柳井正(ユニクロ):いいライフウェア。情報製造小売り。世界で稼ぐ。年金問題!。できることをやる。

東京MXテレビ「世界を知る力」。寺島実郎柳井正ユニクロ)の対談。

今回は、柳井正さんの発言だけを取り上げます。

(株)ファーストリテイリング有明本部での対談。本棚に囲まれたオフィス。

f:id:k-hisatune:20220123200510j:image

  • 早大ロックアウトのうちに世界一周の旅をした。
  • 主体者としてビジネスをつくってきた。
  • 衣料は生活の一部。文化に左右される。主流は普段着、カジュアルになってきた。いい普段着(ライフウェア)。教育・文化支出の減少は、将来は危うい。
  • ユニクロは「製造・小売」というビジネスモデルでやってきた。今後は「情報製造小売」になる。スマホSNSで情報が支配する社会になる。
  • 日本はアメリカと同じでは危険。近隣に中国、ロシア、韓国、北朝鮮。日本独自の外交が必要。安定した関係、フランクな対話を。
  • 「世界で稼ぐ」「内向して成長なし」。アジアのリーダーは民主・自由の日本しかいない。アジア諸国の期待は、「日本よ、しっかりしてくれよ」だ。
  • 金融と財政だけで甦った国は歴史上ない。マイナス金利とは借金したら金をもらえるということ。経済倫理を損なう。経済がよくなるなずはない。これでは日本は滅びる。自民党よ、しっかりせよ。
  • 年金問題を解決せよ。これが国民の一番の不安材料。
  • 制限なしでできることを考える。そして実際にやることだ。そういう人がほとんどいない。

ーーーーーーー

朝:日曜美術館は、独学の建築家「白井晟一」。

橋本往復で1万歩。

夜:NHKBS1スペシャル「山本五十六と開戦」:「本心を言わない人だった」。組織の大勢と常に強気の世論、そして自分の信念とに挟撃された山本の苦悩をみた。公人としての立場と、個人の信念が乖離するという「変な」立ち位置に立たされたのだ。

ーーーーーーーーー

今日の「幸福」のヒント。日経新聞文化欄1月23日。樺山紘一(歴史家、東大名誉教授)

  • 樺山紘一のコロナ禍の我が道は「散歩」「遊学」「酔夢」。
  • 無類の酒好きの頼山陽にある人が人生の幸福について質した。咄嗟にでた返答は「剣菱」だったという。

ーーーーーーーーーーー

「名言との対話」1月23日。黒田初子「何もかもやりかけで死んでいきたい」

黒田初子(1903年1月23日-2002年5月22日)は、登山家、料理研究家。享年99。

東京出身。東京女子高等師範(現お茶の水女子大)家事科卒。卒業と同時に工学博士で雪氷研究家で7つ年上の黒田正夫と結婚した。 夫の影響で登山とスキーに開眼し、女性として剣岳八ツ峰などに冬季初登頂するなど登山家として業績がある。また料理研究家としても著名。

著作活動も活発で、『婦人ノ山トスキー』『家庭料理百科』『山への誘い』『旅と山と』『味と自然の散歩道』『いきいき九十歳の生活術』『お料理のレッスン70年』などがある。

黒田初子『いきいき九十歳の生活術』(草思社)を読んだ。90歳の著書である。

90歳の日常が紹介されている。

年間スケジュールでは、年末年始、2月初旬、3月初旬はスキー。夏休みは旅行。

週間スケジュール。週1回は病院。日曜は水泳。料理のクラスは平日に5組教えている。

毎日のスケジュールの詳細を記そう。5時起床。朝風呂。6時半テレビ体操。7時朝食。8時半NHK連ドラ。10時から午後2時まで料理クラス。夕方まで買い物、レシピ考案など。6時半夕食。日本酒かワインのどちらかを2杯。10時入浴。10時半ベッドに入る。

80代の最初までは超多忙であり、ブレーキをかけた90歳でも以上のスケジュールだ。本人によれば、体質に加え、食事とスポーツがエネルギーの源だ。

「毎日の母親のお料理が、子どもの健康や幸福に影響を与える」と考え、自宅で少人数での料理教室を70年にわたり開催している。レシピ300種を学んだ生徒には免状を出す。この時点で382人。1000種学んだ人は11人。1500種は数人。教え子の数は膨大である。米寿の会ではお祝いにスキー用具一式を贈呈され、パーティ会場では驚きの声があがっている。

「何もかもやりかけで死んでいきたい」、「何ごとも進行形で、行動中に人生を終わりたい」が信条だった。このでんでいうと昨今流行の「終活」などはとんでもないということになる。ライフワークを完成しなくていい。生涯を通じて進めていくのがライフワークだということになる。90歳の卒寿のお祝いの会で、郷里・中津の横松宗先生が新著を配って驚愕したことを思い出した。かくありたいものである。

黒田初子にとって、努力する楽しさ、進歩するよろこび、それが「しあわせ」だった。したいこと、するべきことがありすぎて、かたづける気が起こらない。常に前進しており、明日の計画がある。「何もかもやりかけで死んでいきたい」は、黒田初子の米寿の会での挨拶の言葉である。こういう姿勢で後輩の女性たちに勇気を与えた人である。それから10年ほど経って、99歳で永眠する。見事な生涯というほかはない。