日本工業倶楽部にて寺島さんの「シルバー・デモクラシー」(岩波新書)出版パーティ。

午後、以下を訪問。

  • 下丸子:五十嵐賢治記念洗濯資料館(白洋舍創業者)。

 「副学長日誌・志塾の風170228」

夕刻、丸の内の日本工業倶楽部にて。

  • (一社)日本総合研究所の松岡所長と打ち合わせ
  • 寺島さんの「シルバー・デモクラシー--戦後世代の覚悟と責任」(岩波新書)出版記念講演会。

数百名の紳士・淑女たちが前のめりの姿で真剣に聴き入っている風景は圧巻だ。

シルバー・デモクラシー――戦後世代の覚悟と責任 (岩波新書)

中年の危機。使命感と出会い。小成。デモクラシーの危機。BEXITとトランプ。直接民主主義パラドックス。大衆操作。ジェネレーション・ギャップ。エラスムス構想。キャンパス・アジア。歴史認識。シルバー・デモクラシー。日本の民主主義の危機。宗教改革500年。ルター。ザビエル。アメリカ。ロシア革命100年。社会主義の幻想のおびえた100年。関東大震災治安維持法社会主義の自壊。マネーゲームの跋扈。グローバリスム。リーマン食。羅針盤のない状態。世代。2008年に人口ピーク。異次元の高齢化の進行。老人による政治。戦後世代は私生活主義(不干渉)と経済主義(金)。都市中間層(核家族・ニューファミリー)に期待したが。国道16号線沿い。単身世帯化。独居老人。

  • 懇親会

挨拶:岩波書店の岡本社長。カネカの菅原社長。佐高信「幾たびも背きし父の墓洗う」「馬鹿な大将敵より怖い」。桜ゴルフの佐川社長。

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寺島:BS週刊寺島文庫。寺島文庫世田谷ハウス。戦略経営塾150社。作品を積み上げることによって前進したい。

 

「名言との対話」2月28日。高山樗牛「己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらむ」

高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代日本文芸評論家思想家東京大学講師文学博士明治30年代の言論を先導した。31歳で夭折。

鶴岡出身。一高不合格、二高仮入学と、二度にわたって志望校に不合格。優等生を続けてきた樗牛に及ぼした影響は小さくなかったろう。

1900年には文部省から美学研究のため海外留学を命じられ、帰国後は京都帝大の教授が内定していた。しかし洋行の送別会後に喀血、療養生活に入り、洋行を辞退する。1902年には文学博士。日本主義、ロマン主義ニーチェ主義、日蓮主義など主張の変遷甚だしいのだが、明治思想史を駆け抜けたともいえる。

4歳年上の夏目漱石が「高山の林公」呼ばわりして、ライバル視した。「樗牛なにものぞ。、、只覇気を弄して一時の名を貪るのみ。後世もし樗牛の名を記憶するものあらば仙台人の一部ならん」と門下の小宮豊隆宛の手紙に書いている。樗牛に押されていた門下生を鼓舞したのだろう。

谷崎潤一郎は「何一つとして独創性の認められるものはないではあいか」「案外俗才があり、世渡りが巧かった」と厳しい。また鴎外、逍遥、嘲風らとの論争が多く、短い生涯のほとんどが論争の連続だった。

狷介でなかなかの難物だった高山樗牛だが、冒頭の言葉には惹かれる。己の立っている場所しか掘ることはできない。そこを深く、深く掘り進める。地下水に到達すると、その水はあらゆる分野につながっていることを発見する。それがわかるか、わからないかが勝負なのだ。

日本工業倶楽部にて寺島さんの「シルバー・デモクラシー」(岩波新書)出版パーティ

午後、以下を訪問。

西馬込川端龍子記念館(日本画家)。熊谷恒子記念館(書家)。

下丸子:五十嵐賢治記念洗濯資料館(白洋舍創業者)。

 

「副学長日誌・志塾の風170228」

夕刻、丸の内の日本工業倶楽部にて。

  • (一社)日本総合研究所の松岡所長と打ち合わせ
  • 寺島さんの「シルバー・デモクラシー--戦後世代の覚悟と責任」(岩波新書)出版記念講演会。

数百名の紳士・淑女たちが前のめりの姿で真剣に聴き入っている風景は圧巻だ。

シルバー・デモクラシー――戦後世代の覚悟と責任 (岩波新書)

中年の危機。使命感と出会い。小成。デモクラシーの危機。BEXITとトランプ。直接民主主義パラドックス。大衆操作。ジェネレーション・ギャップ。エラスムス構想。キャンパス・アジア。歴史認識。シルバー・デモクラシー。日本の民主主義の危機。宗教改革500年。ルター。ザビエル。アメリカ。ロシア革命100年。社会主義の幻想のおびえた100年。関東大震災治安維持法社会主義の自壊。マネーゲームの跋扈。グローバリスム。リーマン食。羅針盤のない状態。世代。2008年に人口ピーク。異次元の高齢化の進行。老人による政治。戦後世代は私生活主義(不干渉)と経済主義(金)。都市中間層(核家族・ニューファミリー)に期待したが。国道16号線沿い。単身世帯化。独居老人。

  • 懇親会

挨拶:岩波書店の岡本社長。カネカの菅原社長。佐高信「幾たびも背きし父の墓洗う」「馬鹿な大将敵より怖い」。桜ゴルフの佐川社長。

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寺島:BS週刊寺島文庫。寺島文庫世田谷ハウス。戦略経営塾150社。作品を積み上げることによって前進したい。ま

 

「名言との対話」2月28日。高山樗牛「己の立てるところを深く掘れ、そこには必ず泉あらむ」

高山 樗牛(たかやま ちょぎゅう、 1871年2月28日(明治4年1月10日) - 1902年(明治35年)12月24日)は明治時代日本文芸評論家思想家東京大学講師文学博士明治30年代の言論を先導した。31歳で夭折。

鶴岡出身。一高不合格、二高仮入学と、二度にわたって志望校に不合格。優等生を続けてきた樗牛に及ぼした影響は小さくなかったろう。

1900年には文部省から美学研究のため海外留学を命じられたが、帰国後は京都帝大の教授が内定していた。洋行の送別会後に喀血、療養生活に入り、洋行を辞退する。1902年には文学博士。日本主義、ロマン主義ニーチェ主義、日蓮主義など主張の変遷甚だしいのだが、明治思想史を駆け抜けたともいえる。

4歳年上の夏目漱石が「高山の林公」呼ばわりして、ライバル視した。「樗牛なにものぞ。、、只覇気を弄して一時の名を貪るのみ。後世もし樗牛の名を記憶するものあらば仙台人の一部ならん」と門下の小宮豊隆宛の手紙に書いている。樗牛に押されていた門下生を鼓舞したのだろう。

谷崎「何一つとして独創性の認められるものはないではあいか」「案外俗才があり、世渡りが巧かった」。また鴎外、逍遥、嘲風らとの論争が多く、短い生涯のほとんどが論争の連続だった。

狷介でなかなかの難物だった高山樗牛だが、冒頭の言葉には惹かれる。己の立っている場所しか掘ることはできない。そこを深く、深く掘り進める。地下水に到達すると、その水はあらゆる分野につながっていることを発見する。それがわかるか、わからないかが勝負なのだ。

本日発売の週刊ポスト3月10日号にインタビュー記事。

週刊ポスト3月10日号(小学館)にインタビュー記事。

週刊ポスト 2017年 3/10 号 [雑誌]

タイトルは「人生75年を「十五番勝負」(嵐山光三郎提唱)に喩てみたら……」で、著名人(鳥越俊太郎、、)と一般人に、5年ごとの勝敗を振り返ってもらう流れ。コメントはその後の締め。

===

こうした自分の過去を振り返る「自分史」に詳しい「自分史活用推進協議会」名誉顧問の久恒啓一・多摩大副学長は言う。

団塊世代を中心に自分史ブームが起きています。年を重ねると『体が言うことをきかない』『お金がない』と自己否定に陥りがちです。この十五番勝負のように、自分がこれまで何勝何敗だったかを知ることは、失敗が自分に勇気を与えたことや、ある人との出会いが自分の転機になったことなど、人生の『つながり』を発見できます。“黒星”が続いてしまった人でも、『仕事ではそうだったが趣味ではいいことがあった』という発見もあるはずで、今の自分に対して自己肯定感が持てるようになるのです」

 たとえ負けが込んでも、相撲とは違い、人生の十五日目の千秋楽(75歳)に必ずはね太鼓が鳴るわけではない

「75歳以上を後期高齢者と言いますが、100歳以上の人口が3万人を超える日本ではまだまだ若い。後期高齢者からスターが現れる時代なのです。十五番勝負のように75歳までの自分史を振り返ることで、未来に向けて舵を切る。挽回もできるわけで、ここからどう生きるかが大事になるのです」(同掲)

 十五番勝負で人生は終わらずに、十六番、十七番と続いていくのだ。

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「名言との対話」2月27日。白鳥省吾「万巻の書を読み 千里の道を行き 生死をを天に任じ 世界の山河に放吟す」

白鳥 省吾(しろとり せいご、1890年2月27日 - 1973年8月27日)は、日本詩人文人ウォルト・ホイットマンの詩の翻訳者としても著名。

81歳で、生涯の師であるホイットマン(近代の思想と科学を詩に取り入れほめたたえた詩人)の詩蹟を訪ねて長男東吾のいるアメリカへ旅行をする。

 ロッキーの残雪超えて開眼す

 白亜館の噴水噴出し花紅し(ホワイトハウス

築館町の白鳥省吾記念館を訪問した日に、隣に建っている図書館に「白鳥省吾賞授賞式」という張り紙があった。何と2月27日はこの人物の誕生日で、賞の受賞式典がある日だったのだ。偶然に驚く。99歳の娘の白鳥園枝も詩人で、受賞式のために文章を寄せていた。この人の作った詩では千昌夫が歌ってヒットした「星影のワルツ」が有名だ。

在籍した早稲田大学では坪内逍遥島村抱月らが教鞭をとっていた。卒業時の総長は大隈重信だ。藤村・晩翠の新体詩に影響を受ける。生涯の著作は、80冊。詩以外に随筆、民謡、同様、校歌作詞なども手がけた。郷里宮城県のかなりの数の校歌は省吾の作品が多い。築館町民歌、岩出山町民歌、塩釜町民歌、岩出山小唄、鳴子温泉小唄、中新田小唄、厳美渓小唄、若柳小唄、高清水音頭、栗駒音頭、松島甚句、女皮小唄、、、。

「真の詩とは実生活を鮮やかに感じ、自分の生活をよくするために存在するのである」という白鳥省吾は民衆派詩人と呼ばれた。

冒頭の詩では、万巻、千里、生死、天、世界と、大いなる世界の中で詩を詠む姿が浮かんでくる。意気軒昂な大柄な人物を思わせる。

後援会主催の就職セミナー充実。退職教員送別会の大いなる夕べ。

 「副学長日誌・志塾の風170226」

  • 経営情報学部講演会・役員会

・私は冒頭の挨拶で「多摩大の現状報告」

・2017年度役員選出の相談。後援会運営日程。2016年度補正予算。副会長交代。

・課長報告:水嶋教務課長「アクティブラーニング元年。成績の向上。ホームゼミ」。黒瀬学生課長「課外活動。学生会。多摩祭。フットサル部。女子フットサル。スケート部」。早河就職課長「後110数人。3年生が始まった」

・昼食

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  • 経営情報学部後援会主催「就職セミナー」

・私は冒頭の挨拶「多摩大の現状報告」:文科省改革ランキング。全分野で量の問題はほぼ解決。質の向上へ。離学率に焦点。アクティブ・ラーニングの多摩大。提供プログラムを信じて。

・2017年度のキャリア支援:奥山先生「名目99%、実質86.3%。上場企業率。満足率。、、}

・就職活動の準備について:浜田先生「準備。スケジュール前倒し。3年生の10月上旬には仕上がり。出費10万プラス交通費、、、」

・4年生が語る「役立つ準備。就勝の実際」:梅澤先生

・・米倉聡之介(日本航空):TOEIC175点から850点に。フィリピン語学留学。韓国済州島フォーラム。アメリカ交換留学。ニューヨークでインターンシップ

・・栗生明奈(HOYA):ゼミ活動中心。

・・金井沙樹(リーブライフテンティワン):オープンキャンパス支援活動。

・・土屋建人(イトーヨーカ堂):地域活動。キャリア支援が充実。

第2部はゼミ別懇談会:保証人とゼミ担当教員の懇談

日本航空に総合職で入社する米倉君と。

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  • 退職教員送別会:ラウンジ。大森先生。樋口先生。酒井先生。奥山先生。

私は冒頭の挨拶。

教授陣が退職教員をねぎらいながら、遅くまで語り合う。

いい風景だなあ。

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「名言との対話」2月26日。ヴィクトル・ユーゴー「第一歩は何でもない。困難なのは、最後の一歩だ」

ヴィクトル=マリー・ユーゴー: Victor, Marie Hugo[1]1802年2月26日 - 1885年5月22日)はフランスロマン主義詩人小説家七月王政時代からフランス第二共和政時代政治家1959年から1965年まで発行されていた5フラン紙幣に肖像画が採用されていた。

フランスのロマン主義の指導者として多くの傑作を書いた文豪ユーゴーは、民主主義者としてナポレオン三世の野心を攻撃し、19年にわたる亡命生活を余儀なくされた。その間に傑作小説「レ・ミゼラブル」や多くの詩集を刊行し、世界的文豪となった。そしてナポレオン三世普仏戦争で斃れると民衆の大歓迎を受けてパリに戻った。

「あと千人しか残らなくなっても、よし、私は踏みとどまろう! あと百人しか残らなくなっても、私はなおスラ(古代ローマ独裁官)に刃向かおう。 十人残ったら、私は、十番目の者となろう。 そして、たったひとりしか残らなくなったら、そのひとりこそはこの私だ!」

冒頭の言葉は、文豪ユーゴーではなく、民主主義者としての政治家・ユーゴーの絞り出した言葉である。難しいのは長い間戦い続けることであり、勝利に向かう最後の一歩である。19年に及ぶ亡命生活を送り、その境遇の中でも大いに敵に立ち向かった人の気迫の言葉であり、心打たれるものがある。

教授会(卒業判定)。FRC(研究発表会)。FD(プレゼミ)。

「副学長日誌・志塾の風170225」

教授会

・卒業判定:ストレート卒業率改善

・進級判定

・学部長報告:2017年度予算。2017年度事業計画。3つのポリシーなど。非常勤教員人事。2学部1研究科の入学者数の見込み。

 

FRC(研究発表会):司会は栢原先生。

・清松先生:わが国上場企業における財管一致に関する調査。医薬品業界における国際財務報告基準の会計数値への影響。

「自分へプレッシャーをかける意味で補助金をとるようにしている」

・今泉先生:尤度比を用いたモデル削減と予測精度の維持

・村山先生:日本におけるソーシャルビジネスの現状と課題

「課題は資金と人材」「寄付金、会費、助成金補助金、借入金のポートフォリオが重要」「文化庁トヨタ財団大和証券福祉財団、キリン福祉財団、具申会、キワニスクラブ」「会う、足を運ぶ」

 

FD(来年度のプレゼミ)司会は下井先生

・杉田先生

・下井先生:私の志

・飯田先生:読書セミナー

・趙先生・金先生

 

「名言との対話」2月25日。ジョン・フォスター・ダレス「成功の程度を測る尺度は、どんなむずかしい問題を解決したかではない。去年と同じ問題が今年もまた持ち上がっていないかどうかである」

ジョン・フォスター・ダレス(1888年2月25日-1959年5月24日)は、アメリカ合衆国の政治家。日米安保条約の生みの親とされる。1952年から1959年までアイゼンハワー大統領の下で国務長官をつとめた。

「他のアジアの国々に対して日本人が、しばしば持っていた優越感と、西側陣営の「エリート・アングロサクソン・クラブ」に入る、という憧れを満たすことで、日本人のアメリカやイギリスなど西側陣営に対する忠誠をつなぎ止めさせるべきだ。日本を再軍備させ、自分たち西側陣営に組み入れるということと、一方、日本人を信頼し切れないというジレンマを日米安全保障同盟、それは永続的に軍事的に日本をアメリカに従属させるというものを構築することで解決した」と述べていると、ジョン・ダワーはその著「容赦なき戦争 太平洋戦争における人種差別」で書いている。永続敗戦論、、、、。

国務長官の兄とCIA長官の弟という秀才兄弟は、表と裏で、第二次大戦後の世界を強権で制圧した。二人の根底には、「アメリカは特別な国さ」という信念と「永遠の真実」を信じる宣教師的信条があった。徹底した善悪二元論国益を追求するアメリカの行動原理の推進者であった。

歴史のなかで賛否両論の評価はあるが、ダレスは稀にみる仕事師であったことは間違いない。冒頭の言葉には、ダレスの仕事ぶりの真髄が垣間見える。難問の解決で喝采を浴びるのではなく、眼前にあらわれる問題に対応し解いて、1年後にまた同じ問題が登場しないように、踏み固めていくのが組織の進歩を意味するのだ。

大学経営会議・大学運営会議

午前は、多摩キャンパス。

午後は、九段。

「副学長日誌・志塾の風170224」

多摩キャンパス

  • 団塊坊ちゃん青春記」を全教員のメールボックスに配布
  • 川手課長から報告。「青春記」を手交。
  • 久保田先生へ「青春記」を手交
  • 水谷室長へ「青春記」を手交
  • 卒業判定・進級判定会議:ストレート卒業率
  • 金子先生:学生を連れての欧州視察
  • 水嶋課長・公平係長・中沢さんに「青春記」を手交。
  • 図書館に「青春記」を寄贈。
  • 入試の酒井さんに「青春記」を手交

「青春記」は徐々に、学内に配っていくことにしたい。

 

高野課長の車で九段へ

文庫カフェで会議の準備

九段サテライト

  • 学長への報告と打ち合わせ:多摩大出版会の進行状況。「団塊坊ちゃん青春記」を贈呈。「名言との対話(命日編)」の企画。今年の著作の企画の説明。「ふるさと四季報」の相談。人事関係、、、、、。
  • 第2回 自己点検評価委員会
  • 大学経営会議・大学運営会議

  審議事項

  ・2017年度多摩大学予算案(宮地事務局長)

  ・2017年度多摩大学事業計画(宮地事務局長)

  ・3つのポリシー、アセスメントポリシー(久恒「志」入試センター長)

  ・教員人事(非常勤):経営情報学部・グローバルスタディーズ学部

  報告事項

  ・大学戦略会議(国際)報告(久恒副学長)

  ・全学組織の学長任命(宮地事務局長)

  ・各セクション報告

    経営情報学部(久恒)・グローバルスタディーズ(安田)

    大学院(徳岡)・学長室(小林)

  ・事務局報告:ファクトシート

  ・学長から:

    ・「地域」「大学院」「学会」。

    ・2学部の入学者数は極めて好調。大学院も追い上げ。

  ・理事長から:感謝

  • 安田学部長へ「青春記」を手交
  • 徳岡大学院研究科長へ「青春記」を手交
  • 田村理事長と懇談:「青春記」を贈呈

 

「名言との対話」2月24日。スティーブ・ジョブス「ベストを尽くして失敗したら、ベストを尽くしたってことさ」

スティーブン・ポール・“スティーブ”・ジョブズ(Steven Paul "Steve" Jobs、1955年2月24日 - 2011年10月5日)は、アメリカ合衆国実業家資産家作家教育者である。アップル社共同設立者の一人である。アメリカ国家技術賞を受賞している。

「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい」

「我々は宇宙に衝撃を与えるためにここにいる」

「人は見せてもらうまで、何が欲しいかわからないものだ」

「前進し続けられたのは、自分がやることを愛していたから。自分が愛せるものを見つけなければならない」

「素晴らしい仕事をする唯一の道は、それを好きになること」

「将来を見据えて点と点をつなぐことはできない。できるのは後からつなぐだけ。だから、いつか点がつながることを信じなければならない」

iPadのような製品をアップルが作れるのは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点に立ちたいといつも考えているからだ」

「進み続けよ、決して安住してしまってはいけない」

「絶対にマネのできない、マネしようとすら思わないレベルのイノベーションを続けろ」

「ユーザーは体験から始めて、そしてテクノロジーにさかのぼるんだ」

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定を私は本当にやりたいだろうか?」

「成功者であることの重さが、再び創始者になることの身軽さに置き換わったのだ」

イノベーションは誰がリーダーで、誰が追随者かをはっきりとさせる。自分がクオリティの基準となりなさい」

「とにかくつくってみんなに見せ、どう思う?と聞くしかありません」

「残りの人生も砂糖水を売ることに費やしたいか、それとも世界を変えるチャンスが欲しいか?」

イノベーションは、研究開発費の額とは関係がない。、、、、大事なのは金ではない。抱えている人材、いかに導いていくか、どれだけ目標を理解しているかが重要だ」

「仏教には「初心」という言葉があるそうです。初心をもっているのは、すばらしいことだ」

iPodiPadiPHoneの発明者・スティーブ・ジョブスは名言の宝庫だ。

久恒啓一「団塊坊ちゃん青春記」(多摩大出版会発行。メタ・ブレーン発売)の発刊予告。

久恒啓一団塊坊ちゃん青春記」(多摩大出版会発行。メタ・ブレーン発売)の発刊予告。191ページ。1600円。3月1日発行。アマゾンで先行予約予定。全国の書店注文可。

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探検部中心の大学時代。羽田、札幌、ロンドン、成田に勤務し、結婚するまでの社会人時代。抱腹絶倒、波瀾万丈の笑いと涙の20代の青春を活写。登場人物は実名を採用。漱石の「坊ちゃん」と北杜夫「どくとるマンボウ青春記」を意識している。

 「著者紹介」もいつもとは違うスタイルを採用。

大分県中津市生まれ。現在、多摩大学副学長。九州大学探検部卒業。在学中に奄美群島(鹿児島県)、八重山群島(本土復帰前の沖縄)を探検。将来は月に行けるかもしれないと考え、1973年、航空会社をフィールドにして社会探検を開始。企業(日本航空)とNPO法人(知的生産の技術研究会)、大学(宮城大学多摩大学)の世界を探検中。

 

「副学長日誌・志塾の風170223」

多摩キャンパス

  • 事務局との定例ミーティング

九段文庫カフェ

  • 松本先生:打ち合わせ
  • 多摩大出版会打ち合わせ:橘川客員教授、松本先生、メタブレーン太田さんと。・出版会の第一弾。久恒「団塊坊ちゃん青春記」 橘川「深呼吸する言葉」   ・2冊のトライアル出版を題材に多摩大出版会の詳細を検討。目途が立った。
  • 寺島学長、現る:多摩大出版会の進行状況説明。明日の打ち合わせ時間確保。

神保町の古本屋を散策。「内村鑑三のことば」「芥川龍之介のことば」「新渡戸稲造」「人物一日一言事典」を購入。1000円余。

 

「名言との対話」2月23日。本多光太郎「産業は学問の道場なり」

本多 光太郎(ほんだ こうたろう、1870年3月24日明治3年2月23日) - 1954年昭和29年)2月12日)は、日本の物理学者金属工学者冶金学者)。

東北帝大総長。東京理科大初代学長。鉄鋼及び金属に関する冶金学・材料物性学の研究を、日本はもとより世界に先駆けて創始した。磁性鋼であるKS鋼新KS鋼の発明者として知られる。第一回文化勲章受章者。 「鉄の神様」「鉄鋼の父」などとも呼ばれ鉄鋼の世界的権威者として知られる。1932年に日本人初のノーベル物理学賞の候補に挙がっていた。

「今日のことを今日できない者は、 明日のことがまた明日できないのです」

「人間には待機の時代と断行の時代とがあります。潜伏の時代と飛躍の時代とがあります。じっと好機の到来を待つ間も大事ですが、ひとたび好機到来となれば機敏にチャンスをつかまえる気力がなくてはなりません」

本多光太郎は並外れて高い身長で五尺八寸(178センチ)で、あせらず、いそがず、坂道をのぼっていく牝牛のようであったらしい。「ナァ」という接尾語(?)をつけるクセがあった。「待遇など問題でないわナァ」、外人にも同じだった。This is ナァ a  pen.という具合だった。わかったのだろうか。外観などは無頓着だったから、本多総長は小使いさんに間違われたとのエピソードもある。

実学の伝統のある東北大学の土台をつくった本多光太郎は、「産業は学問の道場なり」との含蓄のある名言を吐いている。現実の産業界の問題を解決しようと努力する過程で学問が磨かれていくのだ。学界と産業界の関係を見事に言い当てている。産学連携の場は、学問を志す者を鍛える道場である。