新・職人のすすめ

先日トヨタ自動車で講演をする機会があった。もう一人の講師は、プロジェクトXでも紹介された国選定保存技術保持者・玉鋼製造の木原明(たたら職人)さんだった。いかにもたたきあげの職人という風貌の木原さんの話はトヨタの技術者の心を打った。この人の座右の銘は「誠実は美鋼を生む」だった。技術も大切であるが内面はそれに優る。従業員一人一人のものづくりにかける真心がより良い鋼をつくりだす。トヨタの技術者には、鉄を愛して、魂の入った車づくりをして欲しいと朴訥な語り口で述べた。このたたら製鉄の製法は、3日3晩の作業に耐える体力、感性、技能が必要であり、現代の技術者達に向かって「8時間労働でいい車がつくれますか」との問いを発し会場が沸いた。愛情、真心、誠実、こういった心が素晴らしいものを生み出すという固い信念にこころを打たれた。日本の魂の健在を示す話だった。車づくりの技術者たちは、この日本の誇る職人たちの後継者でもある。


今年の夏に訪ねた上野の不忍池のほとりに建つ横山大観記念館で、「偉大な人が出た時に初めて偉大なる芸術が出来る」「人間ができてはじめて絵ができる。それには人物の養成ということが第一で、まず人間をつくらねばなりません。、、。世界的の人間らしき人間ができて、こんどは世界的の絵ができるというわけです」と大観が語っている言葉を発見した。富士を一生描き続けた画家・横山大観は、人間としての修養を第一に置いて優れた絵を90歳まで描き続けている。


最近関心を持ち始めた落語の世界でも、名人たちが優れた噺をする秘訣を語っているのに出くわすことが多い。「器用じゃダメなんです」(桂文楽)、「人物ですよ、人柄。了見が悪くちゃだめだ。心は精錬潔白でなくちゃいけない」(五代目柳家小さん)など、人間を磨くことの大事さを教えてくれる。


69連勝で破れたとき「我いまだ木鶏たり得ず」と語った郷里の大横綱双葉山は、24歳から27歳まで実に丸3年間勝ち続けた。立派な体、端正な顔だちのこの横綱は何よりも優れた人格者だった。そのことは44歳から56歳で劇症肝炎で没するまで日本相撲協会理事長を7期つとめたことでもわかる。


 これらの一流の仕事師(職人)たちは、人間を磨くと業績があがる、と異口同音に語っているようだ。小ざかしい論理や議論はこういう言葉の前では空しい。まず人間を磨くことが第一なのかもしれない。それなら職人という言葉を職業人の略だと考えたい。現代の職業人は、すべからく職人を志すべきだろう。


                      (月刊ビジネスデータ12月号への原稿から)