自分史の日(8月7日)の講演--「遅咲きの偉人に学ぶ人生百年時代の生き方」

今日の収穫

・習慣は格言が肉となり、血となったものである。(アンリ・フレデリックアミエル)

・この人生には、無数の教訓がちりばめられている。しかし、どの一つをとってみても万人にあてはまるものはない。(山本周五郎

・一つの嘘を本当らしくするためには、いつも七つだけ嘘を必要とする。(マルティン・ルター

・自分の過ちを認めることほど難しいものはない。事態を解決に導くには素直に自分の落ち度を認めるのが何よりである。(ディズレイリ)

・もっともよい教師とは、子どもとともに笑う教師である。もっともよくない教師は、子どもを笑う教師である。(アレクサンダー・S・ニール)

・年齢とともに良くなるとか、悪くなるとかいうこではない。だんだんと自分らしくなっていくということなのだ。(ロバート・アンソニー

・一日に少なくとも一つは自分の力にあまる事を成し遂げようとしない限り、どんな人間でも大した成功は期待できない。(エルバート・ハバード)

・仲間に愛されていること、そして自分の存在がみなに安らぎを与えているという実感。これにまさる幸せはない。(シャーロット・ブロンテ

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以下、講演会の案内から。

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一般社団法人自分史活用推進協議会では、2018年8月7日(火)「自分史の日」に、「自分史で人も街も元気に!」をテーマに、連合会館(東京都千代田区神田駿河台)にて「自分史まつり‘18」スペシャセミナー(入場無料)を開催します。

人生百年時代が言われ、あらゆる世代が地域で自立して生きることが問われるなか、人生を100年という長さでとらえ直してみませんか? 協議会では、8月7日(日)「自分史の日」に久恒啓一多摩大学副学長を講師にお迎えし、「遅咲きの先人に学ぶ人生百年時代の生き方」をお話いただきます。

また、「まちなみで人も街も元気に」と精力的に活動している利根川英二・マーチングアカデミー塾長を迎え、「まちなみ」からの地域おこし、マーチング!「全国まちなみ百景」の活動から見えてきた人も街も元気になる方法をお話しいただきます。

10:20 – 11:10 スペシャセミナー1
遅咲きの先人に学ぶ人生百年時代の生き方

講師 久恒啓一多摩大学副学長

高齢社会はリスクではなくチャンスが増える社会です。高齢者のスターが生まれる「遅咲き」時代です。ライフワークの「人物記念館の旅」で見つけた先人の生き方と珠玉の名言から人生百年時代を生きる勇気と智恵をもらいましょう。

プロフィール
日本航空(株)を早期退職し宮城大学教授に。その後、多摩大にて教鞭をとっている。著書は『図で考える人は仕事ができる』(日経)、『遅咲き偉人伝』(PHP)など百冊を超えている。

2018年8月7日(火)「自分史の日」に自分史まつり‘18「スペシャルセミナー」開催! | 協議会のイベント | 一般社団法人自分史活用推進協議会

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「名言との対話」7月29日。松原泰道「人の心に光を灯す説法をしたい。そのために生きている間は学び続けたい」

松原 泰道(まつばら たいどう、1907年11月23日 - 2009年7月29日)は、日本臨済宗僧侶

 東京府生まれ。早稲田大学文学部卒。岐阜県瑞龍寺で修行したのち、臨済宗妙心寺派教学部長を務める。

還暦を過ぎた1972年に出版した『般若心経入門』(祥伝社刊)は記録的ベストセラーとなり、仏教書ブームのきっかけを作った。1976年に発足した宗派を超えた仏教者の集い「南無の会」会長をつとめた。南無の会仏教の基本的な教えを学んでもらう活動を行った。この会は1984年には正力松太郎賞を受賞している。1989年には仏教の普及・伝道に功績あった者に授与する賞である仏教伝道文化賞を受賞。1999年には、禅を基本とした宗門向上の諸活動に功績があった個人・団体に贈られる禅文化賞を受賞。影響力の大きな僧侶である。

100歳で『人生を癒す百歳の禅語』を出版していることに驚いた。この本の中で、心頭滅却、柳緑花紅、眼横鼻直、一期一会などの禅語を解説している。2009年、肺炎で101歳で死去。様々な賞の受賞でわかるように禅僧としての精力的な活動以外にも、100歳での出版という快挙、100冊を超える著書の出版という影響の大きさ、そして101歳という長寿での臨終、この人は敬服すべき百寿者である。

「生涯修行、臨終停年」「人生、還暦からが本当の自分の人生だ」「人生不可解なり。といって華厳の滝を飛び降りた人が居ましたが、人生不可解だから学び続けるのであり、学べば学ぶほど分からないことが出て来るから永遠に学び続けるのです」

自分自身で己の心・精神の働きを観察し続ける内観という方法を用いて、完全な人格者となることを目的とするのが禅の修行である。松原泰道は、内省し、学び、自分を磨き続け、そこで得た真理で説法し、人々の心に光を灯し続け、多くの人を救った。この人は禅の道を生きぬいた名僧である。

 

 

 

 

 

新著『100年人生の生き方死に方--百寿者(センテナリアン)からの伝言』(さくら舎)の見本が届く

 8月4日発刊の新著の見本が10冊届いた。215ページ。1400円。

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 まえがき

 人生100年時代が到来しつつある。日本では「百寿者」というが、欧米では一世紀を生き抜いたという意味で「センテナリアン」と呼んでいる。この時代をリスクととらえる風潮が多いが、私は千載一遇のチャンスとみるべきだと思っている。

人生80年時代といわれた頃から「志学・而立・不惑知命耳順従心」という孔子の人生訓から脱却し、超高齢時代にふさわしい人生の考え方を私は提唱してきた。人生50年時代を1.6倍すると、志学は24歳、而立は48歳、不惑は64歳、知命は80歳、耳順は96歳、従心は112歳となる。24歳から48歳が青年期、48歳から64歳が壮年期、64歳から80歳が実年期、80歳から96歳が熟年期、96歳から112歳が大人期、それ以降125歳まではは仙人期と考えたらいい。人生100時代と言われるようになってようやくこの考え方を納得してもらえるようになったのではないか。20代半ばから80歳まで、青年期と壮年期と実年期とあわせて3つのキャリアを持てる時代になったし、その後も3期あるのだ。

さて、2018年6月7日に私が毎日書き続けているブログ「今日も生涯の一日なり」が5000日を迎えた。このブログでその日が命日と誕生日の偉人を対象に、心に響いた言葉と人生の軌跡と私の感慨を記すという修行を2016年、2017年に行った。その中から90歳以上の地平に立った人々を抜き出したのが本書である。

また、2005年から始めた「人物記念館の旅」は、すでに800館を超えてライフワークとなってきたが、「偉い人」の条件が自分なりにわかってきた。それは影響力ということである。深く、広く、そして長く影響を与える人が偉い人だ。彼らの共通項は7つある。「仰ぎ見る師匠の存在」「敵との切磋、友との琢磨」「持続する志」「修養・鍛錬・研鑽」「飛翔する構想力」「日本への回帰」である。その分類ごとに高齢順に並べている。107歳と最高齢の平櫛田中を含め、訪問した記念館やそこで入手した資料や書籍から拾った言葉を使っているから、知られていない名言も多いはずだ。

百寿者は2050年には53万人になるとの予測はあるが、現在ではまだ7万人であり数は多くないので、この本では90歳以上の人を取り上げることにした。「平成」の次の時代が見えている今、超高齢化時代を生きる読者に耳を傾けていただければ幸いだ。

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「名言との対話」水島廣雄「小を大に、大をトップに育てることこそ人生の快事である」

 水島 廣雄(みずしま ひろお、1912年4月15日 - 2014年7月28日)は、日本実業家民法学者。東洋大学名誉教授、法学博士

1936年に中央大学法学部を卒業し日本興業銀行(現みずほ銀行)に入行した水島廣雄は、サラリーマン生活を送りながら「不動担保の研究」で法学博士号を取得。東洋大学法学部教授を兼務し、担保法の権威だった。

入社した当時のそごうは、大阪、神戸、東京の3店しかない中堅百貨店にすぎなかった。それが社長就任時、売上高数百億円の弱小デパートだった。から約30年後の1991年、老舗百貨店を抜いてグループ売上高を1兆2000億円まで伸ばして、「日本一の百貨店」の栄冠をつかんだ。デパート王。それを支えたのが、思い切った多店舗展開だった。都心ではなく都下や千葉市横浜市など東京周辺部駅前一等地に地域一番店を出店、一時は国内外合わせ40店舗を誇った。バブル崩壊後、過剰投資が裏目に出て、過去最大の1兆8700億円の負債を抱えて、民事再生法の適用を申請し、破綻に至った。

「負ければ賊軍。でもね、横浜などにそごうは残せたね」。 確かに、経営破綻はあっても、「法人は死せず」だ。

大都市から一定の距離を置いて虹のように取り囲んで出店するレインボー戦略を、国道16号線を対象に具体化する。高度成長で増加したサラリーマン層を吸収した公団、団地、マンション林立する地域である。横浜、多摩、柏と、16号線上にそごうがあった。川口、大宮、千葉、茂原のそごうもその戦略の一貫だったのだろう。多摩そごうも、鈴木俊一・元東京都知事が「人口30万人になります」と押したが、実際には15万人にとどまった。多摩地域では多摩センター・南大沢・橋本・八王子と、半径10km程度の範囲に4店舗を出店する計画があり、橋本を除き、実際に出店している。

「破綻の責任はある。しかし決して放漫経営ではなかった」。行政に頼まれ、銀行に後押しされて出店した店も多かった。

 水島廣雄は、小を大にし、その大をトップに育てた怪物である。「メーカーの時代は終わった」と言った中内功ダイエー、「安く仕入れたら安く売れ」と言った和田良平の八百半、「愚直さが相手の心を打つのです」と言った堤清二西友など、成功と失敗を経験した彼らも水島と同じく人生の快事を成し遂げた人たちである。水島廣雄は、さらに102歳での大往生という快事をも成し遂げている。「年配者は貴重な体験を明日に活かせ、若者は夢をもて」と励ました続けた人柄を慕う人も多く、100歳のお祝いの会には250人が出席している。水島は波瀾万丈のを生き切った百寿者(センテナラン)である。

 

春学期の学部と大学院の授業が終了--多摩(学部)、九段(大学戦略会議・大学運営会議)、品川(大学院)

多摩キャンパス

・9時:秘書と打ち合わせ。

・10時:橘川先生:ドウハウス。性教育。ロート。無限教師。

・10時40分:学部授業「ビジネスコミュニケーション」の春学期最終回。最終レポート「2018日本の論点」の論考を図解すること。

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九段サテライト

・14時:大学運営委員会:

・・戦略会議の報告は「教務」で、テーマは「ゼミ力の多摩大に向けた実質化を進めること」。大学の実力。、、、。

・・学長「進化と深化。質の向上。「ジェロントロジー宣言」。ふるさと納税を税源としたサービス。お盆渋滞。精神の軸。墓じまい・寺じまい。専門から何か附加を」

・15時30分:大学戦略会議:テーマは「学生」で、離学対策の意見交換。

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品川キャンパス

・18時半:瀧川課長

・19時:大学院授業「インサイトコミュニケーション」の春学期最終回。最終レポートは「私の仕事」。

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以下、受講生の感想から。

・最終回の講義で私の仕事について受講生の仕事について聞きました。それぞれ色々な仕事をしているのだと驚きでした。また留学生は自分の生活について発表されみなさま苦労しているのがわかりました。私は自分の仕事について生活のために収入を得るための仕事、社会的活動をボランテアとして無報酬でしている仕事に分けてお話ししました。この講義は自分の考えを図解として捉えまとめるのに非常に有益な講義でした。ありがとうございました。

・・図をいつ出すかが勝負。・図の大きさ、矢印の太さ、色の工夫。・図解したうえで「私の仕事」を一文で表すと?。講義ありがとうございました。皆さんの図解を見ながらいろいろな表現の仕方を学びました。また、日頃の業務等でも図解でイメージしようとすることが多くなりました。

・私の仕事について図にしたときにどうしても同じ業界目線でかいてしまうと思いました。何もわからない人にプレゼンする気持ちで表現すればさらに詳しく繊細なものが出来上がると実感しました。仕事上、図で表現することが多いので本講義で学んだことを存分に発揮して生かして行きます。ありがとうございました!

・初めて見る人に向けてプレゼンする場合、皆さんが疑問に感じる点を図解に記載するという点は、論文発表にも通じるものがあるのかな。と感じ、勉強になりました。今回は情報を整理して削ぎ落とすことを意識しましたが、初めて見る相手の立場に立って考えて図解をする事で、一層分かりやすく作れると感じました。ありがとうございました。

・みなさま約4ヶ月間ありがとうございました。図解は文章を要約し本質を掴むのにとても有効だと改めて確認することができました。頭の整理にもなるので、これからも意識して使いたいです。実務でさらに磨いていきたいと思います。

・久恒先生、皆さま。8回に渡りありがとうございました。本日の最終講義では、図の大きさ、矢印の太さ、配置等の重要性を改めて理解出来ました。今後は、実務に積極的に使用していきたいと考えております。

・ご講義、ありがとうございました。織系のコンサルティングなので、表だって形式張った仕組みはないですが、人事含め、自社内をしっかり固めたいのが、1番の思いです。社内教育、イベント等を、充実させたいと思っています。1番のフォロワーの家族を太く、師匠も太く、でも、私が貰う分が、どうしても太くなるのだとうな、と、感じています。私自身の人脈の範囲だけでなく、お客様のステークホルダー様含めて、円滑な経営を、お手伝いさせて頂きたいと思います。家族との時間はもちろんですが、社内で重要なのは、ホームパーティーです。以上。楽しい講義でした。ありがとうございました。

・皆様お疲れ様でした。最終課題は明日アップします。講義を通しての感想は、原点回帰。テクニックやうまく描こうとする意識は私にとっては邪魔なのだと分かり、「仮説」を立てて「感覚」で描き始めて、「昇華」させて行くことが重要なのだと再認識しました。良質な情報と知識のボリューム、すなわち「良質なインプット」と、「見る側とのコミュニケーション」が極めて重要と思いました。本日感じたのは、「私の仕事」なのに大半の方が組織が中心にある違和感でした。この数年で会社という枠組みが弱くなり、個人に仕事がディペンドしていくと私は思っています。
ありがとうございました。

・久恒先生、最後の講義がありがとうございました。今まで、文章を読むスピードが速くなりました。ポイントを探す能力も高まってきました。他の授業でも、図解をよく使いました。本当にありがとうございました。きょう、日本での生活について、図解しました。2016年から今まで、2年間の自分をきちんと振り返って、多くのことを考え直しました。やる気も湧きました。やはり、たまに振り返ったら、最も自分に合う道が見つけられると思います。今学期、先生も、クラスメートの皆んさんも、大変お世話になっておりました。本当にありがとうございました。

・4ヶ月に渡る講義ありがとうございました。最初は図解という行為に中々慣れることが出来ませんでしたが意識的に仕事の中で取り入れて共通の絵を見ながら議論する、ファシリテートする事で対話の場が深く、広くなってきた事を実感します。今日発表した自分の仕事に関しても、知らない人にわかりやく且つ的確に伝えることを意識して完成させたいと思うし、絵を描くだけでなく実行して、うまくいかない点を更に図解して課題の本質をつかむ事を繰り返していきたいと思います。

・事業のビジネスモデルはパワーポイントで表現した通りですが、むしろ本当に伝えたかった内容は手書きで補足した部分です。ありがとうございました。

・先生、皆さん、授業お疲れ様でした。第8回の授業の感想です。今日の発表内容は、1週間で手直ししてフェイスブックに掲載するようにとのことでしたので、本日は発表内容の添付なしで感想のみを掲載致します。受講生の皆さんの発表を聞いて、表現のバリエーションの多さに感心しました。数字を盛り込む、強弱を付ける、図表のバリエーションを持つ、が大事だと皆さんの発表を聞いて感じました。ビジネススクールでも図解を扱う授業はなかなかないため、毎回楽しく参加させて頂きました。改めて、ありがとうございました。【7月28日0時45分追記】修正版の図表をアップ致します。作業ウェイトや件数などの数値、世の中へどう貢献しているか等を盛り込みました。こちらで課題提出とさせて頂きます。先生、皆さん、8回に渡りありがとうございました。

・本日は途中退席になってしまい申し訳ありませんでした。私の仕事を一言で言うと「病院と地域をつなぎ地域の幸福に貢献すること」だと思っています。この講座を受講して図の書き方がものすごく上達したかと言うとまだまだだと感じています。ただ、今回の課題をいただいて何となくアウトラインを作成した後に、初回に作成した図を見た時にひどい図だなと思いました。そう思えたことが、わずかですが成長できた証かなと思いました。今回私の仕事について図解をし、そして貴重な質問をいただいたことで私自身の頭と心の整理がついたような気がします。本当にありがとうございました。図解はこれからも仕事でずっと使っていくと思います。一枚一枚描くたびに少しでも分かりやすく美しい図解にしていきたいと思います。これまでの講義ありがとうございました。

・久恒先生、皆さま 全8講ありがとうございました。仕事の関係で最終講義早上がりします。<最終課題>プレゼン資料に皆様の質問項目を追加して最終課題とします。利益構成比とデザイナー写真を追加。自分の事業は誰もやっていない事業モデルなので説明が難しく伝わらないことを改めて実感しました。

 

以下、留学生。

・皆様 お疲れ様でした。第8回の講義でありがとうございました。今日は皆様の発表を聞いて、仕事について図解で伝えて貰って、分かりやすいと思います。先生の授業のおかげで、本当に大変勉強になります。ありがとうございました。

・久恒先生,授業、ありがとうこざいます。皆さんお疲れ様でした。インサイトコミュニケーションの授業を終了して、たくさんの美しい思い出だ記憶が残りました、先生から丁寧に教えてくれて、積極的に発表する意識をかきたてられました。私が図解が上手になる同時に、logic の分析する能力も上達しました。日本の方方の仕的知識を得ました。仕事をしていない私が自分の将来のビジネスに関する内容、モバイル時代にo2o の技術を活用する観光事業戦略の発想を描きました。伝統的な観光業は、従来の店舗展業から,ネットワークでhart事業に変わって、データの利用をして、競合と多角化産業の発展について図解しております。30分の電車🚃に乗った時間を利用して出来ました、先生から色々な教えていただき、ちょっと進歩しました。

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「名言との対話」7月27日。若泉敬「惰眠をむさぼるような人生を送るな、、、寸暇を惜しんで己を磨き、励め」

若泉 敬(わかいずみ けい[1]1930年昭和5年)3月29日1996年平成8年)7月27日)は、日本の国際政治学者

1969年の佐藤総理とニクソン大統領の共同声明で3年後沖縄返還が決まった。いわゆる核抜き本土並み返還である。日本政府は沖縄返還交渉にあたってアメリカと密約を結んだとされる。縄(核の密約)と糸(アメリカの繊維産業保護)の交換密約である。若泉は沖縄返還に並々ならぬ熱意を持つ佐藤総理の密使として働いた人物である。米軍は緊急時には事前協議で合意すれば持ち込めるという密約と繊維問題の交換密約である日米秘密合意議事録に佐藤・ニクソン両首脳はサインした。これは佐藤の遺品の中から発見された。若泉は「縄と糸」との取引に関わったことを生涯悔やんでいた。

若泉敬の研究テーマは「核戦略研究と中国研究」が二本柱であり、その実践で成り立っていた。吉田茂など歴代自民党政権は、若泉の同世代のライバル・高坂正堯の言う「狡猾な従属国家」でアメリカに依存してきた。 日米安保条約は中ソ友好同盟条約に対抗するためにできた。勢力均衡による平和維持路線である。若泉敬は、国家目標が不明確なままでは漂流するから、自主独立の精神で日本の理念と国家利益を提示しよう、そして日本を指針ある航海にこぎ出させようと考えていた。能力はあるが、持たないという意思を持った潜在的保有国グループの結集し非核クラブをつくり、核軍縮平和外交を展開する。それは国論がまとまり、超党派で推進できる唯一の外交テーマである。具体的には査察・確証の分野で責任を果たす。このような雄大なビジョンを持っていた。核の傘に依存しながら通常戦力では自前でできるためにGNP比2%、アジアへの援助学は1.5%、憲法前文と九条に合致した国連PKO活動(国連平和維持活動)、太平洋諸国との関係強化、、、。

京都産業大学退職時に退職金を同大学世界問題研究所に寄付、若泉敬記念基金が設立された。 「沖縄を取り戻したというのに、アメリカへの依存はなぜ終わらないのか、日本人はなぜ「愚者の楽園」でのうのうと暮らしているのか」という義憤を持つ若泉は、1994年、明治の外相・陸奥宗光の言葉を引用した渾身の著書『他策ナカリヲ信ゼムト欲す』(文藝春秋社)を上梓した後、沖縄県知事・太田昌秀に「自裁します」との遺書を送ったが、国立戦没者墓苑に喪服姿で参拝したが自殺は思いとどまり、英訳版(2002年に刊行)を完成した1996年に死去する。青酸カリによる服毒自殺といわれている。 「一人の人間が、死についての心境と覚悟を固めておくことは、その後の人生にきわめて大きな影響を与える、と私は考えます」、これが若泉の死生観だった。

享年66。「志」の文字が刻まれた鯖江にある墓石は正面が太平洋を向いている。大磯の吉田茂の像、高知の坂本龍馬の像も同じく、太平洋を眺めている。

若泉敬はコツコツ型ではあったが、昭和の橋本左内とも呼ばれた国士であった。父が平民宰相・原敬を尊敬していたことから「敬」の文字をついた。女性弁護士として敬を助けた生涯の伴侶・ひなとともに、志に生きた人である。郷里の「若き泉 志」という銘の純米吟醸も、若泉敬の志を伝えている。

「惰眠をむさぼるような人生を送るな」は、若泉が常に同僚に語っていたことばであるが、この言葉は、戦後の日本と日本人に向けた言葉でもある。 

評伝 若泉敬 (文春新書)

評伝 若泉敬 (文春新書)

 

 

 

 

 

 

「人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりにも短い」

今日の収穫。

・人生は何事をもなさぬにはあまりに長いが、何事かをなすにはあまりにも短い。(中島敦

・歩みだけが重要である。歩みこそ、持続するものであって、目的地ではないからである。(サン・テグジュベリ)

・年齢とともに良くなるとか、悪くなるとかいうことではない。だんだんと自分らしくなっていくということなのだ。(ロバート・アンソニー

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・入試「質向上」ミーティング:杉田学部長・金入試委員長・宮地事務局長・久恒副学長。次は8月20日歴史認識と現状認識。

・T-Studioでの「名言との対話」の録画。ゲストは梅澤先生。座右の銘は「しなやかに」。

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「名言との対話」7月26日。板坂元「 頭は筋肉のようなもので、使わなければ退化する」

板坂 元(いたさか げん、1922年11月21日 - 2004年7月26日)は、日本の評論家日本文学者。近世文学専攻。

1957年、ケンブリッジ大学、そして1960年からはハーバード大学で日本語・日本文学を教えた。1985年に帰国。創価大学客員教授創価女子短期大学教授、同大副学長を務めた。

近世文学が専門であるが、50代からはアメリカ事情、日本文化論のほか、知的生活指南、セックス談義、文章入門など雑多な一般書を数多く著した。代表作の一つが、1973年の『考える技術・書く技術』だ。この本は話題になり、知的生産に関心のある人には必読書となった。私も熱心に読んだクチだ。

「何パーセントとか何分の一とか数字に直して考え、かつ表現することは、誤解を防ぐ上にも大事なことだ」

「ある社会なり時代が、なぜこういう本を要求するのか、という問題を考えるには、ベストセラーというものは、すばらしい資料となる」

1970年代から2000年近くまで、板坂は本を出し続ける。専門分野以外でも、アメリカをテーマとした多くの著書、『そして何を書くか、どう書くか』『知的仕事の技術 遊びの技術』『実年のための知的生活入門』『文房具が好きな人の本 選び、使い、楽しむコツ 私のこだわり方』『「人生」という時間の過ごし方』『男だけの愉しみ』などが記憶にある。「苦しくても腹立たしくても、顔色ひとつ変えないで別れるのがダンディーの道だ」などの言葉が踊る男女の機微に触れたものもあり、多くのファンがついていた。板坂が言うように、ベストセラーは時代の鏡である。時代の中心をめがけて著者や編集者は、本を編み、矢を放つのだ。

頭の筋肉を鍛え、思考の筋肉を強化する。このテーマは、板坂のベストセラーから半世紀ほど経ってAI時代が到来しつつある今日においても、人間にとって永遠の課題だ。板坂は「考える・書く」、それを技術であると定義した。誰もが一定の訓練であるレベルに達するのが技術だ。そして毎日繰り返し、頭に負荷をかけ続けよ、というメッセージだ。今の私がこのテーマで本を書くなら、「よむ技術・考える技術・かく技術」となるだろうか。 

考える技術・書く技術 (講談社現代新書)

考える技術・書く技術 (講談社現代新書)

 

 

 

 

 

 

柯 隆「中国が強国になる条件---習金平政権の政策課題と新たな日中関係」。

19時:丸の内の日本興業倶楽部で文庫リレー塾。講師は東京財団の柯 隆 (カリュウ)氏。テーマは「中国が強国になる条件---習金平政権の政策課題と新たな日中関係」。

寺島塾長「南京生まれ。名古屋大に留学。長銀総研。富士通総研東京財団。愛国のじ情と客観的視点。刮目すべき人物」

柯 隆氏の講演。

・アジアの地政学リスク:独裁(北朝鮮)と自由(米日韓)はトレードオフ。中間にロシアと中国。毛沢東社会主義の実験で失敗(2000-7000万人を殺害)。トウ小平は資本主義の実験で失敗(分配と腐敗)。習金平世代は文革(1966-1976年)世代。統制的。レーニン主義市場経済(統制された市場経済)。

中国経済:高度成長の終了。新常態(ニューノーマル)。公共投資は一巡・加除設備投資があり拡大しない。格差拡大・少子高齢化の猛スピード・無介護保険で消費は伸び悩み(老人4・夫婦2・子供1)。

電子商取引フィンテック(電子金融)が発展。デビットカードのデジタル化がフィンテック。高付加価値へのシフトができていない。企業は基礎研究をやらない。ブランド力のある会社がない。中所得国のワナに陥る可能性。

・改革開放から40年。中国はテクノロジーを盗んだ。テクノロジーは真面目にやても追いつくのに50年はかかる。サイエンスのキャッチアップは100年かかる。

・格差の解消と社会の安定ができるか? 1:納税意識が薄い。所得把握が難しく直接税が取りにくい。税体系に問題あり。金持ちは脱税して蓄積し不動産を買う(固定資産税がない)。相続税がない。金持ち天国。ゆがみ。2:資本主義に必要な「信用」が確立していない。文革中国文明という信じるものが失われた。政府も信用しない。コンプライアンス意識のない企業。家族を信用できない密告。これらをクリヤーできるか?

・弱いのはソフトパワー(文化力)。経済は大きいが技術に弱く不十分。軍事力:この1000年戦争で一度も勝ったことがない。軍幹部の腐敗のすさまじさ(多い人は1000億円超)。軍事予算は軍事力の強化に直結していない。若者の戦う力は弱い。文化力の強化には100-200年かかる。日本は明治維新150年。中国は道徳、マナーが悪い。自由がなければ文化は花開かない。40歳以下の若者は日本人と同じ文化環境(オスカー映画、アダルトビデオのあおいそらが一番有名)。20-30年経って彼らが指導部に入ると変わる。

・米中貿易戦争:3700億ドルの黒字。過去20年改革は進まない。米国の外圧は改革の追い風になるかも。中国は8月の長老会議を経て9月にメニューとタイムテーブルを提示。米国は9月の中間選挙前に妥協か。うまくいかなければ「通貨戦争」。国債売却アナウンスで株の暴落も。日本は中国だけでなく分散も。

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・10時:学部運営委員会:離学の議論。

・10時40分:教授会

・12時50分:学長室の渡辺さん:今週の戦略会議のブリーフィング。

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・13時:通信教育の企画でお二人がみえる。片山さんと四條さん。今後が楽しみだ。

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・16時:世田谷文学館「ビーマイベイビー 信藤三雄 レトロスペクティブ」展。

・17時半:三菱一号館美術館「ショーメ 時空を超える宝飾芸術の世界」展。

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「名言との対話」7月24日。森毅「ゆっくりわかるのも、一種の才能」

森 毅(もり つよし、1928年1月10日 - 2010年7月24日[1])は、日本の数学者評論家エッセイスト

自他共に許す非国民少年で、迫害のかぎりを受けた不良優等生であった森は、数学を専門とする。名物京大教授として、歌舞伎、三味線宝塚、文学・哲学についても造詣が深かった。専門の数学や教育にとどまらず社会や文化に至るまで広い範囲で評論活動を行って、人気があった。

「ヤジウマでデシャバリでオッチョコチョイ」と自称する森毅の言葉を拾ってみよう。

「書いているうちに、内容はできてくるものである」。内容がなくても注文を引き受ける。デシャバリだ。

「いつでも、なにかを新しくやろうとしているほうがよい」。新規な珍しいものが好きで好奇心が旺盛なオッチョコチョイだ。

「集団にいると「安心」はできるが「安全」ではない」。まったりした安全圏は嫌いなヤジウマ精神の持ち主だ。

「  年配者に好かれるコツは、要するに砂糖と塩の加減の問題やねん。「生意気の芸には愛嬌のスパイス、愛嬌の芸には生意気のスパイス、、。」

「先が決まっていないから不安と思うか、先が決まっていないから気楽と思うか、暗いよりは明るい方がいいではないか」と主張する楽観的な人・森毅森毅は「これほど業績がない人物を教授にしてよいのか」と問題になったが、「こういう人物がひとりくらい教授であっても良い」ということで昇格を果たしている。年配者に好かれたゆえであろう。それは人間に対する深い洞察力を持ったこの人の処世術だったと思う。

「一を聞いて十を知る」という言葉があるが、本当にそれでいいのか。うわすべりの理解でわかった気になることは危険だ。世の中は複雑であり、一歩、一歩、足元を確かめながら登っていくと、本当のことがわかる。「頭の回転が速い」鋭い才能もあるが、鈍いようにみえるが、じっくりと時間をかけてわかっていく行き方もある。森毅の言うように、それも一種の才能である。 

まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫)

まちがったっていいじゃないか (ちくま文庫)

 

 

 

「青年は教えられるより、刺激されることを欲する」

今日の収穫

・もっともよい教師とは、子どもとともに笑う教師である。もっともよくない教師は、子どもを笑う教師である。(アレクサンダー・S・ニール)

・青年は教えられるより、刺激されることを欲する。(ゲーテ

・いかなる教育も逆境に及ぶことなし。(ディスレイリ)

・私は教師ではなく、道を尋ねられた同行者に過ぎない。(バーナード・ショー

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多摩キャンパス。

・今泉先生:大学院教授会の様子を聞く

・高野課長:情報交換

・下井先生:運動会

・1年生の佐保君:最近の様子を聞く。ゼミ、ZOOM,アルバイト、、。

・T-Studioの「AO入試対策セミナー」をのぞく。樋口先生。森島課長・酒井さん。

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「名言との対話」7月25日。ベン・ホーガン「ゴルフでは次のショットが一番大事である」

ベン・ホーガンBen Hogan1912年8月13日 - 1997年7月25日)は、アメリカのプロゴルファーである。

鷹の目を持つ「ベスト・ボール・ストライカー」と呼ばれた名ゴルファー、ベン・ホーガンは、全米オープン 4 回、マスターズ 2 回、全米プロ 2 回、全英オープン 1 回 と合計 9 回のメージャー制覇をし ている。史上最強のゴルファーとの評価もある。生涯64勝。170cm、64キロとゴルファーとしては小柄だったが、ビッグ・ベンの尊称でも呼ばれた。

36歳で交通事故で妻をかばって瀕死の重傷を負う。復活した後は、事故で痛めた片足を引きずりながらも、6つのメジャー大会を含むプロゴルフツアー (PGA) 12勝を達成している。 1953年にはゴルフ史上初のメジャー大会年間3冠を達成する。出場したメジャー大会すべてで勝利を挙げるというこのグランドスラムは快挙である。

名著『モダン・ゴルフ』は、世界でもっとも読まれた入門書だろう。今回改めて鉄人・ベン・ホーガンのスイングの動画を見たが、膝は 動いているものの 頭は殆ど動いていない。

 「練習が必要な人ほど練習をしない。」はヘボゴルファーの私にはが痛い警句だ。ゴルフほど心に響く名言が多いスポーツはないのではないか。ゴルフはまさに人生そのものである。極めつきは、ベン・ホーガンの「一ラウンドしかプレイできないのだから、人生のフェアウェイを歩いていくときは、バラの香りを嗅がなければならない」だろう。

 「ゴルフでは次のショットが一番大事である」には、苦笑とともに納得せざるを得ない。ミスはしようがない。落胆せずに、グチを言わずに、平静な心で次のショットに最善を尽くせ。アイスマンとも言われた名手ベン・ホーガンの最高のアドバイスだ。日々、次の最善手を常に意識しよう。

41.1度。日本新記録の暑さの日。

本日は熊谷で41.1度と、日本新記録の暑さの日。

早朝の公園。ラジオ体操と太極拳の人々。

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 大学

・ 国際交流センター運営会議(バートルセンター長):経営情報学部とグローバルスタディーズ学部と大学院。国際化ヴィジョン、、。

・高野課長:打ち合わせ

 ・T-StudioでのAO入試対策セミナーに顔を出す。樋口先生と近況交換と食事の約束。森島課長から入試の状況を聞く。

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 「名言との対話」7月23日。南部忠平「「負けたって殺す奴はいないんだから、やってみるしかないんだよね」

 南部 忠平(なんぶ ちゅうへい、1904年明治37年5月24日 - 1997年平成9年)7月23日)は、日本の陸上競技選手走幅跳の元世界記録保持者。ロサンゼルスオリンピック陸上男子三段跳金メダリスト。享年93。

南部は、北海中学時代に、三段跳びで第一人者・織田幹雄を破った。歳は一つ下だが、陸上でも早大でも先輩だった織田を南部は立てた。緻密で繊細で数学的な織田、明るく開けっぴろげで直感的な南部。『自伝』の中でも、「さん」と「君」という呼び方がでてくる。アムステルダムオリンピック三段跳びで日本人初の金メダルを獲得した織田も「私の成功は南部君に負うところが大きいのでした」と述べている。二人はライバルであり、また終生の親友だった。

オリンピックを狙うには、体力と技術の両方が必要な幅跳びや三段跳びの方が勝つ見込みが大きいと南部は戦略を考えた。走り幅跳びの「南部式反り跳び」には、、踏み切ってから着地まで5つの段階があると言うように、技術を磨いている。「人と違った練習をしなければ勝つことはできない」のだ。1928年のアムステルダム大会では三段跳びで4位。ロシアのピョートル大帝が船大工の修行をしたザンダムで合宿をした。

身長164cm、体重64キロの南部は、次のロサンゼルス大会では、本命の走り幅跳びで出場し金メダルを狙ったが3位に終わるのだが、2日後、織田、大島が故障し、代役で出た三段跳び世界新記録で金メダルを獲得する。本業ではなく、副業で優勝したから「世の中はわからないもんですよ」と後に語っている。

ロサンゼルス大会前に、毎日新聞社運動部に入り、55歳で運動部長を勇退。その後、東京オリンピック陸上競技監督もつとめた。いくつかの大学で教授をつとめたのだが、最後には鳥取女子短期大学学長にまでなっている。ハーレー・ダビッドソンで自宅の吹田市から鳥取女子短大に通っていた。88歳で勇退

南部忠平という伝説のアスリートの名前のついた大会が二つある。故郷札幌の円山陸上競技場で行われる南部忠平記念陸上競技大会と、縁の深い鳥取県倉吉市で行われる南部忠平杯くらよし女子駅伝競走大会だ。また2003年まで南部忠平杯全道駅伝競走大会も開催されていた。北海道には本郷新の「南部忠平顕彰碑」や胸像が存在する。

 

「やってみるしかない」というチャレンジ精神でスポーツ人生を駆け抜けた南部忠平は、「人生もスポーツも、達人の域に達すると美しさが出るものだ」と言っている。自身もスポーツだけでなく、人生も達人の境地にあったのだろう。南部忠平は美しい生涯を送った。 

南部忠平―南部忠平自伝 (人間の記録 (117))

南部忠平―南部忠平自伝 (人間の記録 (117))