「カラダの日」ーーヨガ・ウオーキング・スイミング。

午前:

・ヨガ:1時間のストレッチ。もう4年目。

・歯医者:定期点検

午後:スポーツクラブ

ウオーキング:30分・3キロ。

・スイミング:30分・300m

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空き時間で準備。

ポッドキャスト「ビジネスに活かす 偉人の名言」の5月の人選。扇谷正造後藤新平朝倉文夫竹内均

・「耶馬台」の連載:「読書悠々」から「名言との対話」に。女性シリーズを始めよう。初回は「女子教育の先駆者」。津田梅子・広岡浅子下田歌子吉岡弥生羽仁もと子

・「名言との対話」用の5月分の本を20冊ほど注文。

・「人物記念館の旅」:4月ー5月の予定を決める。企画展が中心。

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ニュースから

・新しいお札の人選:1万円は福沢諭吉から渋沢栄一。5千円札は樋口一葉から津田梅子。千円札は野口英世から北里柴三郎。いずれも「先駆者」である。渋沢は日本資本主義の父、津田は女子教育の先駆者、北里は日本医師会の初代会長。いずれも偉い人であるが、私の所論は「偉い人とは影響力の大きい人」である。その観点から近代でもっとも偉い人は福沢諭吉渋沢栄一であると講演でも指摘してきた。思想の福沢から経済の渋沢へとバトンタッチ。新元号と新札の発表で国民の気分を変えようという戦略だ。

・ゴーンさんの映像での9分間の訴え:立派なしゃべりだ。

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「名言との対話」4月9日。ばばこういち「スクープではなく人間をかけ

ばば こういち1933年3月28日 - 2010年4月9日)は、日本のジャーナリスト

東北大学経済学部卒。証券会社を経て放送界に入る。文化放送、フジテレビ、東京12チャンネルなどで勤務し、1966年に大量首切り争議にあたり退職し、フジテレビからの復帰の誘いを断って、フリーとなり、放送ジャーナリストとして活躍する。ラジオ、テレビへの出演、企画制作、そして書籍の出版など、政治・社会問題に切り込んだ。また市民運動家として中山千夏らと革新自由連合を結成し、参院選に出馬するも落選。マスコミ九条の会の呼びかけ人でもあった。

亡くなったときの「ばばさんを送る会」の呼びかけ人は、五木寛之、、永六輔江田五月小沢昭一鎌田慧川田龍平管直人北川正恭、小池一子、小中陽太郎、、小室等寒河江正、、佐高信下重暁子、、田丸美寿々田原総一郎、、徳田虎雄鳥越俊太郎中山千夏、、堀紘一松島トモ子、渡辺善美などだった。妻が「他人の足を引っ張ったことは一度もなかった。正々堂々と生きてきた」と証言しているが、それを証明するようなリストだ。

私生活では、2回離婚し、3回結婚歴している。次女の堤未果は新進のジャーナリスト。その夫、川田龍平参議院議員。長男の大介は米国在住の画家である。ここ数年、私は堤未果が強欲資本主義の実態を告発する本を何冊か読んだ。その中で、ジャーナリストの父に顔向けできるように努力したとあった。その尊敬する父がばばこういちだったのだ。『沈みゆく大国 アメリカ』、『沈みゆく大国アメリカ 逃げ切れ! 日本の医療』など、いずれも、衝撃の書である。黒田清日本ジャーナリスト会議新人賞、日本エッセイスト・クラブ賞新書大賞、早稲田大学理事長賞を連続して取っており、力のあるジャーナリストだ。堤未果の夫は薬害エイズ事件で有名になった川田龍平である。川田は、東京HIV訴訟(薬害エイズ事件原告であり、立憲民主党所属の参議院議員になった人である。

ばばこういち堤未果川田龍平の 3人で写った写真もネットでみかけた。ばばこういちの志は、娘夫妻が引き継いでくれた。二人の活躍を見守ることにしたい。

 

 

永山。多摩。荻窪。

日本実業出版社の安村さんと永山で会う。

・新著の契約。

・次の企画の相談。

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大学の総研に出勤。

・秘書とスケジュール確認

・本の編集

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荻窪の出版社を訪問。

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移動中はユーチューブで堀正岳さんの番組を聞く。アマゾンミュージック

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散髪でリフレッシュ。

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今日の収穫(人生100年

・行動変容外来。新型人間ドック「ライフデザインドック」。受信者に合った生活指導。「80歳まで働けて、90歳でもゴルフや旅行が楽しめることが目標になる」。慈恵医大横山啓太郎教授。(20190409.日刊ゲンダイ

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「名言との対話」4月9日。植田康夫「どんな場所でも自分の書斎に変えられるということのほうが大事なのではないでしょうか」

植田 康夫(うえだ やすお、1939年8月26日 -2018年4月8日)は、日本編集者ジャーナリスト

上智大学文学部新聞学科卒。舞台は「週刊読書人」。編集長、取締役、退社。上智大学文学部新聞学科助教授、教授。取締役『週刊読書人』編集主幹、編集参与、代表取締役社長、顧問。上智大学名誉教授。大宅壮一・東京マスコミ塾の第一期生で、後に大宅壮一文庫の副理事長もつとめている。

1983年に私の所属する「知的生産の技術」研究会で『私の書斎活用術』という本を編んだことがある。16人の知的生産者の取材報告だが、「子供部屋との兼用書斎で執筆を続けるタフガイ」というタイトルで当時は毎週月曜日発行の『週刊読書人』勤務で上智大学で非常勤講師の42歳の植田康夫を紹介している。

「限られた時間、限られた空間に負けることなく、敢然と知的生産に挑む姿には心底尊敬の念を抱いた。サラリーマンをやりながら、これほどの活動を行う人がいるのだから、時間がないとか、書斎がないとかいうのは言いわけにすぎないことがわかる。全国のサラリーマンよ、植田氏を見習おうではないか。」(1981・8・29)。これは取材後の感想である。2DKの6畳を娘と併用。通勤電車の中で原稿を書く。足を進行方向に向けて160度開いて固いノートを台にしてボールペンで書く。その姿を実演してもらった。その後、私も試してみた。年中無休で朝6時から2時間執筆する。これが縁で『週刊読書人』に書評を頼まれて「副業、複業」をテーマに書いたことがある。

今回手にした植田康夫編『読書大全』(講談社)は、『週刊読書人』の創刊25周年企画で過去の「読書論」を編集した本だ。五味康介、高田宏、尾崎秀樹、水田洋、、などの小論を読んでみた。『編集者になるには』(ぺりかん社)では、出版は「人間的な全的な活動」を開花させる仕事であるから、覚悟があるなら小さな出版社で仕事をすることをすすめている。また編集者を志すなら布川角左衛門『本の周辺』の最終章「編集者という仕事」を読めという。芸術家、職人、実務家の才能の統一が編集者という論考である。

 2014年の日本作家クラブ主催の小中陽太郎先生の『翔べよ!源内』(平原社)が第一回野村胡堂文学賞の受賞し、その祝賀パーティで久しぶりにお目にかかった。週刊読書人の社長という名刺をもらった。

どこでも書斎として活用せよという植田康夫は「時間の使い方は、時間の制約のある勤め人の方がうまい」「会社の仕事と、物書きとしての自分の仕事とを関連づけるようにしています」などと語っていて、30代に入ったばかりの私は影響を受けている。

植田康夫の生涯を眺めると、テーマが一貫していること、そして関わった組織などと長く誠実に付き合っていることが印象的だ。夢は明治以来の編集者の歴史をたどり、書籍と雑誌双方の編集の方法を体系化したい、だった。この夢は実現したのだろうか。

私の書斎活用術 (オレンジバックス)

私の書斎活用術 (オレンジバックス)

 

 

読書大全

読書大全

 

 

 

大学院入学式。

品川

・学長と懇談:新著「名経営者の言葉」を贈呈。寂しい。仙台。宮城大。JAL。ライフワークを深めて。

・理事長に新著「新・深・深知的生産の技術」(3月)「名経営者の言葉」(4月)

を贈呈。

・安田・金・バートル・杉田先生と懇談

・志賀先生:御礼

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大学院入学式

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学長:中年の危機。使命感と出会い。知の再武装。100歳人生。(図解学全書。JAPAN!プロジェクト。リレー講座のまとめ)

理事長:同窓会ネットワーク(多摩大「志塾会」)

・研究科長:豊かに生きる。本質、知の交差点、社会変革。(ココロの自由)

・同窓会長:人脈と縁。(同窓会ネットワークの充実)

・歓迎:インターゼミに参加。

新入生:20代の多いG大学院を9か月で辞めた。中年の危機。

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カフェで、バートル先生と坂西同窓会長と同窓会ネットワークの充実について意見交換

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今日の収穫

日経新聞190407

東京新聞190407

  • 坂村真民「病がまた一つの世界をひらいてくれた 桃咲く」
  • 第二の人生プロジェクト。人生経験、僧侶で生かす。無住寺院で地域貢献を。3割の寺院が無住寺院、住職には出家得度から最短で3年。途中坊主。人生100年。(久司宗浩)

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「名言との対話」4月7日。加藤廣「清貧でなく栄達でもない第三の道――意にかなわぬ人生よ、さらば!」

加藤 廣(かとう ひろし、1930年6月27日- 2018年4月7日)は、日本の作家。

文学部に学士入学して比較文学を学びたい。将来は島田謹二のような文芸評論家になりたいと野心はあった。そして「小さくてもいいから未知の分野」という考えで中小企業金融公庫に入る。児島直記や伊藤肇のビジネス書を熱中して読んでいて「天下国家を動かせるポストならともかく、こんなところで偉くなってもしょうがないやね」と腹をくくっていた。

1980年、「みっともない生き方はしたくなかった」「一度の人生であり時間がもったいない」として、独立を決行。有終の美をかざる。執筆、講演、コンサルタントとして生きていく決心だった。

それから25年、 2005年に75歳での高齢での作家デビューが話題となった。 小説『信長の棺』は日本経済新聞に連載されベストセラーとなった。小泉純一郎総理がぶら下がりで紹介した本だ。その後、二人は親しくなった。小泉総理は「75歳から、あれだけの作品を書けるというのは、すごい気力、体力、想像力」と偲んでいる。

当時私も興奮して読んだ。「父の葬儀での蛮行、桶狭間奇蹟の大勝の真実、秀吉の策略、光秀の策謀と朝廷の裏切り、安土城築城の真の目的、本能寺の信長の遺骸未発見の謎解き、、、、。「信長公記」という正規の信長の伝記の作者・太田牛一の目を通して、信長像を縦横に語っている。信長の事跡について、今までの常識に挑戦する、新しい解釈の連続で興味深く読める。著者は1930年生まれというから現在75歳。高齢での作家転向、その第一作。中小企業金融公庫や証券会社ででキャリアを磨き、経済書、経営書を多数書く人物。仕事の合間に、信長を長く深く研究した形跡がある。」とブログに書いている。加藤は東京の出身だからだろうか、薩長中心の「司馬史観」にはくみしない。この点は半藤一利と同じだ。山岡鉄舟小栗上野介を尊敬している。もう一つの明治維新があるのだ。

加藤はその後も大活躍している。『秀吉の枷』(2006年、日本経済新聞社 全2巻 / 2009年、文春文庫 全3巻)。『明智左馬助の恋』(2007年、日本経済新聞社 / 2010年、文春文庫 全2巻)。『安土城の幽霊-「信長の棺」異聞録』(2011年、文藝春秋 / 2013年、文春文庫)、外伝で短篇集。『神君家康の密書』(2011年、新潮社 / 2013年、新潮文庫)。『謎手本忠臣蔵』(2008年、新潮社 全2巻) のち新潮文庫 全3巻。『空白の桶狭間』(2009年、新潮社) のち新潮文庫 。『求天記-宮本武蔵正伝』(2010年、新潮社)、のち「宮本武蔵新潮文庫 全2巻 。『水軍遙かなり』(文藝春秋 2014年) のち文春文庫 全2巻。『信長の血脈』(文春文庫 2014年)。『利休の闇』(文藝春秋 2015年) のち文春文庫 。『秘録島原の乱』(新潮社 2018年)。

『昭和からの伝言』や、エッセイを読むと人生観がわかる。「清貧でなく栄達でもない第三の道――意にかなわぬ人生よ、さらば!」の中身は、同じ職場に長居は禁物、仕事は人生の一部と心得よ、老いて死ぬ道はかくあるべしなどである。公庫を辞めた50歳から、87歳で亡くなるまで37年間あった。加藤廣はその後半に大輪の花を咲かせた遅咲きの人である。

昭和からの伝言

昭和からの伝言

 

 

新著『リーダー・管理職のための 心を成長させる 名経営者の言葉』の見本が届く。

 

4月20日発刊の新著『リーダー・管理職のための 心を成長させる 名経営者の言葉』(日本実業出版社)の見本が届いた。手に取りやすい版型、1200円。10日頃から書店に並ぶ。

https://www.amazon.co.jp//dp/4534056834/ref=sr_1_fkmrnull_1?__mk_ja_JP=

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早速、日本実業出版社のHPのコラムに掲載されている。

「戦後の日本を作り上げきた経営者たちが、挫折と再生、実験と実践を繰り返しながら発した言葉は、必ずやビジネスリーダーの心の糧になります」──久恒啓一(『リーダー・管理職のための 心を成長させる名経営者の言葉』著者)この4月に新年度を迎え、「心機一転、新しい目標に向かってがんばろう」と張り切るビジネスパーソンの皆さんも多いことでしょう。ここではそんな皆さんに向けて、「日本のカリスマ経営者による名言7選」をお送りします。これらの名言は、多摩大学特任教授で100冊以上の著書を持つ、久恒啓一さんの近著『リーダー・管理職のための 心を成長させる名経営者の言葉』に収められている83人のカリスマ経営者による名言から選んだものです。同書から、久恒さんによる人物解説とともに転載します。

https://www.njg.co.jp/?p=30227&preview=1&_ppp=0f34866321&fbclid=IwAR2JAeFEgUicosrsfedNI7LdIgUUw6hD0SB6BNsZ1FH4EddwY2mAeUikDAk

以下、抜粋。

時計の針は時間を刻んでいるのではない。自分の命を刻んでいるのだ。安藤百福 (あんどう ももふく 1910.3.5 〜 2007.1.5)「小さな疑問を一生かけて解いていく。常にまず疑問を持つことから始めたい。」

成功は窮苦の間に芽生えており、失敗は得意満面の間に宿る。越後正一 えちご まさかず 1901.4.26 〜 1991.4.2)「伊藤忠商事は2017年度、純利益3522億円の最高益をたたき出した。越後正一の「失敗は得意満面の間に宿る」という戒めに改めて心すべき時代になったのだろう。」

みんなが賛成するのは危険だ。それは新しくない。みんなが反対するから新しいのだ。清水達夫 (しみず たつお 1913.10.22 〜 1992.12.28)「驚きの提供、ワクワク感、常識破り、企画の切れ味、時代の波がしらの投影……。まさに雑誌は新しさが勝負であり、企画編集には革新的な若い感性が不可欠だ。その精神を「みんなが反対するから新しいのだ」と名編集者は喝破したのだ。」

流れに逆らっちゃいかん。しかし流れに流されてもいかん。弘世現(ひろせ げん 1904.5.21 〜 1996.1.10)「流れに逆らわず、流れに流されず、という弘世現の言葉には、経営者としての叡智が感じられる。」

情報化社会にあっては独創力こそ人間としての存在理由になる。賀来龍三郎(かく りゅうざぶろう 1926.5.19 〜 2001.6.23)「最近話題になっている、AI時代に人間は何をするのかという問いと迷いへの明確な解答だ。」

毎日毎日、嫌なことばかりだけれども、これは砥石で研がれているようなもんだな。新井正明 (あらい まさあき 1912.12.1 〜 2003.11.27)「古典には倫理観、文芸、歴史など、人間の生き方に関するすべてが入っているからだろうが、そういうものが本人と混然一体となっている。新井正明という人間そのものが、先哲と恩師という硬質の材料で練りあがっているという印象だ。」

自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ。江副浩正 (えぞえ ひろまさ 1936.6.12 〜 2013.2.8)「江副浩正のこの貢献は忘れてはならない。自分の最大の教育者は自分自身なのだ。」

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  • 午前、ブログ。「名言との対話」はアニメの高畑勲。新著『心を成長させる 名経営者の言葉』の見本が」10冊到着。一冊の本となった内容を改めて熟読。

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「名言との対話」4月6日。川内康範「ものを書くということは、田植えと同じことだと思う。田畑に稲を一本ずつ植えて、太陽の恵みと自然の調和によって、食べ物を作ってゆく。その営みと同じだね」

川内康範(1920年2月26日ーー2008年4月6日)とはどういう人物か。アマゾンの『生涯助っ人』 の商品説明には、「日本最後の無頼、疾風の人生絵巻!永遠のヒーロー『月光仮面』を生み、愛と別離の運命を描いた『誰よりも君を愛す』で日本レコード大賞をとり、『花と蝶』『君こそわが命』『おふくろさん』など大ヒットをとばした男、川内康範。歴代宰相の懐刀として、政界水面下で躍動!「生涯助ッ人」を信条に、危険をかえりみず、あらゆる権威に立ち向かう。「巷の雑犬」、「文化やくざ」と自から称する男、七十七年の無頼人生は、さながら火を吹く事件簿だ 」との記述がある。

「憎むな 殺すな 赦しましょう」。これは『月光仮面』を執筆する上での基本態度だった。月光の慈悲は、光を投げかけ、汚れを照らす。正義というものは説くものではなく、だまって示すものだ。「正義の味方」月光仮面は子ども時代に熱狂したテレビ番組だった。

作詞家としては350曲しか書いていないが、ヒット曲の多さに驚かされる。『骨まで愛して』(松尾和子)『東京流れ者』(小林旭)『愛は不死鳥』(布施明)『熱祈(いのり)』(美空ひばり)『君こそわが命』(水原弘)『恍惚のブルース』『伊勢佐木町ブルース』(青江三奈「おふくろさん」「花と蝶」(森進一)、、、。書いた小説が、映画になり、テレビになり、歌になっていった。歌はその国の状態を表す鑑だと考えていた。「演歌は人の志を運ぶ船である」、そして「何百、何千枚と書いた小説が忘れられて、歌だけが残っている」。小椋佳のコンサートを仙台で楽しんだとき、歌の持つ力の恐ろしさを感じたことがある。そして短い短歌や俳句だけが永い命を保っているのだ。

小学校を出ただけのまったくの独学で世に立った独学の人だ。「巷の雑犬」「文化やくざ」と自ら語っている。川内を知る人々の言葉も凄みがある。「颱風の目となる宿命を負った」「国士」「風雲児」「人間火山」、、、。

原爆投下は永久にアメリカも恥部としてぬぐい去ることはできない」という川内は、8年かけては310万人が犠牲となった太平洋戦争の骨収集を行っている。マレーシア、クアラルンプール、スマトラ、フィリピン、インドネシアベトナムラオスカンボジア。集めた遺骨を千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納めている。

また歴代宰相の政策顧問でもあった。佐藤栄作福田赳夫田中角栄鈴木善幸竹下登宮沢喜一、、、、。沖縄返還の時には、沖縄は自活できなければ日本に復帰してもみじめになるだけだとし、沖縄独立論をぶっている。空と海の資源を大切にした「ギャンブル立国論」を提示している。そして「今の日本に友邦と呼べる国はありますか」と答えに窮する問いを発している。日本には近隣の友達はいない。

「物書きは政治家と違ってうそを糊塗できない」という川内康範は、1996年の時点で遺書とも言うべき文章を書いている。「不戦、非戦を国是とした国家であるという旗幟を鮮明に顕し、その立場から発言や尽力を最後の最後まで貫け。戦争放棄である。『おれたちはいったい誰のために、なんのために死んだのだ?』という遺骨の訴えに答えなければならない」。故郷函館市松風町のグリーンプラザには「憎むな、殺すな、赦しましょう」と台座に刻まれ、拳銃を持った月光仮面の像がひっそりと建っている。

一本一本苗を植えるようにものを書く。やがて自然の恵みを得て実を結び、人々の食物になっていく。川内康範の無頼、疾風の人生絵巻は圧巻だ。

生涯助ッ人 回想録

生涯助ッ人 回想録

 

 

 

 

 

仙台:女性経営者の「経済研究会クラウドの会」で講演。知研東北でミニ講演。

10時:仙台の常宿のメトロポリタンホテルの喫茶で、税理士事務所の菊地さんと面談。今後のことを相談しながら、彼の次の戦略にもアドバイス

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12時。横野さんとアエルで待ち合わせて、昼食会場へ。8人ほどの女性経営者が参集。2時間ほど、「経済研究会クラウドの会」のトップのせんだい男女共同参画財団理事長の木須八重子さん、事務局長の荒岩商事の荒井美佐子さんらと楽しく歓談。

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14時半から、アイリスオーヤマのアイリス青葉ビル7階のアイリスラウンジで講演会。

テーマは「合意術ーータテの合意・ヨコの合意」。

ユーメディア、青葉ガーデン、阿部砂利建設、五葉商事、宮城運輸、鳴子ホテルマネジメント、仙台銀行、帝産キャブ仙台、マナビス化粧品、ブエモンスト、東洋環境開発、工藤電機、Tree of KLife 総合メディカルセンター、本田印刷、馬淵、美穂商事、都市ライフメディア、ケー・ワイ不動産企画、スルー・エージ、吉田由香行政事務所、イーアールアイ。

それぞれの企業・団体のトップたちだ。反応もいいので気持ちよく話ができた。

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・考え方がすばらしい。社是・社訓の図解化を検討します。

・知的生産は生きるための原動力であることを痛感しました。仙台にまた来てくださるように企画を考えます。

・鳥の視点に大変感動しました。

・お客様のクレームなどを図にし問題点を洗い出したいと思います。

・アウトプットが大切という言葉が心に響きました。

・素直に楽しくお話を聞くことができました。先生の図解ウェブの紹介で論理と実践を感じ興味が湧きました。コミュニケーションのヒントをいただけたので明日から前向きに取りくむ一助になります。

・とても興味深くお話をうかがいました。本も読みます。

・小説を書いています。とても面白かったです。

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17時からは、知研東北のメンバー4人との会合で図解の講義。

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19時半の新幹線で東京へ。

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「名言との対話」4月5日。高畑勲「漫画映画(アニメーション)を映画の一ジャンルとして少しでも表現力の豊かなものにしたい。『子供だまし』なんかではなく子供も大人もだまさない、いや、だまされて損をすることのないだまし方で作品をつくりたい」

 高畑 勲(たかはた いさお、1935年10月29日 - 2018年4月5日)は、日本映画監督アニメーション演出家プロデューサー翻訳家

 東映動画に入社。「安寿と厨子王丸」などで演出助手を経て、「狼少年ケン」を演出。1968年、劇場映画「太陽の王子ホルスの大冒険」を手がけ、TVアニメ「アルプスの少女ハイジ」「母を訪ねて三千里」「赤毛のアン」、劇場映画「ゼロ弾きのゴーシュ」「火垂るの墓」、文化記録映画「柳川掘割物語」を監督。プロデュース作品では「風の谷のナウシカ」「天空の城ラピュタ」がある。

 今回改めて「東北学」の赤坂憲雄との対談、アカデミー賞候補として受けたインタビューなど、高畑勲監督の映像をみた。高畑はアニメでは舞台設定が大事だという。ハイジは山の上に住み中腹に村があるという設定だった。港町という設定もある。そして水の都・柳川という設定を使う。物語がその舞台でまわっていくように選んでいるのだ。

2時間45分の『柳川掘割物語』は文化記録映画だ。広松伝という市役所の人の闘いを描いた。ゴミだらけの里山的自然。川掃除など人と川との煩わしい付き合い。水辺の風景を等身大の映像で描いた。

アカデミー賞候補となった『かぐや姫の物語』は簡単な筆遣いでさらっと描いた作品で、同じく候補作に選ばれた監督や脚本家からは、観察力と描写力を絶賛されていた。

火垂るの墓』は物語ではなく、どう生きたかを追体験するアニメであり、5歳の子ども起用した経緯なども語っている。困難に雄々しく立ち向かい、状況を切りひらき、たくましく生き抜く素晴らしい少年少女ばかりを描いてきたが、この作品では、戦場と化した街や村、そして修羅と化す人の心を描いた。

プロデューサーとしては、『風の谷のナウシカ』の宮崎駿監督の映画化に挑んでいる。「血沸き肉躍る宮崎アニメの得意技でファンを熱狂させつつ、原作ではまだ片鱗しかみせていない宮崎駿の思いのたけを徹底的にブチこんでもらいたい」と抱負を語っている。

高畑は「おもしろいことができそうだ」という感じが好きだった。「泣きじゃくる」とは、どういうことなのか、「ドギマギする」とは、どういう動きになるのか。そういう感情を具体的に表現するため、人間の心の動きを分解して再構成する。それをひとつずつ学ぶプロセスは発見に満ちていておもしろく感じている。そのおもしろさを求めて、次の作品にのめり込んでいく。

 意外なことに、宮崎駿と違って、高畑勲は絵を描かなかった。 高畑は絵への感覚を研ぎ澄ませて「絵がわかる」という状態にしておくと、「さまざまな才能と組むことができる」と考えていた。自分で描かないという立場であれば、「その人の絵の才能を発揮してもらう」という方向にもっていけるというのである。

高畑勲は漫画映画「アニメーション」を同志でありライバルでもあった宮崎駿とともに、映画の大きなジャンルに育てる役割を果たした。日本アニメは独特の存在感を放っている。 

映画を作りながら考えたこと

映画を作りながら考えたこと

 

 

 

久しぶりの仙台。ゴルフと講演と宴会。

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以下、感想。

・ものの見方、考え方を多面的にとらえていこう。自分がモデルのなれるよう精進。あっという間。

・64歳で新事業。勇気をもらった。

・実年期を思い切り過ごしたい。

・次回は90分の講演を

・反省しきり

・毎日なすべきことを考える習慣を持つ

・人生の豊かさを教えてもらった。

・「のことを言うのでなく、自分の背中をみせよ」と気がつきあmした

・偉い人とは影響力が印象に残った

・70歳。遅咲き人生。100年を生きるヒントをもらった。

 

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朝1番の日課であるブログをまず書く。「名言との対話」ではどうしても人が見つからず、ドイツの作曲家であるブラームスを取り上げることにし、何とか書き上げることができた。危機一髪。

電車で東京駅へ向かう。明日久しぶりの早朝の電車であり、京王線のダイヤ変更もあり少し戸惑った。新宿からは特急に乗れてなんとか10分前に東京駅に到着。新幹線の改札では、初めてのスマホモバイルSuica特急券を使って新幹線に乗ることにしていたが、少しトラブルがあった。車中で若い車掌さんにいろいろ聞いたが、本人はXperiaを使っていてiPhoneに詳しくなく、なかなか回答が来なかった。

自宅から仙台までの間にYouTubeで経済物を2本視聴する。1つは京大の藤井先生、もうひとつは三橋さん。2人とも消費税の増税で日本経済壊滅との主張。止めるとの予想を高く見積もっていた。そしてNHKの「聴き逃し」で、カルチャーラジオNHKアーカイブスで、「声で綴る昭和人物史」で昭和史を追っている保阪正康さんの番組を聴く。小泉信三がテーマ。本人へのインタビューは八木治郎アナウンサーだった。慶應義塾の塾長であった小泉信三はスポーツには3つの宝があるとしている。1つは練習は不可能を可能にする。次がフェアプレー精神。そして最後が友人である。70歳の時の録音だ。

仙台駅では富田さんが出迎えてくれた。久しぶりの仙台。そのままゴルフ場へ向かう。仙台時代よくゴルフをした安井さんと3人でハーフを回ることになった。安井さんはゴルフの名人で40で回った。アドバイスが非常に的確なのは相変わらずだ。冨田さんは前立腺がんの末期を告げられたが、奇跡的に数ヶ月で完全に復活をしたミラクルマンである。ゴルフコースはあの仙台大観音のコースだった。昨日まで寒かったそうだが今日はなかなか快適な天気。久しぶりにゴルフをやって気分が爽快だ。ただしスコアはまとまらない。終了後3人でお茶を飲んだ。安井さんは60歳を過ぎてからある会社の代表をしていた。その時の苦労話を聴いた。私の図解という考え方は仕事上大きなメリットがあったそうだ。

次に東北福祉大学のステーションキャンパスへ向かう。18時からアクティブエイジングの会での講演である。30数人の人が集まっていた。旧知の伊藤さんや粟野さんと挨拶。団塊世代から壮年の経営者やビジネスマンが多い。アクティブに年齢を重ねていこうという趣旨の会で今回が2回目のセミナーだそうだ。テーマは、「人生100年時代を迎え撃つ、アタマとココロの革命を」。1時間の講演。

終了後「ふるさと」で30人近く集まっての二次会。多くの人と話をして楽しい時間を過ごした。

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「名言との対話」4月4日。藤井 黎「政治家なんて、おれの人生のプログラムになかったことだよ」

藤井 黎(ふじい はじむ、1930年8月24日 - 2010年4月4日)は、日本の政治家。第29代 - 31代仙台市長。

 出直し市長選の候補として、その人柄を慕う多様な市民グループから担ぎ出された藤井は、後々まで「政治家なんて、おれの人生のプログラムになかったことだよ」と語っていた。

都心部の大規模に再開発され、百億円単位の「箱物」施設が次々に建設された一時代の後を受けて、藤井市長が掲げたのは、自身が長年実践してきたような「市民目線」と銘打つソフト路線だった。「市民協働元年」の宣言、「百年の杜づくり」プロジェクト、「せんだい男女共同参画財団」の設立、サッカー日韓WCでのイタリア代表チームのキャンプ誘致などが形になっている。

 1953年(昭和28年)3月 東北大学経済学部卒業。4月 河北新報社入社。1957年昭和32年)3月 東北大学大学院教育学研究科修士課程修了。8月 仙台市役所入庁職。総務局調査統計課長、企画局企画課長、企画局次長、を経て1979年(昭和54年)1月 教育長、1990年(平成2年)、4月 仙台市教育委員会委員長、6月 仙台市市民文化事業団理事長。そして1993年から、2005年まで仙台市長を3期務めた。

4月4日は藤井さんの命日だったが、仙台にいることもあり皆さんに藤井さんのエピソードを聞くチャンスをもらった。一つは地元の河北新報の記者から、いつタバコを強めたんですかと聞かれて、「高校時代」と答えた笑えるエピソード。もう一つは「市政だより」などで藤井市長は名文を書いていたという話。とても教養が深く、味のある文章だったそうだ。

私も仙台時代に少人数の会食で当時の藤井市長と懇談したことがあった。現在の奥山市長がまだ教育長だった時代だ。話題が豊富で教養が深く、そしてユーモアのある立派な人だった印象を持っている。

教育長を務めていたこともあり人望があり政治の場に担ぎ出された。自分の思い通りには人生は展開しない。

朝の戸田城聖から夜の長谷川慶太郎までの一日。

  • 朝の起き抜けに昨夜の読み残しの『戸田城聖』の伝記を読み終える。創価学会をつくった牧口、戸田、池田という3代の師弟による物語。
  • ブログを書く。生活スタイルが安定するまで、日常を詳しく書くことにする。
  • ブログ、noteの「名言との対話」は、昨日2日は戸田城聖「大革命をやるのだ。武力や権力でやるの革命ではない。人間革命という無血革命をやるのだ。これが本当の革命なのだ」。、未了だった1日は五味康祐を選び書く。流行作家として敬遠していた人だが、守備範囲の広い人物だった。「私が死ぬとき、もし、天候に異変があったら、わたしはベートーヴェンのもとに往くのだ、そう思ってくれと家内に言ってある」。何ごとかをなした人物と取り組む朝の時間は私にとって至福の時間だ。続けよう。
  • 朝食。朝は最近では東京MXテレビの「モーニングクロス」を見るようにしている。堀淳キャスターの感覚が若いのとコメンテーターの幅が広いこと、そして年代別・男女別にニュースの反応がわかるので参考になる。そしてBSを見るようになってきた。
  • 梅棹忠夫著作集11巻の「情報産業社会における芸能」「唯物論政府」「ミナト神戸の運命」を読了。情報産業の時代という視点からの論稿は意外性に富んでいて、納得させられるところだらけだ。この切り口ですべてを切ることができる。
  • 大学へ行くか迷ったが、明日からの仙台での講演3件の資料をパソコンに入れることが自宅でできたので、行く必要がなくなった。今晩、もう少し内容を考えよう。
  • 仙台の富田さんから電話。明日の午後のゴルフ(ハーフ)の件。仙台到着時間の確認あり。
  • 昼食は家内と近所の柚木庵。
  • 帰りは公園を散歩しながら、いくつもの種類の桜を楽しんだ。
  • ハッシュタグとブログのカテゴリーのやり方を勉強。
  • 八木さんに電話。「新・深・真 知的生産の技術」効果で3月会費支払いが増加。久米さんのデータを八木さん、根岸さんに送るよう頼まれた。八木さんのライフワークも出版の目途がついたようでうれしい。
  • 近所の病院で先週の血液検査の結果を聞く。今夜来る看護師の娘に見てもらおう。
  • 橘川さんから電話。デジタルビジネス・イノベーションセンターの西野弘さんと会って、私のことも話題になったということで連絡あり。新潟、寺子屋、、、。
  • 4月1日からのブログのテーマをどうするか。今までは「副学長日誌」的な内容が主だったが、テーマを変える必要がある。「新・毎日が日曜日」か、「非常勤という働き方・行き方」か、「エッセイ」中心か、「読書録」か、「人・旅・本」か、「知的生活と知的生産」か、、、、、、、。もう少し考えてみよう。
  • 最近読んだ出口治郎『知的生産術』と堀正岳『知的生活の設計』の役に立った部分をチェック。今夜、重要部分をアップしよう。どちらもいい本だが、若い著者のIT関係の情報はありがたい。
  • 夕刻、豊洲に住む娘と葵唯ちゃんと歩夢くんが来る。和やかな夕食会。
  • 夕食後、2つの本のポイントをピックアップする。
  • 明日からの仙台行きの準備。仙台の横野さんから講演の打ち合わせ。
  • 人間学を学ぶ月刊誌『致知』5月号が届いたので、風呂で読む。国際エコノミスト長谷川慶太郎のインタビューが載っている。昭和2年生まれで92歳。200冊を超える著書がある。私が30代前半の頃に、ご自宅でインタビューしたことがある。当時はベストセラーを連発していた。まだ現役なのだと知って驚いた。この雑誌で長谷川は「歩くこと」を強調。人に会うことと現場をみること。現場を押さえるから絶対の自信がある、それが仕事の基本。長谷川慶太郎は1985年の「情報化社会の本当の読み方」で、冷戦の終焉と東側の完敗を予言した。ゴルバチョフが注目しソ連を訪問している。1991年にはソ連は崩壊。まさに生涯現役のモデルだ。
  • さて、一杯飲んで寝ることにしよう。ただいま22時過ぎ。---------------

出口治郎『知的生産術』。 

知的生産術

知的生産術

 

「 還暦ベンチャー古稀学長」の人。世界80数か国、1200都市を自分の足で歩いた人。立命館アジア太平洋大学(APU)学長。

  •  知的生産とは、自分の頭で考えて、成長すること。
  • 人・旅・本
  • 数字、ファクト、ロジック
  • 影響力=仕事量Xスピード

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堀正岳『知的生活の設計』。 

知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略

知的生活の設計―――「10年後の自分」を支える83の戦略

 
  • 知的生活とは、新しい情報との出会いと刺激が単なる消費にとどまらず、新しい知的生産につながっている場合。
  • 知的積み上げ。引用文コレクション。
  • Sportifyのマイリストで関連音楽を開拓。
  • #project365。毎日アップ。写真など。
  • テレビをやめようPC
  • 3000冊。電子書籍と併用で1万冊の蔵書ライブラリー。
  • 寺田倉庫のminikura。写真で閲覧可能。
  • 「ひらくPCバッグnano」。仕事道具をひとまとまりに。
  • 知的生活の大伽藍。ブログの検索性を高める。カテゴリ分けとタグづけは入念に。
  • ライフハックLIveshowという番組で発信。
  • メイソン・カリー「Daily  Rituals」(天才たちの日課)。
  • 「文賢」。日本語執筆のサポートツール。
  • ホームオートメーション。TpP-Link WiFi スマートプラグを使う。
  • モバイルバッテリーOmnicharge.電源自体。
  • マッハ新書。
  • ブログLIfehacking.jp

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「名言との対話」4月3日。ヨハネス・ブラームス私は本当に幸福です。
つまり私は音楽のことだけを考えているのです。
私は音楽に恋しているのです」

 ヨハネス・ブラームスJohannes Brahms1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツ作曲家ピアニスト指揮者

ドイツロマン派を代表する作曲家。ドイツ古典派音楽の伝統を尊重し、ワグナー・リストらの新ドイツ派に対立して絶対音楽的な立場に立った。主要作品は四曲の交響曲、バイオリン協奏曲・ピアノ協奏曲のほか、「大学祝典序曲」「ドイツレクイエム」「ハンガリー舞曲」など。J.S.バッハベートーヴェンと共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される.。

著名な外国人が生きた時代は、日本史の中の人物では誰と同じ時代かと考えると、その人のことを想像できる。ブラームスより2歳年下の福沢諭吉は、ブラームスの死の4年後の1901年に亡くなっているから、福沢と同じ時代を生きたことになる。

作曲家の芥川やすしが肺癌のため逝去したときの最後の言葉は「ブラームス一番を聴かせてくれないか、、、あの曲の最後の音はどうなったかなあ」だったというエピソードもブラームスの影響を垣間見ることができる。

ブラームスは創作意欲の衰えにより一度は作曲活動を中断する。1891年に知り会った名クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏により再び創作意欲を取り戻した。ブラームスが優雅で艶やかな音色のクラリネット五重奏曲」を作曲したのは58歳だ。著名な人が同じ年齢で何をしたかと調べてみた。セルバンテスが「ドン・キホーテ」を発表したルソーが「告白」を執筆した。 永井荷風が「墨東綺譚」を発表した。高村光太郎が「智恵子抄」を発表した。山本周五郎が「青べか物語」を発表した。盛田昭夫が「ウオークマン」を発売した。私は宮城大から多摩大へ転職した年齢だ。

この出会いは晩年に創作意欲を失いかけたブラームスを目覚めさせた。ブラームスはその後何年にもわたって立て続けにクラリネット作品をつくっている。大橋巨泉がタケシという才能の登場に刺激されて再度チャレンジしたことを思い出した。尊敬する才能を見出してくれたシューマンへの尊敬心や同時代のライバルであったワーグナーへの対抗心ではなく、中年の危機を救ったのは名演奏家との出会いであり、自分がやるべき音楽をどこまでもやり続けるべきだとの使命感の再発見だった。音楽に恋したブラームスは、終生独身だった。