「日経ビジネス」電子版11月13日号の「インタビュー」欄ーー「50歳からはじわじわと人生を歩んだ遅咲きの人に学ぼう」

日経ビジネス」電子版11月13日号の「インタビュー」に登場。6ページ。顔者写真付き。本日のアクセスランキングでは、2位と3位と4位の間を上下しているから、かなりの頻度で読まれているようだ。電子版は無料登録もでき、毎月3本の記事は無料で読める。全文は、以下。

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「名言との対話」11月13日。川手ミトヨ「入市被爆(にゅうしひばく)

川手 ミトヨ(かわて ミトヨ、1889年明治22年5月15日 - 2003年(平成15年)11月13日)は、存命人物のうち世界最高齢だった日本の女性。スーパーセンテナリアン。

川手 ミトヨ
生誕 1889年5月15日
日本の旗 日本広島県安芸郡
死没 2003年11月13日(114歳没)
日本の旗 日本広島県広島市
死因 肺炎
住居 日本の旗 日本広島県
国籍 日本の旗 日本
職業 農家

広島県安芸郡馬木村(広島市東区)の農家に生まれた。広島への原爆投下直後に知人を探すために市内に入って「入市被爆」したといい、被爆者健康手帳を持っていた。 100歳頃まで農作業をしていたが、手の怪我などでやめる。その後車椅子とベッド生活になり、1993年10月から死去までの約10年間を特別養護老人ホームで暮らした。

2003年10月31日本郷かまとの死去により、ギネス世界記録から存命人物のうち世界最高齢と認定された。しかし僅か2週間後の同年11月13日、肺炎のため川手も死去した。114歳と182日。川手の死去に伴い、存命人物のうち日本最高齢は小山ウラに、また、存命人物のうち世界最高齢はプエルトリコラモナ・イグレシアスになった。なお、2012年になってギネス世界記録は本郷かまとの記録を非公認とした。これにより、川手が世界最高齢になったのは中願寺雄吉が死去した2003年9月28日であったことになった。

以上の年齢の日本記録、世界記録に関する詳細な記述は、長生きの人を紹介するウィキペディアには必ず出てくる。年齢以外にも、日数も記録されている。スポーツの世界の日本記録、世界記録と同じ扱いだ。

広島での原爆投下直後、知人を探すために広島市内に入っており、入市被爆した。被爆には直接被爆と間接被爆(土壌や黒い雨や死の灰によって間接的に被爆)と入市被爆がある。「入市被爆」という言葉を初めて知った。救援活動、医療活動、親族探しなどで被爆地に入り、残留放射線などで被爆した人を指す言葉だ。原爆投下後2週間以内に爆心から約2キロ以内に入った人に与えられる被爆者健康手帳を川手ミトヨは交付されている。ただ実際の原爆症認定では、ほとんどの場合却下されている。

被爆者でありながら、享年114というスーパーセンテナリアン(110歳以上)となるまで生き抜いた人である。一口に114歳というが、明治22年から、大正、昭和、戦後、平成という長い長い年月になる。この間にあった2度の世界大戦、敗戦、数度のオリンピック、、などの苦楽に彩られた生涯に頭が下がる思いがする。