「還暦結婚式」で新郎友人代表あいさつ−−数十年ぶり

如水会館で行われた友人・松田俊秀君の結婚式。
宇野千葉雄、山本嘉信、岩釣千三君と一緒に出席。新郎は60歳。新郎新婦とも初婚。参加者の挨拶を聞いていると、仕事ぶりや人柄が目に浮かぶようだった。

友人代表としての私の挨拶の骨子。

  • ブログ用の写真を撮らせていただきます。
  • 来賓あいさつはあるが、新郎(60歳)の友人代表あいさつは久しぶり。30年ぶりか。
  • 新郎は高校の同級生。かわいい少年だった。聡明な眼をしており勉強もよくできた。名前が俊秀なので納得。名は体をあらわす。
  • 別府での還暦同窓会。みんな脂が抜けて高校時代の友人に戻った感じ。新郎は会社では常務取締役、そして新婚でもあり、脂は抜けないように。
  • エニアグラムという性格分析。新郎はタイプ9の平和主義者。座右の銘が「忍耐と寛容」というのはうなずける。穏やか。新婦はタイプ1の完璧主義者。人を助けることを生き甲斐とするタイプ2に寄っているから看護師をしているのだろう。健康診断受診率100%を目指すという仕事にやり方はさもありなん。相性はいいから、新婦の言うとおりやっていれば間違いがない。やり過ぎると制止を。
  • 60歳という年齢について。孔子が日本を暗くした。「、30にして立つ、40にして惑わず、50にして天命、、」。今はこの年齢を1.6倍にして考えるべき。48歳から64歳が壮年期、64歳から80歳が実年期、、、。新郎新婦は壮年期の後期にいる。
  • 人物記念館の旅も300館。高齢社会のモデルだらけ。例えば徳富蘇峰。56歳からライフワーク「近世日本国民史」を書きを始め90歳で完成。それが世界最大の著作としてギネスブックに載っている。そういう年齢。
  • まだ、30年以上ある。高齢社会の新たな夫婦のモデルに!

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ある方の挨拶より。
夫婦の三段階−−−−ラバーの時代。エネミーの時代。フレンドの時代。
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新郎の挨拶より。
私はリスク管理、彼女はクスリ管理。
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南一誠 「俺たちの時代」
男同士で 酌合う酒は 何も語らず わかる酒、、、、。
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会場の一ツ橋の如水会館の一階には、渋沢栄一の半身の銅像が建っていた。その理由は以下。
如水会」とは東京商科大学(現一橋大学)卒業生の同窓会で、1889(明治22)年設立の高等商業学校校友会が前身。校友会は後に同窓会へと名称を変更、1914(大正3)年には渋沢栄一の命名により如水会となった。「如水会館」は如水会の会員親睦のための施設。
渋沢栄一は商業教育を重視し、商工業者を蔑視する官尊民卑の風潮を打破するためにも「教育の力に依って商業を尊敬せしめるようにせねばならぬ」(『渋沢栄一伝記資料』第44巻p.305)と述べている。1900(明治33)年、渋沢は東京商業高等学校を大学に昇格させるように主張し、尽力。その後20年を経て1920(大正9)年、同校は東京商科大学へと発展した。その後、一橋大学に。
渋沢は日本の500にのぼる会社の設立に関わったが、教育や社会事業にも熱心だった。

その後、四谷のルノアールで、今取り組んでいる知研の本の最終校正作業に参加した。7-8人の取材参加者が集まり、細かな校正作業をこなす。21人の知的生産者の知が生産される現場を取材した本(東洋経済新報社刊)で、年内に出版予定。