知研セミナー:矢矧晴一郎「天才教育」

17時:八木さんと雑談

17時半:知研幹部定例打ち合わせ:八木、高橋、福島。

18時半から知研セミナー。講師は矢矧晴一郎先生「天才教育の提案」。

・天才=先天的に才能が優れており、世界初・世界一の業績をあげた人。

ダ・ヴィンチノイマン知能指数300)。ガロア(250)。ゲーテ(210)。シュリーマン南方熊楠北斎。武蔵。、、

・凡人(普通)--達人(一芸)--名人(複数芸)--天才(10以上の芸)

・天才=生まれつき3分の1、運命3分の1、努力3分の1

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・ 頭は疲れない。頭は年をとらない。使うほどよくなる。電子情報の往来だから。

・天才追い越し法:凡人を抜け出す決意。天才の弱みで追い越す。天才より有利な条件を見つけ、それを生かして天才の強みを追い越す。天才にない才能を追加する。後天的天才になる。

ダ・ヴィンチは音楽が弱み。::曲・演奏・編曲・複音演奏などを身につける。有利な条件:パソコンを使い強みを追い越す。プログラムで絵を追い越す。1600万種の色・密度24万ドット。ダ・ヴィンチにない才能:2カ国語。私は20カ国語使える。

・何でも上達法:速くやる、深くやる。広くやる。

・文章・図解・表・グラフにはそれぞれ70種類。全部で280種類を覚えればよい。

・文章は調べないで書く。体験、経験で書くから速い。

・書くことは「再体験」

・百人力の自己育成:146の才能。1日100冊。1年で図書館(法律は過去の判例から新しい法令。原子物理学は理論・実験・説明、、)。語学、コンピュター、数学、インターネット、創造力、、。

・不可能可能化法:世界初のノウハウを200考案(困らせる。電子トランペット。助ける。夢の実現、ロボット開発、、)

・著書240冊(経営・コンピュータ・能力開発)。60万冊。

・健康:88歳病気無し。虫歯無し(1日8回)。酒・タバコやらず。近眼を矯正。

米寿ながら完全な健康者。能力開発の理論開発と自分への応用で天才となった人。受験勉強をしなかったために自由に才能を伸ばした人。125歳まで生きるとの意志の人。諦めないという生き方の人。感銘を受けた。

終了後、近くの酒場で懇親会。

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13時:大学運営委員会

 

 

「名言との対話」1月26日。野中広務「「運・鈍・根」、つまり、運を得ることと、それを焦らず活かすための不断の努力、そして根性が、人間の進み方として一番必要じゃないかと思っています」

 野中 廣務(のなか ひろむ、1925年大正14年)10月20日 - 2018年平成30年)1月26日[1] )は、日本政治家

本日、野中広務の訃報あり。野中は旧制中学卒業後国鉄に入職。敗戦時、坂本龍馬像の前で自決をしようとして上官から「死ぬ勇気があるんなら、日本の再興のためにがんばれ」と諭され、思いとどまった。町議会議員、町長、京都府議会議員、副知事を経て、1983年の60歳近くで衆議院議員に初当選し、自治大臣国家公安委員長内閣官房長官自民党幹事長を歴任。「叩き上げ」であったが、小渕・森政権では「影の総理」と呼ばれれるほどの実力者になった遅咲きの政治家だった。

「この国の歴史で被差別部落出身の事実を隠さずに政治活動を行い、権力の中枢までたどり着いた人間は野中しかいない」と魚住昭『差別と権力』の中で書かれている。悪魔と呼んだ小沢一郎との確執と和解、小泉・安倍政権への批判など、政界引退後もその発言は注目された。

 

「戦前の私たちは知らないうちに教育され、戦争に突入した。私はこうした民族性に恐怖を感じる」と語っている野中は、虐げられた人々への配慮、沖縄問題への深い関心、中国・韓国・北朝鮮との間合いの取り方など、政治スタンスはハト派だった。軍隊生活を経験から、「一番まずかったのは集団的自衛権の行使を認める安保法制をつくり、戦争をできる国にしたこと。他国の人を傷つけ殺すことは、自分たちも殺されることになる」とも発言している。反差別と反戦の政治家だった。

 「ケンカは必ず格上とやるべし」という野中は「豪腕」「政界の狙撃手」など強面の武闘派のイメージを私は持っていたが、一方で社会的弱者への視線を絶えず持っていたことも後で知った。30代から無報酬で自ら設立した障害者施設「京都太陽の園」の理事長を長く務めていた。それは政治活動の休息の場となり、愛情と情熱を注いだ野中の人生最後のよりどころになっていた。

「運・鈍・根」という人生訓は、人との縁を大事にし、不断の努力を重ね、不屈の根性で生きぬけというアドバイスだろう。自分を厳しく叩き上げた野中広務の言だけに深く刺さるものがある。合掌。