梅棹忠夫著作集第22巻第三部「著作と編集」----著作集をあむ、ということ。

梅棹忠夫著作集第22巻第三部「著作と編集」を読んだ。著作集の刊行、増巻、編集と刊行と題された内容を熟読した。また、第二部の最後の「著作目録をつくる」「引紹批言録のこと」「著作集をあむ」もあわせて読んだ。 

梅棹忠夫著作集 (第22巻) 研究と経営

梅棹忠夫著作集 (第22巻) 研究と経営

 

 50歳の誕生日を迎える年、1970年のはじめにに自祝の意味で著作目録をつくることを思い立った。9年たって59歳、著作目録が1979年にようやく完成する。ところが1986年に両眼の視力を失う。その年の9月に「著作集をやろう」という気になり、1987年に編集室をひらく。1989年10月に第1回配本、15巻の予定で以後2ヶ月に1冊で刊行された。1992年に刊行が終了。7巻の増刊が決まり、1993年4月に第22巻「研究と経営」が終了した。著作目録作成を決心してから、23年経っている。後の人の参考になるようにと徹底した資料収集と詳細な吟味が行われた一大事業である。誰も真似のできない壮大で秀麗で体系的な知的構築物が完成したのである。初めての活字になった20歳から50年以上経った73歳での人生の中じきりだった。

「著作のことは著者自身が記録し、管理するのがいちばんよい」「わが生存のあかしともいえるものは、著作をおいてほかは何ものもないのである」「著作とは公表された刊行物でなければならない」「権利と責任」「個人アーカイブスの形成」「400字詰原稿用紙5万枚」「半分。だから全集ではない」「梅棹忠夫対談集」「自選自編著作集」「筆債。40冊の完済」「戦後日本の産物」「解説・追記・註」「シンクロニックな体系」「多少の自信」「現実をみすえ、世界を理解しようとつとめてきた」「現代世界の人類史的意味を解読しようとする、ひとつの努力のあと」「著作集の定本づくり」「総索引の作成は大仕事」「別巻は案内図」「A5判600ページ。一ページ2.5枚。1000枚から1500枚」「単行本3冊分」

全集:特定の人物の全著作、全文章を収録したもの、または主な著作等を選び編集したもの。選集:個人または複数著作者作品の中から、代表的なものを選んで編集した書物。  著作集:ある人物の著作を集めて編集した書物。

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ジム

・ストレッチ。ウオーキング45分。筋トレ。ストレッチ。サウナ(新)。バス。

・通い始めて3か月。週2-3回。ほとんどの数字が目に見えて向上していることを確認できた。

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「名言との対話」5月28日。小島武夫「博打にロマンなどない。しかし、美学がある」

小島 武夫(こじま たけお、1936年2月11日 - 2018年5月28日)は、競技麻雀プロ雀士である。。日本プロ麻雀連盟初代会長。

「ミスター麻雀」と言われた小島武夫にとっての「仰ぎ見る師匠」は、雀聖、大神と呼ばれた阿佐田哲也である。

若い頃は「常に高い手を狙い、手が安いときは相手の動きを見ながら極力勝負を避けるというシンプルな戦略」で鳴らした。振り返ってみれば、私は毎回和了しようとしていた。こういう考え方でも知っていれば、大学4年生で覚えた私のマージャンスタイルも変わったかもしれない。

「博打はどれだけ我慢ができるかの勝負である。ツキがないときは繊細に、ツキ始めたら大胆に。じっと我慢して風向きが変わるのを待ち、風向きが変わればおっかぶせていく。感情的になったら負け。怒るのも、浮かれすぎるのもダメ。どちらも思考力が鈍るので一番怖い。どんな戦いでも、冷静でいなければならない」。

「ギリギリのところで勝負するからこそ、感覚が研ぎ澄まされ、勝ちをグッと引き寄せることができるのだ」「 麻雀は、ディフェンスあってこそのオフェンスである」

マージャンは「選択」と「決断」の連続である。配牌は環境。ツモと打牌は、経験と実績。テンパイ・リーチは好機と挑戦。和了と振り込みは成功と失敗。得点や順位は成功の度合い。こうやってみると、麻雀は人生そのものだと改めて思った。

カネは豪快に稼ぐが、カネは残らない。そして「カネが貯まってしまうと、人間ろくなことがない」と言い、「カネを稼ぐのは大事なことだが、それ以上にカネを遣うことのほうが重要なのであるとのたまう。小島の博打人生は「借金に惚れ、借金を抱き、借金と付き合う」日々だった。麻雀という極道の道を歩いたこの人は、一度腰をおろせば、もう立ち上がることはできない、ということを知っていたのだ。進むしかないのである。

麻雀に関わる勲章は以下。最高位(第3・4期。無双位(第1期)。マイルドセブン杯(第1期)。最強位(第2期)。麻雀グランプリMAX(第1期)。モンド麻雀プロリーグ名人戦(第5回)。天空麻雀(第9回)。麻雀Battle of generation(第2期)。

  「博打にロマンなどない。しかし、美学がある」という言葉のとおり、小島は「魅せる麻雀」が信条だった。麻雀に美学を求めるスターだった。その美学とは、「プロであるなら、ファンに感動を与えなければならない」であり、つまらない手を和了らない、そして入念にいい手を作り上げ、印象に残るような和了を見せて、ライバルを軍門に降らせる。そういう考えだったから、敵は恐れた。しかし、ファンは多かった。 

ろくでなし 伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年

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