魯山人の「料理王国」--志の高い芸術の革新者、予言者。

北大路魯山人(1883-1959年)の「春夏秋冬 料理王国」を読了。

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫)

春夏秋冬 料理王国 (ちくま文庫)

天下を制覇した赤坂の星岡茶寮の料理人募集広告が魯山人の志の大きさを語ってる。
この星岡茶寮は、日本の貴人・2000人以上が会員となっていたという伝説の料理屋である。「星岡の会員に非ざれば日本の名士に非ず」と言われた。
「日本料理と限らず、美的趣味を持ている人。絵画、彫刻、建築、工芸等、芸術に愛着を持ち、今日まで食物道楽で変人扱いを世間から受けるくらいの人。そうして非常に健康な身体を持った人」
これはまさに魯山人そのものではないかと思う。
料理人とは本来これくらいの人を呼ぶのだ。

料理というものは他の芸術と違って、再現性が乏しい。写真で料理を撮っても、味を言葉で語っても、食べた本人以外はなかなか真髄を味わうわけにはいかない。
魯山人は、食器は料理のキモノであると言い、良いものがないからとって自分で作陶し見事な雅陶をつくる。
魯山人には全生活を美に染めた千利休と同様の嗜好を感じる。料理は芸術であり、魯山人は芸術家として一つのジャンルを極めていった。芸術の革新者だった。

日本は中国やフランスと違って、材料が豊富で山海に美味が満ちており食材が段違いに優れている。だから美味不味は十中九までは材料の選択にある。食器の美しさ、盛り方のデザイン、居室の美しさなども世界無比である。
中国は明代の食器が一番美的に優れているかた、料理がすすんでいた証拠だ。
フランスは明治時代の若者が日本料理を知らぬまま留学などで味わってほめたのだが、魚介も肉も材料が悪いから大したものではない。

「今に諸外国の人間が日本に来ることは、日本の刺身が食いたいためである、と言われるまでに至るであろうことが想像される」と1960年段階で書かれたこの本に書いてある。日本食が注目され、世界遺産となった時代を予言していたのだ。
魯山人は独学独歩で芸術の頂点を極めた人だった。

  • 志を高くもって、料理を味わい、人間を高くしたものです。
  • 身銭を切って食ってみること。本気でそれを繰り返してこそ、初めて味が身につき、おのずとわかって、真から得心がいくのである。