自己点検ヒヤリングの日。9時から17時まで。多摩キャンパス。経営情報学部、グローバルスタディーズ学部、大学院経営情報学研究科の委員会がヒヤリング対象。こちら側は副学長、学部長、研究科長、事務局長。
以下、私のコメント。
・自己点検ヒヤリングは相互に学び会う機会。
・ 就職:中計の目標値。実質就職率。数字への執念。トップクラス対策。質の目標値。トップクラス学生。戦略経営塾。留学生。
・国際交流:長期留学の目標値。学内資源の相互活用。ホームページの更新。多摩大独特のプログラム開発。
・学生:離学率。
・学長室・地域:発信・露出対策。成果は問題解決。
・入試:質を担保する項目。進研ゼミ。
・アクティブラーニング・研究・教務・人事:研究費。授業評価。両学部の授業評価の点数。
・教務・AL:プロジェクトゼミ・合同ゼミ。両学部の図書館。教養教育。グローバル学部のカリキュラム構成。留学生対応。
総括。
・ヒヤリングの場は2学部1研究科の全学のタテ・ヨコの合意形成の時間だ。
・「質」の向上が全学共通のテーマであることがさらに明確になった。
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「名言との対話(平成命日編)。6月3日。モハメド・アリ「肯定の繰り返しが信念につながる。その信念が深い確信になると、物事が実現し始める」
モハメド・アリ(Muhammad Ali [muˈhɑməd ɑːˈliː]、1942年1月17日 - 2016年6月3日)は、アメリカ合衆国のプロボクサー。WBA・WBC統一世界ヘビー級チャンピオン。
1960年ローマオリンピックボクシングライトヘビー級で金メダルを獲得後にプロに転向。1964年にはソニー・リストンを倒して世界ヘビー級王座を獲得した。ジョージ・フォアマンとザイールで対戦し、一発大逆転を演じたタイトルマッチ(キンシャサの奇跡)や、ジョー・フレージャーとの死闘など、ボクシング史上に残る数々な名勝負を行っている。通算3度のチャンピオン奪取成功と19度の防衛に輝いた。
1964年リストンを破り世界チャンピオンになった頃から引退するまで、私もアリの大ファンだった。1996年7月19日、アトランタオリンピックの開会式で聖火を聖火台に点火した。病のため震える手で点火用のトーチに火を点けた姿は記憶に新しい。
アリはリングの中での戦いも素晴らしいが、リング外の戦いも見事だった。マルコム・Xと出会いその思想に共鳴し、イスラム教に改宗。ベトナム戦争への徴兵を拒否したことにより米国政府と長期にわたって争い無罪を勝ち取った。WBA世界ヘビー級王座、WBC世界ヘビー級王座を剥奪され、3年7ヵ月のブランクがあった。
その発言は時代に大きな影響を与えた。以下、アリの名言を並べてみると、偉大さがわかる。
・カシアス・クレイは奴隷の名前だ。俺はそんなものを選ばないし、そんな名前はいらない。俺の名前はモハメド・アリという、自由な名前だ。俺に話しかけたり、俺のことについて話す時には、この名前を使うよう求める
・チャンピオンはジムで作られるものじゃない。彼らの奥深くにある「何か」で作られるんだ。
・私は蝶のように舞い、蜂のように刺す。奴には私の姿は見えない。見えない相手を打てるわけが無いだろう。
・不可能とは、自らの力で世界を切り開くことを放棄した臆病者の言葉だ。不可能とは、現状に甘んじるための言い訳にすぎない。不可能とは、事実ですらなく、単なる先入観だ。不可能とは、誰かに決めつけられることではない。不可能とは、可能性だ。不可能とは、通過点だ。不可能なんて、ありえない。
・私が心から恐れるのは神の法だけだ。人が作った法はどうでもいいと言うつもりはないが、私は神の法に従う。何の罪も恨みもないべトコンに、銃を向ける理由は私にはない。
・私は神話を作り、神話の中で生きる
・人間が困難に立ち向かう時に恐怖を抱くのは、信頼が欠如しているからだ。私は自分を信じる
・想像力のない奴に、翼は持てない。
・日数を数えるな。日々を有意義なものにせよ
・他者に貢献することは、この地球でのあなたの居場所に払う家賃である。
・人は世界一のゴミ収集人になれる。世界一のモデルにだってなれる。たとえ何をやろうと、それが世界一なら何も問題はない。
・俺は自分が誰よりも偉大だと思っている。自分で意識する前から、そう言っていた。何度も言っていたら、他の人たちも、俺が本当に偉大だと信じるようになったんだ。
モハメド・アリはリング内とリング外の戦いも素晴らしいが、そういったキャリアと人生から形づくられた思想と叡智のこもったメッセージも偉大だ。肯定が信念を生み、信念が確信を誕生させ、確信が実現と成功をもたらす。そのくり返しの軌跡が、奇跡の人を生み出したのだ。アリは更に言う。「私ほど偉大になると、謙虚になることは難しい」。そうだろう。