吉村昭「ポーツマスの旗」--外相・小村寿太郎」(新潮文庫)を読了。

吉村昭ポーツマスの旗」--外相・小村寿太郎」(新潮文庫)を読了。

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

ポーツマスの旗 (新潮文庫)

日本の命運を賭けた日露戦争は、陸軍の旅順陥落と海軍の日本海海戦の大勝利となった。しかしその時点で日本は兵力と財力は力尽きてしまっていた。
政府は機会をとらえ、アメリカの斡旋を得て、ポーツマスで講和会議を開く。その全権を引き受けたのは外相・小村寿太郎である。条約締結は難題であった。
ロシアの全権は老練な政治家・ウイッテで、小村はこのウイッテと息詰まる交渉を展開する。日本政府の各国政府からの情報収集、ルーズベルト大統領との友人関係にあった金子の動き、ロシア側の革命前夜の国内情勢、などを総合しなら、小村は冷静沈着に相手と対峙し、最終的に交渉を妥結させる。
しかし日本の財政と兵力の実情を知らぬ日本国民は樺太北部と賠償金の放棄を知り憤激し大暴動に発展する。小村は帰国後暗殺の恐れの中で天皇陛下に奏上。

短躯(1m43c)、病弱、崩壊した家庭、父の負債からくる驚きべき貧乏、小藩の出身、などのあらゆるハンディを背負った小村は、47歳で大抜擢を受けて、桂内閣の外相として入閣し、日露交渉にあたる。
すぐれた頭脳、強靭な神経、大胆で周到な実行力を持った小村は世界各国に情報網、諜報網を張り巡らせる。決断力、忍耐力、周到な配慮と慎重さ、、、。

ウイッテの5つの方針が記されている。アメリカを強く意識している。
講和を望んでいるという態度は決してみせない。僻地の戦争であるという態度で日本を威圧する。記者たちに愛想をよく接する。気さくな態度。ユダヤ人の反感を招かない。

小村は、歴史の浅い日本としては愚直な誠実さを基本方針として貫いている。
小村は常に議事進行の主導権を握るために、会議の冒頭に提案をしている。
協議が成立したとき、ウイッテは顔に喜びをあふれさせたが、日本側は泰然自若としていた。小村は「私は、自分の責任を果たしたことに満足している」と答えている。

粕谷一希から「外科医の執刀」「異常とも思える徹底した調査癖」と評された吉村の筆さばきの揺るぎの無さは見事である。
ポーツマスでは会議場を見学し、図書館や新聞社で資料を集めている。また日本では、外務省外交史料館に通うと同時に随員の遺族関係者に会い日記を探している。

この作品と対をなす日本海海戦を書いた「海の史劇」と、「ウイッテ伯回想記」(上)を読んでみたい。
宮崎県日南市飫肥にある記念館も訪問したい。