東京MXテレビ「寺島実郎の日本再生論」の第2弾(5月10日)、第3弾(5月16日)のお知らせ。

寺島実郎の日本再生論」の第2弾、第3弾のお知らせ。感想をお寄せください。

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連休のコロナ生活で、読書のスピードが加速。

大宅昌『大きな駄々っ子』(文春文庫)。山際淳司「野球雲の見える日」(角川文庫)。鈴木喜代春「おらは、岩木さんになる!」(国土社)。「新潮日本文学アルバム 堀辰雄」。「新潮日本文学アルバム 佐藤春夫」。藤平光一「言葉の「気力」が人をうごかす」(講談社+α文庫)。綱淵謙錠「斬」(文春文庫)。

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「名言との対話」5月3日。高橋和巳「志を貫くということは、日々の精進と結びついている場合だけ、その持続は信頼できる」

高橋 和巳(たかはし かずみ、1931年8月31日 - 1971年5月3日)は、日本小説家中国文学者

高橋和巳は、全共闘世代は必ず読んでいたのではないだろうか。もちろん私も『悲の器』は読んでいる。だが、そのときはよくわからなかった。今回、39歳で夭折した高橋和巳のエッセイを読んでいくらか理解できた感じがする。

高橋和巳は、小説を書くことは、暗夜の大海原に小さな石を投げ、それがどこにおちたのかもわからぬようなさびしさがあるとし、手ごたえのある教員との二足のわらじを履いていた。

さて、小説とは何か。「小説とは男女の仲を基軸としてさまざまの人間関係のありようを提示するものと一応言っていいだろう」と定義している。

そして、「なぜ長編小説を書くか」について語っている。高橋和巳は長編『憂鬱なる党派』には8年かけている。その途中で書いた長編『悲の器』は3年だ。。

「近代の長編小説が短編小説と区別されるの特質は、その探求性と全体性にあった、とまず言ってよいだろう」。それを具体的に説明している。「自己追究の積み重ねによる自己の存在証明」「一人の人間も無限の相互因縁の中心であり、関連によって追究されなければならない」「多様さの中にこそ真実がある」「変貌の相の下に人間を観察する」「もとの姿と変貌していく変化との対応関係に真実をさぐる」である。長編小説は、人間の探求をしながら、人間存在の全体性を描こうとするのであろう。だから、人間のもつ諸相を同時に書きこむことが正しい人間追究の態度であることになる。

高橋和巳は、西欧にまどわされずに、日本の現実の中に、足をどっぷりとつけていこうとした。「思想とは、書物の中にあるのではなく、現実に具体的に、個人あるいは集団が当面するさまざなな困難の解決のための思念の集積としてあるものである。また各人の生活と労働と思惟のうちから、爛熟した果物の汁のようににじみ出すものである」。土着からの出発が彼の立場であった。

人間探求が小説のテーマであり、類人猿とその社会をきわめるために猿と一緒に森の中で住むという、まったく異分野の研究にも触れている。梅棹忠夫の著作に中に、高橋和巳との交流の跡があったことを思い出した。

他にも、このエッセイには貴重な言説が多い。キーワードだけあげる。自己否定。自己否定未来学。大説。老年。論語魯迅。青春の自己主張、自己の確立、意識の「核」。

学者が一つのテーマを追いかけながら、長い年月をかけて研究書を上梓するのも、長編小説を書くのと同じだろう。長編小説は、すべてが相対化し、風化していく現在において、個人的に自律的であるための一つの方法であるとし、ストイックな壁を自分でつくるべきであり、自らに課する戒律を自分でつくりあげよという。いわば独学の思想だ。長編小説を書くということには、数年間ひとつのテーマにかかわり続けること自体のもつ光栄があるとしている。「志を貫くということは、日々の精進と結びついている場合だけ、その持続は信頼できる」のである。持続する志は、日々の精進によってしか証明できない。もって銘すべし。 

人間にとって (新潮文庫)

人間にとって (新潮文庫)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

時事川柳から:「政治家の手に負えそうもない政治」「1億もいて代表がコレかいな」「政治家にタカ派ハト派とサギ派あり」

 東京新聞週刊文春、単行本で、時事川柳を愉しんだ。

東京新聞「時事川柳」「アベノマスク 待ってないけど まだ来ない」「世の中は不要不急で回ってた」

週刊文春「再開し授業嫌いもはしゃいでる」「人生を変えた授業を師は知らず」 

 ・『万能川柳・名人選 宮本佳則版』(毎日新聞)から。宮本は1951年生まれの開業医。この人の川柳はいい。職場編、生活編として、また紹介したい。

「政治家の手に負えそうもない政治」「1億もいて代表がコレかいな」「政治家にタカ派ハト派とサギ派あり」「被害者の被害広げるワイドショー」「まず怒りやがてあきらめ今笑う」。時事関係を選んだ。この本は2008年発行と10年以上前だが、日本社会は進歩なしだな。

万能川柳の選者仲畑貴志「今の小説なんかだと、50年後、100年後は、ほとんど駄目になると思いますけど、「つぶやき」は残ると思いますよ」 。

万能川柳・名人選 宮本佳則版

万能川柳・名人選 宮本佳則版

  • 作者:宮本 佳則
  • 発売日: 2008/10/03
  • メディア: 単行本
 

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連休の自粛生活:散歩。読書。全集。次の企画。喫茶。ヨガ1本。寅さん。

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「名言との対話」5月2日。外村彰「原因探しや謎解きこそが、研究の醍醐味だ」

外村 彰(とのむら あきら、1942年4月25日 - 2012年5月2日)は、日本物理学者、工学者。文化功労者

ベネッセ教育総合研究所に「10代のための「学び」考、というウェブがあり、外村がインタビューを受けている。

小学校時代に「雨の日は庭の水と雨粒がそこにつくる波紋を見たりしては、奇麗だなと思っていました」。

中・高校時代「数学や物理のように答えのはっきり出る教科が好きになっていきました」。

大学時代「大学3年生のときに習った量子力学にとても魅力を感じました。電子は粒子だと思っていたのですが、授業で「電子は波だ」と教えてもらい、「本当に電子が波ならば、その形をこの目で見たい」と考えるようになりました。少年のときに見た水溜まりの波紋のような美しさがあるのではないかと思ったのです」。

東京大学理学部物理学科を卒業後、日立製作所に入社し、中央研究所で電子顕微鏡開発に携わり、超ミクロの世界を見る特殊な電子顕微鏡の開発で世界をリードしてきた。そして電子でホログラムを作る「電子線ホログラフィー」という技術を確立した。

「電子線ホログラフィーとは、電子線を物体に当ててつくられた像をフィルム(ホログラム)に記録し、そのフィルムに光を当て三次元像をつくる技術のことです。私たちは、電子線ホログラフィーを実証できれば、性能の限界に近付いていた電子顕微鏡の可能性が広げられ、これまで見られなかったミクロの世界が観測できると考えたのです。少年のときに心を動かされた水の波紋とそっくりな電子の波が、そこにはあったのです」。それから10年以上の月日が流れ、ようやく実用段階にこぎつける。

以上が、小学校から中学、高校、大学、企業での研究者、そして量子力学の分野での画期的な成果をあげる過程についての本人の説明である。

今までにない新しいことや、だれにもできなかったようなことをしようとするとき、すぐに成功することはまずなく、必ずと言ってよいほど壁に突き当たります。、、「やっと面白くなってきたな」と思ったものです。なぜなら、その〝原因探し〟や〝謎解き〟こそが、研究の醍醐味だと思うからです。、、、努力し続ける原動力になるものは、「好奇心」だと思います」。

日経サイエンス」誌は、「外村彰 逝く」という記事を載せている。5月9〜10日、東京・新宿で最先端研究開発支援(FIRST)外村プログラムの国際シンポジウムが開かれた。すい臓がんにおかされていた外村は、「追悼の会になってもやりたい」と最後まで意欲を示していた。外村彰日立製作所フェローの古希を祝う席にもなるはずだったが、世界中の物理学者らを出迎えたのは、本人ではなく遺影だった。外村彰はノーベル物理学賞の有力候補にあげられ続けていたのだが、寿命が届かず5月2日未明に70歳で亡くなった。地震学の大森房吉、ニュートリノの戸塚洋二もそうだが、ノーベル賞の受賞は寿命との競争という面がある。

小学校時代に感銘を受けた水の波紋に好奇心を揺さぶられ、中学、高校で物理に興味を持ち、大学で量子力学に出会い、とうとう電子が波であることを突き止める。そして超ミクロの世界を見ることができる電子顕微鏡を開発した。好奇心を原動力に、謎解きの生涯を送った科学者だ。「好奇心と謎解き」は、研究の世界だけでなく、実務の世界でも重要だ。「なぜだろう」という疑問が新しい世界を拓いていく。こういう物語は、子どもたちに響き、研究職を目指す人も出てくるだろう。先人の軌跡と生涯を記した伝記は、今も尚、子どもたちの未来に向けての「志を」養ってくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

一日一冊の読書。366日のマーチ。5月分は25冊。#7日間ブックカバーチャレンジ7日目は落合陽一「デジタルネイチャー」

「名言との対話」のために、5月に読むべき本25冊。

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 2020年の「名言との対話」は、「戦後編」である。1945年8月15日から現在までに亡くなった人から人物を選ぶ。2019年と2018年は「平成編」で、1989年1月8日以降2019年 4月30日までの死亡者を取り上げた。

5月分は4月の中旬の段階で、それぞれの日に亡くなった人物を選び、その人に関する書物をアマゾンで注文している。写真の25冊が揃っているので、毎日一冊づつ読み、それを材料に人物論を組み立てていく。

この作業、いや修行は2016年1月1日から始めた。「命日編」「誕生日編」「平成編」「平成編2」「戦後編」と続いており、今年で5年目になる。1500日を超えてきた。

水前寺清子の「365日のマーチ」では、「一日一歩 三日で三歩」「百日百歩 千日千歩」「千里の道も 一歩から」「ままになる日も ならぬ日も」「あしたのあしたは またあした」「きれいな花が 咲くでしょう」、、、。星野哲郎のこの詞は応援歌のように聞こえる。「休まないで」歩いていこう。

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「366名言集」全10巻を予定するか。

2016年命日編。誕生日編。平成編。平成編2。2020年戦後編。

現代編。明治大正編。明治大正編2。近代編。2025年近現代編。

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#7日間ブックカバーチャレンジの7日目。 

落合陽一のデジタルネイチャーの世界観とは何か?

http://k-hisatune.hatenablog.com/entry/2019/05/22/000000

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ヨガ2本で30分。

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 「名言との対話」5月1日。澤田政廣「私は詩を彫刻にしてきたんだ」

 澤田 政廣(さわだ せいこう、1894年8月22日- 1988年5月1日)は、彫刻家

熱海の廻船業、製材業を営む家に生まれた彫刻家。1894年生まれで、1988年に93歳で没した。熱海名誉市民第一号。文化功労者文化勲章受章者。93歳では勲一等瑞宝章

2005年に熱海の澤田政廣記念美術館を訪問した。
文化勲章令(1937年)で「文化の発展に関し、勲績卓絶なるものに賜う」とあり、2001年までに307名が受賞していた。彫刻部門では、澤田が東京美術学校彫刻家で師事した朝倉文夫が第一号だ。澤田が受賞した1969年11月の同時受賞者は、今西欣司(77歳)、堀口大学(87歳)、中村歌右衛門(62歳)で、その写真が飾ってあった。澤田政廣は74歳。

    「日本国天皇は○○に文化勲章を授与する
     皇居において璽をおさせる

          内閣総理大臣 竹下登

澤田の彫刻作品では、隠者(役行者・いんじゃ)、銀河の夢、白日夢、紅衣笛人、神通、人魚、産業戦士、聖徳太子長嶋茂雄選手の像などをじっくり鑑賞した。長嶋の書「洗心」も飾ってあった。
絵描きになりたかったのだが、彫刻家になった澤田は、彫刻、絵画、書、陶芸、版画などにも取り組んでいる。ブロンズ彫刻全盛時代に木彫による新方向が注目された。仏像、神像、人物像を多く彫った。巨大な一つの木からノミ跡を残しながら像を掘り出していく技法を持ちいた。

この彫刻家は言葉がいい。

・生命ある芸術作品には形で表すことのできない詩魂と、一種の音楽的諧調が必要である。彫刻家であり、画家であり、そして詩人で、音楽を解する作家で私はありたいと思います。
・芸術も宗教も一つだった。それが分かれた。美しい心を求めて行くのが宗教で、技術を使い物を創造して行くのが芸術です。しかしその美しい物には美しい心がこもっていなくては芸術作品ではない。
・日本の水墨なり絵は速度があるんです。速度というものは年をとるほど勢いがよくなる。
・芸術は息です。吐いたり吸ったりする空気の中に美の世界があるか否かがすべてを決定します。それが芸術家の生涯なのです。
・どこまで気力と生命が続くか、大いに試そうと思っています。
・芸術は外形ではなく、呼吸している生命をもった作品をつくることが大切です。
・何でもやってみるもので、発見というものはものを見て、形を見てというのはできないことだ。それはもう出来てしまった過去のもので、発見のためにはあらゆる分野を会得しなければいけない。
・苦しい中でやるということ、これはただ気力の問題です。人間というものはどんな場合でも、自分を見限ったらもうそれでおしまい。命がけになれば、どんなことでもできる。

冒頭に掲げた「私は詩を彫刻にしてきたんだ」は、次のように続く。「内面から湧き出るもの、腹の心底から出てくるもの、それを時代に即応した新しい形式で発表する。それが私の仕事だ」。「それが私の仕事だ」と高らかに宣言できることに感銘を受ける。澤田政廣の彫刻から「お前の仕事は何か?」との問いかけが聞こえてくるようだ。

東京MXテレビ『寺島実郎の日本再生論』の特別番組第2弾、第3弾。「#7日間ブックカバーチャレンジ」6日目は、堀雅昭「鮎川義介 日産コンツエルンを作った男」。

東京MXテレビ『寺島実郎の日本再生論』の特別番組第2弾、第3弾。

4月19日の緊急特別番組「寺島実郎の日本再生論」の反響が大きく、第2弾、第3弾が放送される。

第2弾「コスト・コロナへの視界」 5月10日(日) 20時から21時。

第3弾「世界の中の日本ーコロナを超えて」 5月16日(土) 20時から21時。

同時刻に『エムキャス』で配信。PCやスマホで視聴可能、http://s.mxtv.jp/mcas

第1弾は「寺島実郎の日本再生論」(4月19日)は見逃し配信でみれます。http://mcas.jp/movie.html?=749855782

第一弾の反響を寺島さんに伝えたところ感謝されました。2弾、3弾の感想を私宛に。

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大学のTスタジオでリモート授業のリハーサル。金先生、小西先生、公平教務課長。杉田先生も。ひと安心。

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コロナ生活の間に本を読もう! #7日間ブックカバーチャレンジ6日目。

堀雅昭「鮎川義介 日産コンツエルンを作った男」(弦書房)。 

「カルタ館」ーーたかがカルタ、されどカルタ - 久恒啓一のブログ「今日も生涯の一日なり」

鮎川義介《日産コンツェルンを作った男》

鮎川義介《日産コンツェルンを作った男》

  • 作者:堀 雅昭
  • 発売日: 2016/02/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

「名言との対話」4月30日。大佛次郎「僕は他の人間のように固まってしまってはいない」

大佛 次郞(おさらぎ じろう、1897年明治30年)10月9日 - 1973年昭和48年)4月30日)は、日本小説家・作家

東京帝国大学政治学科卒業後、外務省に勤務。1923(大正12)年の関東大震災を機に同省を辞し、文筆に専念する。『鞍馬天狗』シリーズで前近代的大衆文学を刷新、斬新な作風は急速に支持を得た。『パリ燃ゆ』『帰郷』『地霊』など歴史と社会に取材した作品も多い。1964年、文化勲章受章。1

2006年に大仏次郎記念館(横浜市:港が見える丘公園)を訪問した。建物はれんが造りの洋風建築である。原稿、創作ノート、蔵書などのほか、愛蔵品の猫の置物などのコレクションを展示している。この記念館には神奈川近代文学館の催しにでかけるときに、時々寄っている。2019年には、漫画「ヨコハマ物語」を描いた「大和和紀」展をやっていた。大佛次郎の全著作の棚をのぞくと800冊を超えていて「驚いた。そこでエッセイ集『旅の誘い』を買った。以下、そこから。

丸善について。「売れる原稿を乱暴に書くようになったのは、買った本の支払いのためであった。丸善の本が私を濫作する大衆作家にしてしまい、苦し紛れに「鞍馬天狗」をかかせた。そして入った金でまた本を買い込むように使役した。、、、どうやら丸善のために1代せっせと働き、大衆作家と言う看板が晩年になってからも私から取れなくなった」
作家を見つめるエッセイも楽しい。木村荘八については、しっかりしたデッサンの上に、生きた絵を書く人で、背伸びして毎日の原稿に骨を折ることになった。吉川英治については、代表作は「宮本武蔵」で、武蔵が剣道の達人に成長する精神的な経歴が、吉川英治自身のものであるという。人に不安疑義を抱かせる文学が西洋文学の特質であり、人に安心を与える与え依らしめる文学は日本的な性質であり、吉川英治は後者だ。。長谷川伸については、明治人の代表の1人で、股旅物の名称は長谷川が生んだとしており、地の塩を人に知らせ最後の作家だとする。佐藤春夫については、頑固で自説を守って譲歩しない人。吉野秀雄は、「天皇の世紀」を書こうとする自分に、何千という天皇の歌を読破して品別をつけてくれた。川端康成については、少年の時の顔そのまま老後に持ち越し、あるいは少年の時から若々しい中に50年後の老年の顔を持っていたと述懐している。獅子文六は、真面目に人を書いて何となくおかしい作風で、漱石よりも品のいい上の小説を書くとほめている。

 NHKアーカイブス「あの人に会いたい」で文化勲章受章時の映像をみた。仕事観を語っていた。「現実を組み伏せて、はっきりと押さえ付けなければ書けないわけです」「時代の潮流ですね。浮き沈みする人間を書いているが、背後の時代、そこから目を離さずにいる。それは僕の一生の仕事に全部通じている」

「僕は他の人間のように固まってしまってはいない」という大佛次郎は、小説・ノンフィクション・批評・劇作・児童文学と多岐にわたって活躍した。弱い者の味方で真の正義感を心に持つヒーロー像を描き続ける一方で、ノンフィクションの分野では『ドレフュス事件』『パリ燃ゆ』など、海外の歴史や社会に題材を得た作品を数多く発表した。

「仕事というものはまだ自分の知らない自分を探すようなもので、これからも努力を続けて、これまでやらなかったような新しいものを書いてみたいという心持でいる」大佛次郎は、70歳を過ぎてからからライフワーク『天皇の世紀』に取り組んだ。幕末以降の日本人の歴史を振り返り、透徹した歴史認識と批評精神で、流されやすい日本の国民性に警鐘を鳴らした。日本の歴史と日本人の精神に迫ろうとした大作であるが、6年後に力尽きて未完に終わる。

「僕は他の人間のように固まってしまってはいない」という大佛次郎は、これからの勉強で何かになるだろうと考えるのは楽しいとし、50になろうとして後子供じみた初一念を持っていると言うのはおそらく他人にはないことらしいから心強いと思うとも語っている。自分の知らない自分を探す生涯だった。 「この世は自分を探しに来たところ、この世は自分を見に来たところ」という陶芸家の河井寛次郎の言葉を思い出した。人生100年時代は、固まらずに、新しい自分を探し続ける旅をしようとする精神が大事になる。 

旅の誘い 大佛次郎随筆集 (講談社文芸文庫)

旅の誘い 大佛次郎随筆集 (講談社文芸文庫)

  • 作者:大佛 次郎
  • 発売日: 2002/10/10
  • メディア: 文庫
 

 

朝日新聞から梅棹忠夫『知的生産の技術』についての取材。7日間ブックカバーチャレンジ5日目は柴生田俊一『子ども地球歳時記』

朝日新聞から1時間ほど電話取材を受けた。梅棹忠夫『知的生産の技術』(岩波新書)をとりあげるとのこと。発刊から50年経って、現在は147万部まで積み上がっている名著だ。この本が読まれた時代背景、その反響についての取材だった。反響の一つが私も関与し続けているNPO法人知的生産の技術研究会だ。情報産業論、文明の生態史観、800回を超えるセミナー、情報を扱うのが仕事になった、時代認識と知的生産の方法論、最近の全国の活動地域知研(東京・関・岡山に加え、沖縄・九州・東北・北海道・宮島の発足)、民博での50周年企画、人生100年時代、どう生きるか、、、。

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・秘書とZOOMミーティング。

・ヨガ2本。

・近所では、ココスとデニーズしか行くところがなくなった。

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「コロナ生活の間に本を読もう! #7日間ブックカバーチャレンジ5日目」

柴生田俊一『子ども地球歳時記』(日本地域社会研究所)。

「1964年と2020年の東京五輪をまたぐJALハイク・プロジェクト50年超の軌跡」。229ページ。横書き。本体1800円。オビは大岡信朝日新聞折々のうた」から。

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k-hisatune.hatenablog.com

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「名言との対話」4月30日。田辺元「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」

田辺 元(たなべ はじめ、1885年2月3日 - 1962年4月29日)は、日本の哲学者

第一高等学校理科卒業後、東京帝国大学理科数学科に入学する。文科哲学科に転科し、卒業。中学校の教師、東北帝国大学講師を経て、1919年、西田幾太郎の招きにより京都帝国大学文学部哲学科助教授に就任。西田と並んで「京都学派」の基礎を築く。1928年、教授。1945年、終戦前に退官し、北軽井沢に移居。戦後も執筆活動を続け、「懺悔道としての哲学」「キリスト教の弁証」「哲学入門」を著した。1950年文化勲章を受賞。1962年、77歳で没した。

 田辺元哲学書は難しい。今回佐藤優『学生を戦地へ送るには 田辺元「悪魔の京大講義」を読む』(新潮社)を読んだ。1940年に岩波書店からでた『歴史的現実』という本で、京都帝大での6回の講義をまとめたものだ。この内容を二泊三日で読み合わせをしながら解説している。「国のために死ね」という論理の本で、当時ベストセラーになり、動員された学徒が感化され納得して特攻隊で死んだ。それを佐藤は「悪魔の京大講義」と呼んでいる。

以下、田辺元の言葉から。

「国家は対内的に個人を統制して自己に統一する(内治)とともに、対外的に自己を主張する。この両面を統一することが政治である」。「個人は種族を媒介にしてその中に死ぬことによって却て生きる」。「個人は国家を通して人類の文化の建設に参与することによって永遠につながることができるのである」。「死を媒介にして生きることにより生死の対立を超え、生死に拘わらない立場に立つとという事である」。 「歴史に於て永遠なるものの建設に身を捧げ、かかる境地を実現した個人は、同時に他の個人を覚醒せしめる力を持つものである」

佐藤のかみくだいた解説を聴こう。

田辺元は戦争末期の1945年3月31日に退職して軽井沢にこもった。各国公館がある場所は空爆しないことになっていた。安全だったからである。軽井沢では野上弥生子と老いらくの恋をしている。こういう人は信用してはいけない。 

田辺元の「種の論理」について。全体主義の根底になるのは、その全体を作り出している「種」(種族)だ。この種がしっかり残っていないと集団は滅びるから、自分たちのグループがいかに生きるかだけを考えていく。いくつもある「種」から「類」が形成されていく。 中間的な「種」が基本単位で、そこから個体が生まれ、全体が生まれていく。それは全体主義である。全体は複数あり、切磋琢磨して世の中が成り立っている。これとまったく別なモデルが一つの原理で世界を覆おうという普遍主義だ。市場原理主義新自由主義は普遍主義だ。そこでは個体はアトム的なる。そこでは競争で勝った人間が総どりできる。普遍主義は強者に都合がいい価値観だ。

日本を種とみた場合は、個々の家族が個体となる。家族が種とみた場合は個人がそれぞれが個体となる。種と個体は固定的な関係ではない。

自発的、自主的に個人が協力することが種族の統一を維持発展することになり、種族のためと言うことが個人のためと言う意味を持つ。これが自発的協力という翼賛思想だ。

家族が同心円の中心にあって、その外側に国家があって、その外側に世界があると言う同心円。だから、国家すなわち自己とは何かと言うと、自己すなわち国家になってしまう。

いかによく生きるかという事は、いかによく死ぬかってことなんだ。人生は長く生きるとか、短く生きるとかってことじゃないんだ。

 お母さん、お父さん、妹、妻、娘、息子、友人、町の仲間、その延長線上にいる自分たちと同じような家族を持っている、1人ひとりの日本人。そんな同胞を守るために死ぬんだよ。それが結果として国家のためにもなるんだ。

日本でもテロが起これば、自由と権利が制限される事態が生じかねない。そのときは田辺元の展開した総力戦の哲学に似たものになる。

難解な田辺元の哲学を佐藤優が徹底的な批判をしながら読み解いてくれたので、大東亜戦争時に戦地へ赴く若者のバイブルとなった書を理解できた気がする。「悠久の大義のために死ねば、永遠に生きられる」というアジテーションは危険だ。佐藤は田辺元の思想を扱わざるを得ないほど危機的な時代にわれわれは生きているのだと警鐘を鳴らしている。この本は2017年に出ている。それから3年、新型コロナという脅威によって、本当の危機が迫っているのかも知れない。

学生を戦地へ送るには: 田辺元「悪魔の京大講義」を読む
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コロナの間に本を読もう! #7日間ブックカバーチャレンジ」4日目。 ヒルティ『幸福論』(岩波文庫)。

「コロナの間に本を読もう! #7日間ブウクカバーチャレンジ」4日目。

 ヒルティ『幸福論』(岩波文庫)。

幸福論には、ヒルティ、アラン、ラッセル、水木しげる浅田次郎曽野綾子などが「幸福論」という書物を書いていて、私も読んでいる。また、「幸福」については、宮本百合子、橋本武、福田恒存杉田玄白幸田露伴きだみのるアダム・スミス本多静六渡辺京二などを読んできた。しかし、やはり、出色はヒルティだ。

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

幸福論 (第1部) (岩波文庫)

  • 作者:ヒルティ
  • 発売日: 1961/01/01
  • メディア: 文庫
 

k-hisatune.hatenablog.comーーーーーーーーーーーーーーー

・午前中は多摩センターで銀行回り。ココリアの地下の食料品売り場で買い物。戦時中の雰囲気。

・午後は多摩大学の教員の勉強会のズームに参加。

・夕刻は、朝日新聞の記者のインタビューを受ける予定だったが、延期。梅棹忠夫先生、生誕100年を期して様々な企画が進行しているようだ。

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「名言との対話」4月28日。岡鹿之助「 日本油絵の樹立。それは我らの時代にと急がないで良い。次に来る時代、あるいはまたその次に来る時代にでも結構だ。ただ私たちは次に来る者へ手渡しするバトンだけはしっかり渡したい」

岡 鹿之助(おか しかのすけ、1898年明治31年)7月2日 - 1978年昭和53年)4月28日)は、昭和時代に活躍した洋画家。

麻布中学校2年のときから、岡田三郎助に素描を学ぶ。1919年 東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学。1925年 パリ留学。藤田嗣治に師事。1972年 11月に文化勲章受章。

岡鹿之助『ひたすら造詣の言葉で』(中央公論美術出版)を読んだ。画家は、描いた絵だけで勝負するのが本来だが、同時に文章の才能があり、見事なエッセイを書く人もいる。その一人が岡鹿之助だ。描いた絵の背景に画家の邂逅、運命、思想などをうかがうことができる。

ボナアルは芸術の革命者ではない。70余歳の今日まで、ひたすら己の道一と筋をコツコツと開拓するに余念がなかった。、、「実に月日の経つのは早い」と嘆くのも、「絵を描くのは楽しい」と喜ぶのも聞き捨てにならぬ老匠の若い精神の言わせる技であろう。、、自分の描いた1枚1枚を足場として、一段一段と梯子を登っていく様な絶えることのない創造へのひたむきな心を、齢70を越すまでも続けていくと、評家が「色の魔術師」と呼ぶほどの前人未到の境地に到達する。、、ボナアルこそはまことにフランスの花咲爺さんだと思っている。

 70歳を間近に新たな恋人を得てますます脂ののってきたピカソや、80代に踏み込むマチスのおう盛な仕事ぶり、、、、、(ピカソ)70起こしても少しも恐れを見せないどころか、新境地を切り開いていこうとする意力のたくましさにはただただ敬服のほかはない。、、、ピカソがひとたび滞在した所は、ことごとく名所になりました。弘法大師みたいです。

パリの画家たちは、非常な勉強家だ。、、いつも人が見ようが見まいが、自分の仕事を掘り下げてゆく努力を続ける。それが、30になっても、40になっても、60になっても持続してゆく、、、、。パリへ行って17年、僕はとにかく勉強することを学んだ。

実際家とは、自分の性格に適した素材をつかみ、それを手なずけ、素材にものを言わせるまで経験を積んだ、、という意味であろう。

旅に出て道の土地をさまよう根拠は、秩序のある偶然にめぐり合わないかと言う願いからである。、、、、たまたま、自然が秩序だって現れている時、私たちは、その自然を美しいと感じるのである。

空間感覚の秩序が造形的に構成されている。そいつはひどく新鮮なんです。そういうことが私には大事に思われますね。

私もよく行く箱根のポーラ美術館は戦後の個人コレクションでは質量とも日本最大級の規模だ。ここには、アンリ・ルソー、坂本繁次郎、などと並んで岡鹿之助の作品が展示されている。  最近知った小杉小二郎は、「人生には、緊張感を持って生活していると必要な時に必要な人が現れる。画家の中川一政岡鹿之助、版画家の長谷川清」と言っている。岡鹿之助の名前は、ときどき見かけている。その絵は、静けさに満ちた幻想的な風景画が印象的だ。代表作は、観測所(信行弟)、地蔵尊のある雪の山(積雪)、雪の発電所、花と廃墟。段丘(絶筆)。村荘、、、など。

岡鹿之助の言葉を拾うと、年齢に対する意識が強いという印象を受ける。ボナール、マチスピカソなど、晩年に至るまで勉強と精進を続けた同時代の偉大な画家の存在を励みにしていたのだろう。

師の岡田三郎助からは、「絵画といふものは男子一生の力を尽くしても尚足りない仕事なのであるから、あせらずにコツコツやることだ、、」 といわれており、岡本人も「 日本油絵の樹立。それは我らの時代にと急がないで良い。次に来る時代、あるいはまたその次に来る時代にでも結構だ。ただ私たちは次に来る者へ手渡しするバトンだけはしっかり渡したい」と語っている。歴史の中での自分の立ち位置を自覚している。自分一代ではなく、永遠の流れの中に生きているのであろう。

わたしの人物遍歴の過程で、ときどきはまた岡鹿之助に出会うだろう。そのプロセスを愉しみたい。

参考:岡鹿之助『ひたすら造詣の言葉で』(中央公論美術出版

 

 

 

 

 

 

 

 

「図解コミュニケーション全集」第一巻のクラウドファンディングで目標額を本日達成しました。ありがとうございます!

 「図解コミュニケーション全集」第一巻の刊行に向けてクラウドファンディングに挑戦している。GREEN FOUNDINGの「MIRAI FES」のサイトを利用させてもらった。

本日、目標額の50万円を突破した。3月末から1ヶ月で40人の方から支援を受けて、503500円となった。締め切りの5月25日まで27日あるから、このまま続けていくことにしよう。ご支援いただいた方々に改めて感謝したい。  

52.196.90.38以下、支援者の方、26名からのメッセージ。

「図で考える人は仕事ができる」は、購入18年が経った現在でも読み返す、私にとっての名著です。全集を読みながら図解ができる日を楽しみにしております。

いつもメルマガを送っていただき、どうもありがとうございます。 この企画に参加できることがとてもうれしいです。 たくさんの情報の中から私が実践できていることはわずかですが、これからもよろしくお願いいたします。 楽しみにしています。 

お体を大切にしてください! 同級であることに感謝して❗応援してます。 出版楽しみにしております!! 完成を楽しみにしています。 知研創立50周年、梅棹忠雄先生生誕100周年に意義あるプロジェクトに支援いたします。 橘川さんに教わり、興味を持ちました。人生の集大成ということで期待しています。『 橘川幸夫の新刊「企画書ver2020」(仮)プロジェクト』 で初めて知りました。  ご成功を祈念しております 。GREEN FUNDINGのログイン手続きも図解してください 。頑張って下さい。実現したらリレー講座をやりましょう!オンラインでこそ図解だと思います。 遅くなりましたが 支援させて頂きます 。楽しみにしております 。頑張ってくださいね! いよいよ全集づくりスタートですね。私も図解塾で1から学んでリスタートします。どうぞよろしくお願いいたします。 拝読するのを楽しみにしております。 久恒さんのライフワークだと思います。完成を楽しみにしてます。ご出版の実現を心待ちにしております。ゼミなどの論文指導の際、参考にさせて頂きます、また、お得感満載な福袋も楽しみにしております。 応援してます 。すばらしい企画です。応援します。 新しい発想の試みだと思い、参加させていただきました。 集大成期待してます。ものすごく楽しみにしています! ワクワクしますね! 是非達成させてください!応援しています。 全集、期待しています! 

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「コロナ生活の間に本を読もう!#7日間ブックカバーチャレンジ」の4日目。

横松宗『大正から昭和へ』 (河出書房新社)。バトンは都築功さんと玉城 判さんに。

大正から昭和へ―恐慌と戦争の中を生きて
 

 「邪馬台」横松宗先生追悼号(2006年春号)その一 | 今日も生涯の一日なり - 楽天ブログ

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・ 立川:「姿勢、ブラインドタッチ、音声入力」。・荻窪:「出版5月末入稿、6月刊行」、石和田君とコーヒー。・散髪:「25%ダウン、40%ダウン」・ZOOMミーティング。

・寺島さんから電話:「イフルエンサーとしての役割を」。東京MXテレビの続編で5月10日。5月17日。

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「名言との対話」4月27日。北林谷栄「70年、80年の年月を背負っている人間と考える」

北林 谷榮(きたばやし たにえ、1911年5月21日 - 2010年4月27日)は、日本女優声優

劇団民藝の創設に参加し、30代から数多くの老け役を演じた「日本一のおばあちゃん女優」。享年98。北林谷栄という芸名は20歳の頃に長野県を旅した時に、林、谷川の美しさに感動してつけたという。

初めての老け役は27歳の時だ。宇野重吉の強い勧めによるものであった。30代後半で、既に老女役は北林といわれるようになる。日本を代表するおばあちゃん役者として広く知られた。映画「ビルマの竪琴」「キクとイサム」、舞台「粉本楢山節考」などお婆さん役は100を超える。特に、田舎の農村・漁村・山村で生活するおばあさんを演ずることが多かった。衣装は自前である。古着など、「生活の垢」がついたキモノを集めて愛蔵し、さまざまな役に応じて着なしていた。

1958年から2002年まで間断なく、賞を受賞しており、名演技を長く続けたことがよくわかる。芸術祭奨励賞(1958年)ドラマ『帰郷』の作花小冬の演技で。第10回ブルーリボン賞主演女優賞(1959年)『キクとイサム』の演技で。第14回毎日映画コンクール女優主演賞(1959年)『キクとイサム』の演技で。サンフランシスコ国際映画祭最優秀助演女優賞(1960年)『にあんちゃん』の演技で。紀伊国屋演劇賞個人賞(1972年)『泰山木の木の下で』の演技で。ギャラクシー賞(1973年)『ラッコの金さん』『静かなる爆薬』の演技で。紫綬褒章(1978年)。紀伊国屋演劇賞個人賞(1982年)『タナトロジー』の演技で。放送文化賞(1988年)。第65回キネマ旬報賞主演女優賞(1991年)『大誘拐』の演技で。第15回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞(1991年)『大誘拐』の演技で。第46回毎日映画コンクール女優主演賞(1991年)『大誘拐』の演技で。東京スポーツ映画大賞新人賞(1991年)『大誘拐』の演技で。紀伊国屋演劇賞個人賞(1997年)『黄落』の脚本で。東京都文化賞(1999年)。読売演劇大賞女優賞(1999年)『根岸庵律女』の演技で。;日本映画批評家大賞功労賞(2001年)。第26回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞(2002年)『阿弥陀堂だより』の演技で。第76回キネマ旬報賞助演女優賞(2002年)『阿弥陀堂だより』の演技で。山路ふみ子映画賞文化賞(2002年)。

子どもの頃にみた『にゃんちゃん』や、映画『となりのトトロ』の(カンタの)ばあちゃんの声、テレビドラマなど、この人の演技はよくみていたことになると改めて思った。

おばあさん役の系譜というのがある。飯田蝶子、北村谷栄、最近では樹木希林だ。「役者は他人の書いたセリフを覚えて言うんじゃない。自分自身の中から出た言葉でなければね」という北林谷栄は ドラマでのお婆さん像のパターン化に対して疑問を抱くようになる。老いと死をモチーフとして自ら脚本を書き上げたのが代表作「粉本楢山節考」であった。「大誘拐」という映画の一シーンもYOUTUBEで見たが、迫力のある老女役も素晴らしい。NHKアーカイブ「あの人に会いたい」では、「70年、80年の年月を背負っている人間と考える」と役作りを語っている。一般的なおばあさんは存在しない。それぞれ、長い間に違った歩みをしているのだから、それにふさわしい演技というものがあるというわけだ。北林谷栄は女優を土台に、声優、脚本家、演出家、『蓮以子八〇歳』『九十三齢春秋』などの本の執筆と仕事の幅広げていく。そして役作りを長い間続け、最後は本当のおばあさんになった。