多摩大学主催シルバー・デモクラシー企画第三弾「山梨ぶどうX講座」

 多摩大学主催シルバー・デモクラシー企画第三弾「山梨ぶどうX講座」に参加。

7時半に永山から出発、山梨で過ごした後、20時過ぎに永山に到着。

 バスの中での講座

駒澤大学青木茂樹先生

・多摩大の趙先生

・私も5分ほど石橋湛山を解説。

  南アルプス市中央図書館の「ふるさと人物室」で石橋湛山を学ぶ。

2年落第で大島校長の薫陶。同級生に早川のりつぐ(東京メトロ)、中村せいほ。書斎にクラーク博士の肖像。早大学部首席(哲学)・中村は英文科首席。特待生。1940年8月25日「日本の未来は明るい。科学立国」。初の衆院選で落選するも大蔵大臣。石田博英松永安左エ門。「わが5つの誓」。

途中で、金丸一元市長の挨拶。「農業は楽しい。面白い。中野地区。10歳から18歳。望月日顕

名取えいいち(沼津市長)が地元対応をすべて行う。支えた人物。

東京タワーを建てた内藤多仲博士は「鉄塔博士」「耐震構造の父」。歌舞伎座

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南アルプス市ゆかりの人物「再発見」。17人。こういう企画は素晴らしい。

穴吹朝次郎(政治家)。石橋湛山(総理大臣)。ウェストン(近代登山の父)。小野徹’医師)。小野要三郎(果樹栽培)。河西豊太郎(文化人実業家)。北村雄治(北海道開拓)。功刀亀内(甲州文庫)。内藤多仲(東京タワー)。名取春仙(歌舞伎浮世絵版画)。埴原正直(外交官)。福田甲子雄(俳人)。矢崎きよみ(愛育の母)。矢崎源九郎(言語学者)。若尾逸平(甲州財閥)。

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甲州市勝沼「ぶどうの丘」。

・270度の絶景を眺めながら、バーベキューの昼食。

・講義

・・久恒「教養としての人物記念館巡り」:「山梨の人物記念館。教養とは? 二つのライフワーク。人物記念館の旅。わかったこと。人生100年時代のモデル。漱石山房記念館。名言の宝庫、、」20分

・・斉藤秀樹(南アルプス市教育委員会)「南アルプス市」20分

・ワインテイスティング

・懇親会

「IBM」「テニス」「日野市臨職」「稲毛。長州」「薬剤師。永山」「化学。ITリレー講座」「宮古島。49歳。」「長野移住。給食ボランティア。介護福祉士」「川崎。3世代同居」「73歳。公開講座」「団体。8年」「町田。夫とホスピス。初年度から。アクティブに」「山淵。日経と朝日。音楽」「広告。多摩センター。歩き」「世田谷。呉服業。マンション管理。メディアの会」「GIN。観光」、、、、。

・NHKビデオ「石橋湛山吉野作造。石橋:日中双方で冷戦を緩やかに解凍。第三原理。吉野作造片山哲南原繁丸山真男。増田弘「勇気」。選択肢を広げた。発想の柔軟性。、、」

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私の図解の本を読んでいる人。私のブログを毎日読んでいる女性。九大理学部化学科卒の女性。、、、。

さて、この3回シリーズの財産をどう生かすか。

 

「名言との対話」11月5日。入江泰吉「花は究極の美」

入江 泰吉(いりえ たいきち、1905年明治38年)11月5日 - 1992年平成4年)1月16日)は日本写真家

奈良市生まれ。画家を志すが断念するも、長兄からベストコダック・カメラを譲りうけ、写真に打ち込む。26歳、大阪で写真展「光芸社」を開業。文楽人形を撮影した「春の文楽」で世界移動写真展一等賞を受賞。文楽の写真家として活躍。40歳、疎開先から戻される東大寺法華堂四天王像を目撃し、アメリカに接収されるとの噂を聞き、写真に記録することを決意し、以後、奈良大和路の風景、仏像、行事等の撮影に専念する。『古色大和路』『万葉大和路』『花大和』で菊池寛賞を受賞。2009年には平城遷都300年記念・入江泰吉賞をが設けられる。

全作品のフィルム8万点を奈良市に寄贈、1992年に「入江泰吉記念奈良市写真美術館」が奈良市高畑にオープンした。高畑の志賀直哉旧居の近くにある美しい写真美術館を2014年に訪ねた。

入江の風景写真はしっとりした情感がふれており、山本健吉は「ミスター・ウエット・イリエ」と評した。また薬師寺高田好胤管長は入江の表現を「入江節」と呼んでいる。土門拳がシャッターを数多く切るのに対し、入江は納得のいくまで対象と対話し、「よし」と思ったときに、一度だけシャッターを切ったという。

53歳の初の本格写真集「大和路」以来、「仏像の表情」「お水取り」「古色大和路」「東大寺」「唐招提寺」「萬葉大和路」「阿修羅」「室生寺」「花大和」「仏像大和路」「四季大和路」「大和路有情」「万葉の花を訪ねて」「大和路巡礼」「新撰大和の仏像」「法隆寺」などの写真集が続々と刊行されている。まさに「大和」が入江のライフワークであった。

入江は晩年は「万葉の花」シリーズの撮影に時間を費やしている。風景や背景の入った大和路の作品とは違って、万葉時代に咲いていた「花」という芸術の原点そのものの美に迫っていった。入江は「自然造形にこそ美の根源があり、そこから芸術が生まれ育ってきたのではないだろうか」と考えたのだ。「万葉の花」は最晩年に入江が辿ついた美の境地であった。