袖井林二郎「拝啓 マッカーサー元帥様 占領下の日本人の手紙」(岩波現代文庫)
拝啓マッカーサー元帥様―占領下の日本人の手紙 (岩波現代文庫)
- 作者: 袖井林二郎
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2002/06/14
- メディア: 文庫
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この間、多くの日本国民は寛大な施政者であったマッカーサーに感謝の念を抱いて従っており、その熱狂ぶりは1951年5月15日の米上院軍事外交委員会においてドイツとの比較において「日本人はまだ生徒の時代で、まだ 12 歳の少年である」と述べてこの部分だけが伝えられ熱狂が一気に冷却するまで続いている。
9月の上旬からこの最高権力者に届き始めた手紙は50万通、小学生から政治家まで、日本全国津々浦々から届きている。公開が念頭にないこの資料は第一級の歴史資料であり、著者の袖井はその一部と格闘し、日本人の本質に迫ろうとした。
以下、一部を抜粋。
「日本を米国の属国となし被下度御願申上候」「貴国と合併し貴国の命のままに動くことに於いてのみ日本は救われる」「日米の合邦」「なるべくなら植民地のして下さい」「スパイにして欲しい」「米日合併一体となりて救わるるか、さもなくば共産主義制度によりて復興するか、、」「家業を捨てて米軍に入りたい」「アメリカの手先に使用させて下さい」
強者への擦り寄り、弱者の恫喝、など、当時の日本人の心の動きが散りばめられており、興味深い。
著名人の投書も多い。布施辰治、白瀬中尉の次女、中浜清、児玉誉士夫、世耕弘一、鳩山一郎、、、。
久米正雄は手紙ではないが当時「「日本はアメリカの第49州となるほうが幸福」との論陣も張っていた。
- 「三年たつと、どんな軍事的占領も。それ自身の重みで崩れ始める。」
- 第一生命ビルのGHQに週7日、一年365日通いつめるという猛烈なスケジュール。
- 日本人の書いた自分の伝記なら翻訳部隊に全訳させて、それを手に入れることさえやる人間
- 複雑な性格の持主。二面性。
- 北朝鮮軍が38度線を越えて南に進撃した知らせを聞いたとき、見る見るうちに10歳は若返った。
- 国家警察予備隊の創設と海上保安庁員の増員の指令。米軍が出動したあとの国内治安維持のための「軽武装の警察隊」だった。
日本の戦後を考えるとき、マッカーサーについての本を読むことが必要だ。同じく袖井林二郎の「マッカーサーの二千日」を読み始めた。
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今日は誕生日だったのだが、facebookで物凄い数のお祝いのメッセージが届いた。これほどの祝辞は初めてだ。コミュニケーションツールとしてのソーシャルメディアの可能性を感じる。http://www.facebook.com/hisatune
たまたま上京中の母と弟夫婦と私たち夫婦で食事会をしたのだが、誕生日とは母親が私たちを生んだ日であることに気がついた。誕生日とは子供が母親に感謝すべき日である。横浜ランドマークタワーの68階。
日本丸と横浜みなと博物館を見学。日本丸は外洋練習船。山下公園の氷川丸はシアトル航路の貨客船で太平洋戦争のただ一隻の生き残り。238回の太平洋横断。
1923年の関東大震災で横浜は10万戸のうち80%以上が被害。22000人の死。港の復旧に2年。1935年に復興記念横浜大博覧会を開催。
操船シミュレーションに挑戦。「目的地に到達したことを証明します」という航海達成記念証をもらう。
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