夏目漱石「吾輩は猫である」

夏目漱石吾輩は猫である」を読了。

あまりにも有名な本なので知っている気がするが、今回時間をかけて初めて読み終えた。
随分と長い長い物語だ。文庫本で515ページの大著である。
驚くような滑稽と辛らつな風刺が、気の遠くなるような深い教養がにじみ出る連続した言葉の文体の中で踊っている。漱石は言葉の魔術師だ。猫の目でみた人間世界の表現が実に面白い。

吾輩は猫である (角川文庫)

吾輩は猫である (角川文庫)

写生。タカジアスターゼ。猫族の言語。小泉八雲上田敏高浜虚子バルチック艦隊。葛根湯。伊藤博文。韓国統監。ソクラテス。、、、。この小説には明治の風が吹いている。

漱石自身と思われるこの猫の飼い主の珍野苦沙弥先生についての猫の視線は厳しい。
彼(主人)は性の悪い牡蠣の如く書斎に吸い付いて。何をやっても永続きしない男。裏表のある人間。牡蠣先生。太平の逸民。慢性胃弱。横になって本を二頁と読んだ事はない。送籍という男。如何に馬鹿でも病気でも主人に変わりない。主人はかくの如く愚物だから厭になる。智恵の足りない所から湧いた孑孑のゆなもの。おれが神経病じゃなく、世の中の奴が神経病だと頑張っている。学士とか教師とか号するものに主人苦沙弥君の如き気違のある事を知った以上は、。主人は愚物である。教師は鎖で繋がれておらない代りに月給で縛られている。そんな人の悪い男ではない、悪いというよりそんなに智恵の発達した男ではない。例の如く竜頭蛇尾の挨拶をする。主人は鏡を見て己の愚を悟るほどの賢者ではあるまい。何に寄らずわからぬものをありがたがる癖を有している。むやみに役人や警察をありがたがる癖がある。彼らは徹底的に考える脳力のない男である。細君にさえ持てない主人が、、。奥行きのない、薄っ片の鼻っ張だけ強いだだっこである。陽性の癇癪持ち。元来不人望な主人。

最後の方の議論は平成の時代を予言しているようだ。
昔の人は己を忘れろと教えたが、今の人は己を忘れるなと教える。文明が進むと自覚心が強くなって心は穏やかにはならない。苦しいから自殺者が増加する。中学校では倫理のかわりに自殺学を正科として教えるようになる。個性中心になるから生きているのが窮屈になり親子は別居し、結婚しても夫婦は分かれることになる。自由を得た結果不自由になる。神経衰弱になる。

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午後は、都内で企業での講演・研修。