「疾走12年 アサノ知事の改革白書」(浅野史郎)

浅野史郎宮城県知事の新著「疾走12年 アサノ知事の改革白書」を読んだ。

浅野知事とは97年の秋から始まった行政改革推進委員会での議論、5年間続いた県民サービス向上委員会委員長としての知事室での毎回の提言、県政をめぐる勉強会、入学式などの公的会合、私的な懇親会などさまざまな場面でご一緒したことがある。一度、お誘いがあって議会答弁を傍聴したこともある。終わったあと会ったら「知事って大変でしょう?」と言われてうなずいたことも思い出す。


寺島実郎さんが「浅野史郎知事ほど爽やかに筋を通す人物を知らない」と推薦の言葉をオビに書いているが、節目節目に筋を通すという意味ではその評はあたっているように思う。


この書では、四選不出馬、組織スキャンダル、選挙、プロ野球楽天球団誕生秘話、障害者施設解体宣言、全国知事会、県警犯罪捜査報償費凍結などの経緯が本人の言葉で率直に語られているが、私はこの書を県政報告というより、立候補、3回の選挙、退任といった人生の節目に浅野史郎という人物がどういう気持ちで決断をしてきたかという観点から読んでみたい。


45歳の厚生省課長時代に故郷の宮城県で起こったゼネコン汚職事件で、迷いに迷いながら職を辞して知事選に立候補する。妻、母などの家族の影響も大きいことがわかる。決断の過程で何度も「路頭に迷う」という言葉が頭にかすめるが、流れの中で勝ち目の薄いといわれた選挙に立候補する。次の職が未決定のまま、23年以上勤めた役所を辞めるという決断の大きさには頭を下げるほかはない。だから、「悩み、苦しみを経験しない人に選挙のことを語って欲しくないという気にすらなってしまう」という言葉が出てくるのだろう。


57歳で四選をやめて不出馬をするときの心の動きを以下に記してみる。

辞め時を自分で選ぶ。

アカデミズム、言論活動、マスコミ出演というやりたいことと転身のタイミング。

若くして知事を退任した人の新しいビジネス・モデルへの挑戦。

この年齢で辞めなければ知事しかできない体になってしまう。


こうやって並べてみると、節目節目で明らかにライフデザインを強く意識しているようにみえる。



また選挙に強かった知事の本当の心のうちと、選挙のやり方など3回の知事選の語りも興味深い。

マッチを擦って枯野に投げ込めば燃え広がるだろうという最初の選挙。選挙における風の存在。

新進党小沢一郎党首との会談の様子。選挙のありようが知事のありようを決める。選挙を通じて知事になっていく。

100円カンパ方式は集まった金額よりもその過程で必ず自分に投票するようになる、そのことが大事なことだと言っている。これなどは選挙に強かった知事の秘密かも知れない。