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5月13日の「名言との対話」を書くために、高平哲郎由利徹が行く』(白水社)を読み終えました。ところが、由利徹について数年前にすでに書いていることが、書き始めた直後に判明してショック。気をとり直して他の人を探し、なんとか「カイワレダイコンの父」と呼ばれる前田瀧郎という農業技術者を発見しました。こういう形で人物を発見するのも楽しいことです。 

由利徹が行く

由利徹が行く

  • 作者:高平 哲郎
  • 発売日: 1996/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

  • キンドル:『おしえてせんせーいコロナワクチンについて』(高橋徳)を読む。

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「名言との対話」5月13日。前田瀧郎「カイワレダイコン」

前田瀧郎(まえだ たきろう 1929年5月13日〜)は、農業技術者。

前田瀧郎は「カイワレダイコンの父」と呼ばれている。カイワレダイコンとは、大根の発芽直後の胚軸と子葉を食用とするスプラウト食材だ。スプラウトとは、主に穀類、豆類、野菜の種子を人為的に発芽させた新芽のことで、発芽した芽と茎を食用となる。大根の発芽直後の胚軸と子葉を食用とする発芽野菜で、生のままサラダや丼物の彩りとして用いられることが多いので馴染みがある。

福岡市能古島に住む前田瀧郎が現在の水耕栽培方式によるカイワレダイコンの大量生産システムを考案した。海砂を使用した栽培方法で量産体制を作り、 日本に広まった。能古島の特産のあさりの貝殻海砂水耕栽培を組み合わせて貝割れ大根の大量生産を可能にした。貝割れ大根そのものは、平安時代の頃から食されていた伝統的な食品だが、砂地に大量の大根の種を蒔き、絹糸のように美しく旨い貝割れ大根を世に出したのだ。貝を割り、砂に混ぜて育てた所から、 「貝割れ大根」と名づけた。ピリリとした爽やかな風味は、和風にも洋風にも利用出来る栄養価の高い野菜である。

1986年の9月に日本かいわれ協会(現 日本スプラウト協会)が9月18日を、無農薬の健康野菜である貝割大根にもっと親しんでもらおうと「かいわれ大根の日」に決めていることかわわかるように便利な食材として親しまれている。わが家でも手巻き寿司のときなど、よく使う。

ところが1996年7月13日、大阪府堺市で学校給食へのO-157汚染による食中毒事件があった。厚生省による疫学原因調査でカイワレダイコンが感染源の可能性が高いと報道され風評被害で壊滅的打撃を受けた。このとき当時の菅直人厚生大臣が安全さを消費者へアピールする目的でカイワレを食べる姿が報道された。この映像は全国に何度も流れたから、私も記憶している。風評被害を克服して、今では多くの人がこの野菜を食している。

前田瀧郎は、「芽吹きピーナツ」(ピーナツもやし)も開発している。ピーナッツの種から発芽させた新野菜だ。

2006年の夏、博多湾に浮かぶ能古島を訪ねたことがある。そのとき、「檀一雄の家」という案内板を偶然見かけて興味を抱いて見に行った。山の中腹にある一軒の廃屋がそれだった。この家の庭からは、船着場と博多湾を挟んだ対岸の百地の海岸の建物が遠望できて気持ちがいい。その時、こういうところに別荘でも持つと幸せだろうなあと思った。檀一雄が晩年を過ごすために購入した家屋だ。食いしんぼうの檀一雄が能古に素晴らしい野菜があると言って自慢していたのが、貝割れ大根だった。檀一雄は1974年に能古島に移住している。その家屋の世話をしたのが、能古島で農業を営む前田瀧郎だと息子の檀太郎が回想している。

前田瀧郎は「カイワレダイコンの父」と呼ばれただけでなく、「かいわれ大根の日」も設定されている。こういう形で仕事が残るというのは素晴らしいことだ。