。図解というOSを握っている人の勝ち。図解はグローバル言語」

 人生100年時代:「2005年に始めた人物記念館巡りの旅は800館を超えた。やってみてわかったことは、いかに歴史を知らなかったか、なんて偉い人が多いんだろう、人は必ず死ぬ、人生は有限ということ。人物館巡りの旅をブログに書くという修行を行っている。自分の周りの人に影響を与えられるのが偉い人。もっと偉い人は、広く深く影響を与える人。もともっと偉い人は、長く生きて影響を与える人。死んだ後も影響を与えることができる人が一番偉い。深さ×広さ×長さ×死後の長さ。近代の中では、福沢諭吉が一番偉いと思う。経済界では渋沢栄一。お金・事業・思想の順で残す人が偉い。普通の人は、なかなかそうはいかない。普通の人は、高尚な人生を送ることが偉いこと」

 今後の知研はどうあるべきか。「俳句結社のようなものだ。どこに行っても仲間がいる。そうやって人生を送る。そのための勉強は、図解とマネジメントゲームだと思う」

 『豊かさとは自由の拡大にある』という図をもとに説明。「肉体的自由を土台として、経済的自由と肉体的自由を得て、精神的自由を獲得する」

 以上、今日は、総括してざっくりと話した。

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NPO法人 知的生産の技術研究会 副理事長 高橋茂人氏

締めの言葉。今後、図解は勉強したほうがいい。本山さんに教わって、一緒に。今後は、仙台以外でも集まるようにしたほうがいい。仙台→仙台以外→仙台→仙台以外・・・・・・・と。そうやって、場所を移動しながら学んでいく。その土地に行って、誰に会うかできまる。活動は、記録に残すこと。各地の事務局が編集委員になる。活動は、本部に送って『知研フォーラムに載せてもらう』。

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「名言との対話」。6月5日。佐藤棟良「大地に足跡を残せ」

佐藤 棟良氏(さとう・むねよし。1919年1月1日-2015年6月5日)は宮崎のフェニックスリゾート創業者。

佐藤棟良は年商1300億円の規模の紙の専門商社・旭洋を一代で築いた。故郷の宮崎にフェニックス観光を設立。バブル期に日本中が不動産投資で沸き立っていた頃、宮崎交通社長の岩切章太郎社長と、松形宮崎県知事と3人で宮崎を一大観光都市へ生まれ変わらせる構想を練った。その構想は総合保養地域整備法(リゾート法)の第1号指定である「宮崎・日南海岸リゾート構想」の中核施設「宮崎シーガイア」として実現する。官民一体の巨大プロジェクトである。

 1988年、宮崎市内で第三セクターとして設立された企業の社長に就任。1993年に大型リゾート施設「シーガイア」を開業した。バブル期に策定された計画は総事業費680億円であり、世界規模の国際会議場、地上42階・地下3階のホテル、プロゴルファー、トムワトソン設計のゴルフ場、そして巨大な開閉式屋根を持つ室内プール「オーシャンドーム」であった。「オーシャンドーム」はギネスブックにも登録されるほどの規模だった。計画はどんどん過大になり、結局着工時は2,000億円を超えるものとなった。

シーガイヤには日航時代に訪問したことがある。確か社内の大きな会議がここで開催された時だったと思うが、その時に話題の大型ホテル、オーシャンドームなどを視察した。九州沖縄サミットの会場となるかもしれないとのことで、その施設も見学した。

佐藤は「シーガイアはかならず世界遺産になる」と豪語していたが、開業時にはバブル崩壊の影響で客足が伸び悩み累積赤字が拡大した。初年度入場目標数は250万人であったが、半数を下回る集客が続く。最大の年間入場者数は1995年の約124万人であった。 2000年の九州沖縄サミットでは外相会談が行われている。2001年には遂に3,261億円の負債を抱え会社更生法を申請。アメリカの投資会社リップルウッド・ホールディング社が投資額の1割にも満たない162億円で経営権を取得し、県民の財産であったはずの施設は外資の手に渡ってしまった。2012年にはフェニックスリゾートの全株式をセガサミーホールディングスが取得し、完全子会社化している。

佐藤棟良は、裸一貫で事業を興し、82歳にしてまた裸一貫にもどった。しか外資の運営によってシーガイヤは残った。「大地に足跡を残せ」という哲学は、皮肉なことに壮大な失敗の軌跡として実現したのである。

 

 

 

 

 

 

 


 

多摩大学・高大接続アクティブラーニング研究会の2018年度の第1回を開催。

多摩大学・高大接続アクティブラーニング研究会。2018年度の第1回を開催。

・金センター長挨拶。

・自己紹介:多摩大(金・小西・趙・バートル・加藤・初見・松本・杉田。水嶋・池田・松井)以外は以下。神奈川県立上鶴間高校の浅香先生、室井先生、夕田先生。科学技術学園高校の豊島先生。多摩大聖ヶ丘高校のいずおか先生。目黒学院の藤牧先生、多摩大目黒の越前先生、谷川先生、田端先生、加藤先生、、、。

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 目黒学院の藤牧先生:KP法。質問と回答。なりきる。演劇的手法。納得感の醸成。ペアワーク。ルーブリック。学力も向上。 

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多摩大目黒の谷川先生:ipad。新教育研究部。classi。actibook(動画)

スタディアプリ。kahoot(小テストあり)。デジタル教材の活用。

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多摩大目黒の越前先生:校外アクティブラーニング。異文化・異世代・探究。チェジュ島・いちょう団地・起業体験・東北復興に加えプログラミング体験プロジェクトも。

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記念撮影。

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「名言との対話(平成命日編)」6月4日。林隆三「感情を込めないと、我々役者は」

林 隆三(はやし りゅうぞう、1943年9月29日 - 2014年6月4日)は、日本の俳優及びナレーター

四谷で生まれ、物心ついた時は新潟・柏崎。小学校は仙台で過ごす。両親が山形出身であり、微妙に異なる方言の中で育つ。終生人間の生の声としての方言にこだわり、渋みのある演技でドラマ、舞台などで活躍した。

1970年に木下恵介・人間の歌シリーズ『俄』(TBS)に初主演。その後、平賀源内の青春時代を描いた『天下御免』(NHK)に出演し、人気を博する。1974年には映画『妹』(藤田敏八監督)で秋吉久美子と共演し注目を集める。1977年、津軽三味線の名手高橋竹山の若き日を描いた『竹山ひとり旅』に、新藤兼人監督に請われて主演。津軽弁を駆使した鬼気迫る演技で一躍スターと認められ、第1回日本アカデミー賞の主演男優賞を受賞。その後、テレビドラマは『森村誠一シリーズ』『噂の刑事トミーとマツ』『夢千代日記』』『ザ・ハングマン』『誘惑』、映画は『時雨の記』『郡上一揆』などに出演した。ドラマ「たけしくん、ハイ!」の頑固おやじから大河ドラマ徳川慶喜」の重厚な松平春嶽役まで幅広い役柄を演じた。

 ツアーでは3歳から習い始めたというプロ級のピアノを披露しており、「愛の讃歌」をよく弾き語りしていた。ライブでも「ボン・ヴォワヤージュ」を弾き語りして会場を沸かせていた。ヤマハクラビノーバのCMでは「音楽をもっている人はひとつ幸せです」と語りながら、野外劇場で弾く姿を見せていた。

ボランティア活動にも積極的で、重度障がい者の施設に招かれたときには、「ふるさとの空のもとで」などを弾き語った。東北育ちであったことから宮沢賢治をライフワークとしており、短編童話集「虔十公園林(けんじゅうこうえんりん)」を太く、ソフトで、艶がある声で朗読した。

2011年東日本大震災後は復興支援活動にも積極的に参加。前年に宮城・石巻市でロケを行い、撮影では現地のエキストラの協力の下、完成させた映画「エクレール・お菓子放浪記」の公開にあたって、ギャラを全額、同市復興のために寄付した。

「『夢千代日記』の山根刑事は忘れることができません。素晴らしかったです」と共演した吉永小百合が語ったように「感情を込める」ことができる名優だった。この人の渋い演技は私も好きだった。70歳で亡くなったが、もっと俳優の道を進んでいたら、さらに記憶に残る名演技を楽しめたのだろう。人には寿命がある。

 

 

 

 

 

 

 

自己点検ヒヤリングの日。

自己点検ヒヤリングの日。9時から17時まで。多摩キャンパス。経営情報学部、グローバルスタディーズ学部、大学院経営情報学研究科の委員会がヒヤリング対象。こちら側は副学長、学部長、研究科長、事務局長。

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以下、私のコメント。

・自己点検ヒヤリングは相互に学び会う機会。

・ 就職:中計の目標値。実質就職率。数字への執念。トップクラス対策。質の目標値。トップクラス学生。戦略経営塾。留学生。

・国際交流:長期留学の目標値。学内資源の相互活用。ホームページの更新。多摩大独特のプログラム開発。

・学生:離学率。

・学長室・地域:発信・露出対策。成果は問題解決。

・入試:質を担保する項目。進研ゼミ。

・アクティブラーニング・研究・教務・人事:研究費。授業評価。両学部の授業評価の点数。

・教務・AL:プロジェクトゼミ・合同ゼミ。両学部の図書館。教養教育。グローバル学部のカリキュラム構成。留学生対応。

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総括。

・ヒヤリングの場は2学部1研究科の全学のタテ・ヨコの合意形成の時間だ。

・「質」の向上が全学共通のテーマであることがさらに明確になった。

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「名言との対話(平成命日編)。6月3日。モハメド・アリ肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める」

モハメド・アリMuhammad Ali [muˈhɑməd ɑːˈliː]1942年1月17日 - 2016年6月3日)は、アメリカ合衆国プロボクサーWBAWBC統一世界ヘビー級チャンピオン。

1960年ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得後にプロに転向。1964年にはソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王座を獲得した。ジョージ・フォアマンザイールで対戦し、一発大逆転を演じたタイトルマッチ(キンシャサの奇跡)や、ジョー・フレージャーとの死闘など、ボクシング史上に残る数々な名勝負を行っている。通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に輝いた。

1964年リストンを破り世界チャンピオンになった頃から引退するまで、私もアリの大ファンだった。1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火した。病のため震える手で点火用のトーチに火を点けた姿は記憶に新しい。

アリはリングの中での戦いも素晴らしいが、リング外の戦いも見事だった。マルコム・Xと出会いその思想に共鳴し、イスラム教に改宗。ベトナム戦争への徴兵を拒否したことにより米国政府と長期にわたって争い無罪を勝ち取った。WBA世界ヘビー級王座、WBC世界ヘビー級王座を剥奪され、3年7ヵ月のブランクがあった。

その発言は時代に大きな影響を与えた。以下、アリの名言を並べてみると、偉大さがわかる。

カシアス・クレイは奴隷の名前だ。俺はそんなものを選ばないし、そんな名前はいらない。俺の名前はモハメド・アリという、自由な名前だ。俺に話しかけたり、俺のことについて話す時には、この名前を使うよう求める

・チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。

・私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう。

・不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない。

・私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。

・私は神話を作り、神話の中で生きる

・人間が困難に立ち向かう時に恐怖を抱くのは、信頼が欠如しているからだ。私は自分を信じる

・想像力のない奴に、翼は持てない。

・日数を数えるな。日々を有意義なものにせよ

・他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。

・人は世界一のゴミ収集人になれる。世界一のモデルにだってなれる。たとえ何をやろうと、それが世界一なら何も問題はない。

・俺は自分が誰よりも偉大だと思っている。自分で意識する前から、そう言っていた。何度も言っていたら、他の人たちも、俺が本当に偉大だと信じるようになったんだ。

モハメド・アリリング内とリング外の戦いも素晴らしいが、そういったキャリアと人生から形づくられた思想と叡智のこもったメッセージも偉大だ。肯定が信念を生み、信念が確信を誕生させ、確信が実現と成功をもたらす。そのくり返しの軌跡が、奇跡の人を生み出したのだ。アリは更に言う。「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」。そうだろう。

 

 

 

 

 

仙台日帰り。知研東北の設立総会と記念講演。

久しぶりの仙台には、昼前に到着。

まず、メトロポリタンホテルで横野さんと富田さんと食事。

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一番町の第一生命タワービルで「知研東北」設立総会・講演会。

東北各地からメンバーが参集。

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 総会

・高橋副理事長あいさつ」知研の再興。50周年行事。沖縄・九州・宮島。岡山・関西。北海道、、。

・全員で名刺交換

・記念撮影

・岡山の伊藤会長:知研岡山20年の経験から。

日経新聞の中澤編集委員梅棹忠夫。知はオリジナリティ。知的生産が普通の人がやる時代になる。予言者。、、、

・知研東北の大槻会長

・福島の大久自動社販売社長)

・青森の柳谷さん(マツダアンフィニ青森)

・酒田の菅原さん(菅原工務所常務)

・宮城の片瀬さん(明治合成社長)

・宮城の早坂さん(早坂精密工業社長)

・秋田の黒田さん

・秋田の萩原さん(三共光学工業専務)

・福島の佐藤さん(ローヤル油機常務)

・福島の高橋さん(高帆製薬工業代表)

・東京から力丸さん(アトリエマヌー代表)

・事務局の本山さん(宮城。東貿易東北マネジャー)

・岩澤さん(マグネットデザイン)

 山田さん(山田総合労務事務所)。喜多さん。村上さん(中小機構・東北)。北海道新聞の平原編集委員

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私の記念講演「人生100年時代を迎え撃つ、 アタマとココロの革命を!」を1時間40分。

 

 懇親会。

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 仙台駅でコンサート。指揮者は池辺晋一郎

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「名言との対話」6月2日。羽田健太郎来年は今年よりちょっとだけいい音楽を弾けるようになりたい。それだけを思って走っています」

羽田 健太郎 (はねだ けんたろう、1949年1月12日 - 2007年6月2日) は、日本の作曲家編曲家ピアニスト

音楽活動はクラシックポップスフュージョンなど多岐にわたり、劇伴音楽においても『西部警察PARTII』『渡る世間は鬼ばかり』のテーマ曲などが広く知られる。

桐朋音楽大学卒業後にスタジオミュージシャンとしての活躍を開始。人材が当時は乏しかったことから非常に重宝された。スタジオ録音全盛期の時代と、羽田の活躍の時期が重なったのである。羽田はクラシックとポップスの橋渡し的役目を果たし、タレント司会者としても活動した。2000年4月から2007年5月までテレビ朝日系列の音楽番組『題名のない音楽会21』の司会を務めた。私もこの番組で顔を知った。

「音楽っていうのは喜びを10倍にしてくれる。そして悲しみを2分の1にしてくれる親友。」

小学校では後の歌手小川知子と同級生であり、高学年になってからは毎学年1学期の学級委員は優等生の羽田と小川だった。小川知子は自伝で『私の初恋の人は羽田健太郎君。』と語っている。

冒頭の言葉のように、少しづつ上手くなろうという意志は持っていたが、飲酒癖があり、50代に入ると体調を崩すことが多くなった。多彩な才能が過労を招き、それを乗り越えるために飲酒で紛らわそうとしたのであろう。健康管理の大事さを58歳で亡くなったハネケンは教えてくれる。

 

夜の大学院のテーマは日本文化:「武士道」「禅」「俳句」「箸」「パチンコ」「カラオケ」「茶道」「相撲」「歌舞伎」「温泉」「畳」「桜」「ひらがな」「神道」「生け花」「和服」「インスタントラーメン」「マンガ」「落語」。

夜の大学院の授業(18時半ー21時40分)は19人が出席。本日のテーマは「日本文化」の図解に挑戦。「武士道」「禅」「俳句」「箸」「パチンコ」「カラオケ」「茶道」「相撲」「歌舞伎」「温泉」「畳」「桜」「ひらがな」「神道」「生け花」「和服」「インスタントラーメン」「マンガ」「落語」。

日本人に加え、中国、韓国、ベトナムからの留学生もおり、楽しい授業となった。最初は私が出演するDVDをみてもらった。テーマは「コンビニ」。

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以下、受講生の感想。

・【第4講感想・総括】。・共通点と意見の違いを可視化。・項目の洗い出し、グループ化、キーワード化。・言い換えや色使い。今回の私のテーマは「神道」でした。認識の相違や共通点は図解により整理ができた他、その文章では説明されていないことや不足している情報の把握もできました。

・図解も回が進むにつれて少しずつわかって来たような気がします。今日のテーマは禅‼️いままで自分の中で理解していたものを図解で整理して再チャージ出来たた。自分の引き出しを整理することに図解は武器になる。ありがとうございます。

・ご講義ありがとうございました。楽しくなってきました。忠実に、正確に、矢印の方向も、論点は沢山出て来るのだろうなと思います。意見交換が楽しくなりそうです。生け花の先生、文章と図を見せたら、いいね👍をくださいました。ありがとうございました。

・本日もありがとうございました。冒頭の動画での図解が形成されていくプロセスは分かりやすかったです。ただ、はじめの半分くらいまでは何とかできそうでしたが後半の半分はなかなかあそこまで発想が及ばないなと思いました。やはりまだ図解を構成するという部分までは至りません。まずは本質的な部分をキーワード化、概念化できるスキルを身につけたいと思いました。次回は学会のため欠席です。度々で申し訳ありません。学会では論文のテーマに合致したシンポジウムが企画されています。そこでの発表やディスカッションを図解にしてゼミや中間発表で使用するという課題を自らにかしたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。

・本日もありがとうございました。今日は相撲の起源を力士の体から考えるというテーマでした。もちろん今まで力士の体について考えたこともなかったため、金太郎をイメージとした少年相撲による豊作、不作を占うという起源、女性〔妊婦〕をイメージした女相撲による豊作を願った儀式的な起源があることに驚きました。図解を作成することで、自分の理解度は深まり、短時間で説明できるようになることを実感できました。ただ、ややワンパターンになりつつある私の図解。よりよい図解ができるように練習に励みたいと思います。

・担当は「畳」でした。日本人なのに日本の文化についてあまり知らないと実感しました。文章を何度読み返してもよくわからかったのですが、図にすると頭が整理されて理解しやすかったです。何度も書き直しましたがその度に思考が整理されているなと思いました。また、他の人の発表も図があるおかげで素直に理解できました。まだまだ図の作成が下手ですが繰り返し練習して身につけます。

・感想。* アウトプットを意識してインプットすることの重要性* どうしたら伝わりやすくなるか?考えて書き直していくこ* 3つの手法(3つの塊にして話された方はわかりやすい)と改めて大事と思った。ありがとうございました。来週は仕事で参加できませんが、次回講義楽しみにしてます。よろしくお願いします。

・落語について、図解をまとめました。まず文章を読み、大事なところを線を引き、そこをまずは箇条書きなり思いつくレベルでまずは書き出して、そこから図解にまとめるようにしました。はじめの頃よりは慣れてきましたが、それでもまだまだ発想が乏しいです。引き続き日頃から意識していきたいと思います。

・本日もありがとうございました。今日の作業では初めに検討した図解では際に細かく書きすぎて情報量が多くなりすぎました。余計な情報をそぎ落とし、重要な点を見つけていく作業が重要であることが経験出来ました。次回の講義も楽しみにしております。

 ・本日もありがとうございました。詩人を図解してはいけないのがよく分かりました。言葉で誤魔化す世界が詩であって、そこが詩の良さなんだと。冒頭の講義の感想で、図解が難しく感じたのは、逆に言葉の大切さを改めて感じてきたように思います。うまく組み合わせていこうと思います。

 ・先生、皆様、授業お疲れ様でした。第4回授業の感想です。今回は作成した図表を掲載するようにとのことでしたので、図表をアップ致します。今回は俳句を担当しました。今回の授業で大事な点は、一般化と構造化の2つだと思いました。段々、記事を読んでいて、記事の説明は不完全なものであり(記事内容だけでは構造的、網羅的ではない)、記事内容に忠実に図表化すると、お題を十分には構造化しきれないことを感じました。例えば、俳句の由来について、正岡子規の記述はあったのですが、松尾芭蕉の記述はありませんでした。調べてみると、後世にかなり影響を与えた人物ですが、記述がありませんでした。また、類似例としては、短歌や川柳との違いも触れる必要があると思いますが、記述がなかったので、調べて補足しました。結果的に真ん中に俳句の特徴を集約して、周囲にそれぞれの項目を書き、足りない情報は補足する、というスタイルに今回は落ち着きました。普段目にする記事も、実は基本的な内容に関する網羅性を欠いているものが結構あると思いますが、授業を受けて目が肥えて来たから感じるようになったのだと思いました。

以下、留学生

・今日の講座はとても感謝しております。図解する前は先生のテレビ教育から図解制作説明を理解した事は非常に嬉しかった。皆様もうお疲れ様でした。先生のテレビ教育における説明の説明を見ながら、メモを取ること図解制作に非常な重要性があると思います。先生から解说をいただいました図解制作はまず、文を読みながら重要な動詞を見つけて、キーワードを見つけたり、丸を箇筿して、後文の関連関係変化所線を引いて。矢印の表现脳中考えで、次に脳の中で文の意味をまとめ、作者の意図と、作者がどんなlogic 的な手法で表現したのか。その手法をよってsystem を分類する。今回先生の解说から気になるのは図を制作時まず、system を分けて同じsystem内容を集めから、图解制作時に同じ所属性キーワード同じ行、列に並ばれて描いて、関連性を考えたら、所属関係の変化によって横or縦にする。先生が今回の授業取材は日本文化について。日本の教育、生活、娯楽、経済歴史などの各分野の文化、外国人留学生にとって、学生たちの図解によって日本の深さや博広文化を直観することができる。今後、観光産業の研究を進め私にとって、重要な意義があります。今回皆さんが作った図は、昔よりよくわかりやすくてしっかり理解できる実感がありました。特に他人が見にやすいように男のclassmate がかわいい花を描いていた、カラーペンでポイントをつけていた女性classmate もういます。皆は素晴らしかった。今回,私は「溫泉」について日本文化を図解担当していました。先生は留学生に優しくて簡単な文を配って、自由な選びますけれども、最初を読まれだ日本文化分野あまり知らないと実感しました。温泉文化について文典を配って読まれだ時、何回温泉に行った事あった私は温泉文化ついて図解大丈夫だと思いましたが日本文化ついて文章難しさは思わず、さっすか博深広大な日本文化、わからなっかった単語が多い、辞書を調べてばかりが、何度読み返してもよくわからかったのですが図にすると頭が整理されて理解しにくいでした。何度も書き直しましたがその度に思考が整理されているなと思いました。まだまだ図の作成が下手ですが繰り返し練習して身につける非常に必要と思います,图左は先生に出した初稿です。图右は読み直して、描き直した图解です、(≧∇≦)從列はsystem をよて同じ所属性キーワド、横行は関連性あるキーワードを並べます、関連性変化によて、矢印の方向を向く。制作した時間がすごくかかりましたから、copy する担当者が長い時間で私を待っていましたけれども、まだうまくいかなかった。迷惑をかけた申し訳けございません。

・本日は茶道について、いかに皆さんに分かりやすく伝えられるか、考えました。伝えるという視点で、読み込んでいくと、思考が何度も整理され深く理解できると感じました。とはいえ、満足のいく図解にはなっておらず、もっと事例をこなして行きたいと思いました。茶道は昨年からはじめたばかりですが、知らないことがあり、勉強になりました。今を大切に生きる、一期一会、ステキな言葉と思うだけてない生き方が、できるといいなと思いました。

・本日の講義ありがとうございました。日本文化を中心としていろいろな話題を聞いた。私のテーマはインスタントラーメンです。食品、ファスト消費品産業に興味を持って以前インスタント食品に関するレポートなど読んだことがあった。そして、文章のまとめ、図解を説明した後自分の考えを発表した。図解とは、ポイントのを抜粋することは大事と思う。でも、何が漏れるが心配。今後は力を入れて勉強しましょう。

・本日もありがとうございました。日本文化の講義でカラオケや日本の文化などについて、深く分かるようになっています。日本の文化といえば、歌舞伎や茶道などですが、今日は パチンコでも日本の特徴な文化と思われます。次回も頑張っています。よろしくお願いします。

・本日の授業、ありがとうございました。先生も、皆さんもお疲れ様です。私のテーマは「マンガ」です。初めて、この文章からマンガの歴史を知りました。良い図表の描く方も、日本のマンガ文化も、沢山勉強になりました。今日は発表できなかったが、次回は頑張ります。よろしくお願いします。

・久恒先生、講義、ありがとうございました。今日、「ひらがな」というテーマをやりました。両国の歴史上の似た点を気づきました。日本で、最初の頃には、漢字しかないでした。そして、漢字を読み書きできるのは、僧侶、役人、貴族の男に限られていました。この点は、古代の中国文化と似ています。古代の女性は、「女誡」、「内訓」、「女論語」と「女範捷録」しか読めないでした。従って、「古代の中国人の女性は教育を受ける権力がない」と言っても過言ではないと思います。そこで、古代の日本女性でも中国女性でも、社会地位が極めて低いということがまた気づきました。これから、この問題について、深く調べたいです。以上です。

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10時:橘川先生(客員)

10時40分:授業

12時半:河合先生(客員)

12時40分:杉田学部長

13時:事務局との定例ミーティング

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「名言との対話」6月1日。松田道雄「いい小児科医は歴史家でなければならない」

松田 道雄(まつだ みちお、1908年10月26日 - 1998年6月1日)は日本の医師育児評論家歴史家

戦後、小児科の医師として診療する傍ら、平和問題談話会に参加、末川博恒藤恭田中美知太郎桑原武夫らの知遇を得る。1960年京都大学人文科学研究所の共同研究「革命の比較研究」などに参加する。1978年には武谷三男野間宏水上勉らとともに安楽死法制化を阻止する会声明発起人となった。

1967年に小児科の診療を辞め、執筆・評論活動に専念。代表作でベストセラーの『育児の百科』(岩波書店)をはじめ、数多くの著作がある。ロシア語史料に基づくロシア革命史研究の開拓者としても知られ、その分野の著書も多数ある。

1949年に『赤ん坊の科学』で毎日出版文化賞1963年に『君のたちの天分をいかそう』で児童福祉文化賞をそれぞれ受賞。死後、個人蔵書は「松田道雄文庫」として熊本学園大学に収められた。この大学には縁があるので、機会をみて訪ねたい。

この人の名は岩波新書『私は赤ちゃん』で知っていた。手元の本によると1960年第一刷りで1989年時点で第44刷りのロングセラーだ。著者自身が赤ちゃんの目で周囲を観察した誕生から一歳半までの成長の過程を描いた不思議な作品だ。しかし読んでいて全く違和感がなかった。授乳のしかた、衣服の調節、夜泣き、離乳、下痢、発熱、ひきつけ、予防接種、、など両親の不安を消そうという試みがよく書かれていて感心した。文章がやさしく、かつ実にうまい。名著である。

「あまり自信のある親は、よい親ではない。子どもといっしょに人生を探求し、いっしょにそだってくれる親がいい」「一年間の育児で母親としておおくのことをまなばれたと思う。赤ちゃんも成長したけれども、両親も人間として成長されたことを信じる」「 赤ちゃんとともに生きる母親が、その全生命をつねに新鮮に、つねに楽しく生きることが、赤ちゃんのまわりをつねに明るくする」

親がいらいらして子どもにたいして平常心をもてないために子どもが緊張し、それが症状に出る。小児科医は診察を通じてその親子の格闘と成長を見つめ、励ましながら伴走する役割を持っている。主治医とは患者の歴史の目撃者であり、教訓の抽出者である。特に小児科医には子どもだけでなく親も含めた親子の歴史についての観察力が必要なのだろう。いい小児科医が歴史家であるとは虚をつかれる思いがするが、慧眼という外はない。

私は赤ちゃん (岩波新書)

私は赤ちゃん (岩波新書)

 

 

 

 

 

 

 

 

リレー講座:前川喜平「安倍政権下の教育政策」

10時半:研究室で事務処理。

13時:松井さん:高大接続改革の近況報告。

14時:高橋さん:知研北海道。okuno clinic

14時50分:リレー講座:前川喜平「安倍政権下の教育政策」。

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・1980年代の中曽根政権:憲法改正につなげるために、まず国家主義的な供給側の自由拡大のために教育基本法の改正を目指し、1984年に臨教審を設置。結果は逆に学習者の自由拡大の方向の答申が出た。個性重視・生涯学習・変化対応。その流れの中に現在のアクティブラーニングがある。

・第一次安倍政権で教育基本法を改正した。伊吹文科大臣は道徳の教科化はやらなかった。

・第二次安倍政権で教育再生実行会議を設置。下村文科大臣が計画者と実行者を兼ねた。2018年度から徳道教育の教科化が始まった。検定教科書を使用。評価はするが点数化はせずに記述式で評価。教育勅語を使ってもよいという閣議決定

・個人と地球の欠落。戦前回帰。国体思想。家族国家観、、、。

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「名言との対話(平成命日編)」5月31日。佐橋滋「古今東西のそれぞれの分野で偉かったという人の教えを受けてみる。それが本を読むということである」

佐橋 滋(さはし しげる1913年大正2年)4月5日 - 1993年平成5年)5月31日)は日本官僚通商産業事務次官

城山三郎官僚たちの夏』の主人公・風越信吾のモデルとされている。「ミスター通産省」。「佐橋大臣・三木次官」。退官後は天下りをせずに、6年後に新設された、高度成長後の国民の余暇の充実をテーマとした余暇開発センター理事長に就任。「余暇開」は毎年「レジャー白書」を発表し、航空会社にいた私も参考にしていた。

強いリーダーシップと明晰な行動、大胆さ、面倒見のよさ、潔い出処進退、、。過去の官僚像と異なる爽快なイメージは各界において広く評価されファンも多かった。城山三郎は佐橋に高い評価を与え、佐橋のイメージ形成に大きく寄与した。『官僚たちの夏』は心躍りながら読んだものだ。

佐橋の多選の佐藤総理批判は有名だ。「総理大臣のポストが居心地がよいようでは困ったものである。、、権力ポストには職務と責任が付随する。これを職責という。、、、利口と聡明とは違う。利口とは読んで字のごとく口先がうまいということである」。「えらい人と、えらい地位とは、必ずしも合致するものではない。、、ほんとうにえらい人は、自らえらいと思わない人である」。佐藤を利口、あるいは利口ぶった人だと言ったのである。

佐橋は現役時代は「ミスター通産省」と呼ばれた傑物であり、次官時代も歯に衣着せぬ言動で三木武夫通産省時代には「佐橋大臣、三木次官」とマスコミが揶揄していたことも記憶にある。「実務家の発想は、今の時点で何をすべきか。将来に備えていま、何を準備し、何に着手しておいたらいいのか、からし出発しなければならない」と考えていたから、その発言と政策は説得力があったのだろう。

現役の時、酔えば必ず歌った「通産佐橋節」がある。「男なら」という歌に節を改作したものだ。「未練残すな 浮世のことは 花は散り際 男は度胸 どうせ 一度は散るものを」から始まる。国士官僚の心意気がうかがえる。

「公務員のモラルは一国の道徳水準のバロメーターといわれる」「由来、大蔵省は、決して自らまちがっていたということをいわない役所である」「権威は、謙虚さと、英知と勇気があって初めて、権威にふさわしい正しさを持つものである」「愚民の上に苛き政府有り」と語る佐橋滋は、隠蔽・改ざん・嘘、にまみれた感のある後輩たちをみたらどう思うだろうか。

佐橋は読書家で『毛沢東語録』の大事な教えとして「愚公山を移す」を挙げ、それを生活態度にまで高めようと言う。90歳で家の前の山を他へ移そうと思い、箕で土を運んだ寓話である。知巧を用いず、勉めてやまぬときは、ついに大事業をなしとげるというたとえだが、この本を熟読していることに精神の柔軟性をみる想いがする。人間を知恵がある賢い人という意味でホモ・サピエンスという。それは「考える人」という意味であり、考えるとは疑うことでもある。人間は、現場を持ちながら読書で昔の偉い人の教えを受けていなければ動物に成り下がってしまう。佐橋滋は現場と読書を往復しながら疑う精神を持ち続けた人だった。

 

憂情無限 (1971年)

 

 

 

 

教授会。T-Studioで石川先生と収録。東京で人物館2館。日本興業倶楽部で寺島講演。

・10時:学部運営委員会

・10時40分:教授会:授業評価の表彰「インターゼミ」も。ホームゼミの考え方の大転換。社会的投資研究所の新設。、、、。

・13時:T-Studioで「名言との対話」の収録。石川先生と対談。座右の銘「一期一会」を巡って。17分。しばらく、女性シリーズでいこう。

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 ・日本橋三井記念美術館で「大名茶人 松平不昧」展。

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 ・東京駅の東京ステーションギャラリーで「イザベラ・バード」展。

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19時:日本興業倶楽部で寺島文庫リレー塾。第1回は寺島実郎「世界の構造変化の本質を考える」。

・経営は時代認識を深め進めること。知の基盤インフラが時代を見抜く目を育てる。

・歴史の鏡を磨く。20世紀とは?「1900年への旅:欧州・アメリカ」 戦後日本とは?「世界での連載。脳力のレッスン」 近代とは?「17世紀オランダ」。この1年はモンゴル3部作。モンゴル史観で西洋史観、中華史観の相対化。大英帝国との対比。

・ネットワーク型で世界を捉える。大中華圏(華僑・華人ネットワーク。連結の中国)。大英帝国(英語・英国法などのソフトパワーユニオンジャックの矢)。次にユダヤネットワーク。

・2018年の日本:ソト。GAFA+Mで364兆円・テンセントとアリババで107兆円、合計500兆円。ITXFT。ニューセブンシスターズ。デジタル専制。蛙跳び経済。夢にカネがつく時代。データリズムの時代。

・2018年の日本:ウチ。ものづくり国家日本の危機。技能オリンピック9位に転落。現場力・管理職・経営のゆるみ。中国の強大化(スピード感。2018年日本の3倍。不安と苛立ち。中国の強権化:2期政権の実績づくり:経済は6%後半成長(5割は政府のインフラ投資)。外交軍事で東ジアをグリップ(香港。台湾。北朝鮮)。北朝鮮問題では中国の存在感。中国は和戦両用。朝鮮半島の非核化「体制保証・米軍の引き上げ・経済協力」。日本は構想力において劣後。外交は失敗。大きなビジョンと構想を示していない。

・日本の内なる構造変化:2018年「65歳以上3500万人・80歳以上1000万人・100歳以上7万人」。2050年「65歳以上3800万人・80歳以上1600万人・100歳以上53万人。2045年の人口「東京と沖縄。秋田はマイナス40%。都市集中」。国道16号線上の団地。都市郊外型高齢化の深刻。ジェロントロジー高齢社会工学)!100年人生と異次元の高齢化の日本がモデル。高齢者を活かしきる戦略。

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「名言との対話(平成命日編)」5月30日。粕谷一希金は遣えば無くなるが、頭は使えば使うほど良くなる

粕谷 一希(かすや かずき、1930年2月4日 - 2014年5月30日)は東京府出身の日本の評論家編集者、出版事業家。

名刺一つで総理にも乞食にも会える仕事はほかにはない仕事であり、苦労も多いが自由を満喫できるのが編集者であると考え、粕谷一希は生涯一編集者として過ごした。「編集とは筆者とテーマの選択的構成である」と定義した粕谷は、イデオロギーを嫌った、保守感覚と現実主義の潮流を築いた名編集者だった。

大学を卒業して大正時代に花開いた中央公論社に入社。「中央公論」、「婦人公論」、「思想の科学」を経て、「中央公論」のデスク6年、そして1967年より編集長(3年)と、23年間を中央公論社で過ごした。この間、永井陽之助高坂正堯萩原延寿山崎正和塩野七生庄司薫高橋英夫白川静などを世に送り出した。塩野七生も最初に『ルネサンスの女たち』に中央公論に書かされたし、寺島実郎も粕谷が目をつけて中央公論にデビューさせている。粕谷一希は名伯楽だった。

1978年退社後も、1986年『東京人』編集長、『外交フォーラム』。1987年、都市出版社を設立するなど編集の道を歩む。

雑誌連載が単行本になった中で面白かったのは松本重治『上海時代』と石光真人『ある明治人の記録--会津人柴五郎の遺書』であったと粕谷は回想している。私は粕谷の編集とは知らなかったが、いずれも熱中して読んだ名著である。

「戦後論壇は、京都人の梅棹忠夫と大阪人の司馬遼太郎が制覇した」という粕谷は、その流れをつくった人でもある。2008年に大阪で開催された「梅棹忠夫先生の米寿を祝う会」で、粕谷は私の席の前に座っていた。この人があの粕谷一希かとある種の感慨を覚えたことがある。

「偉大なことをするのは、素人が多い」「どのような栄耀栄華を得ようが、若き日の旧友の眼に耐えられない人生は空しい」

筆者や作家の粕谷像は「賢者の風格。叡智の言葉。良き書生。編集者が死ぬと時代が変わる」などである。名編集者・粕谷一希の人物が匂うようだ。

 「頭は使えば使うほど良くなるは夫人が観察した粕谷の口癖である。「日本が知的になるには、本を大事にするということから始めなければならない」、そのことが日本人を知的にすると信じていた。粕谷一希は、編集という天職を全うする中で、優れた人物との交流を続けながら、自らの生きた「時代」と格闘したのである。

 

編集とは何か