九大探検部時代の友人・坪内俊之さんの講演会に同期の山田君と出席。銀座の中小企業会館には60名ほどの人が集まっていた。一般社団法人「歩き塾」が主宰で、坪内さんが巡礼の途中で知り合った友人も多数見えていた。肩書はSenior Wanderer。
出光興産の研究職の定年退職(60歳)後に、10年間にわたって、ヨーロッパ、ヒマラヤ、国内などを、歩き、走りまわった足跡は圧巻だった。テーマは「自由」と「巡礼」か。以下、足跡。まさに足跡だ。
1.トランスヨーロッパフットレース(2012):デンマーク北端からスピ会陰南端まで4176キロ。一日平均65km走るステージレース。
2.サンチャゴ巡礼(2013、2014、2015、2018年):巡礼道「ル・ピュイの道730キロ」12日は知る。「フランス人の途」「ふぃにすテレの道」1000キロ。「北の道」「プリミティボの道」「ポルトガルの道」「1300キロ47日間。地中海から来た知性用まで「モザラベの道」「銀の道」「佐奈ブレスの道」「イギリス人の途」1740キロ62日間。「マドリッドの道」「サルバドールの道」「プリティボの道」863キロ29日間。一日30ユーロ(日本の半分)
3.エベレスト街道トレッキング:235キロ22日間。1ヶ月6万円。
4.台湾縦断走り旅:基隆ー高雄500キロ10日。
5.タスマニア島トレッキング:215キロ13日。
6.日本100名山:86座プラス14
7.ピレネー山脈スペイン側ロングトレイルGR11トレッキング:大西洋から地球界。935キロ54日。
8.五島列島53境界巡礼:490キロ13日。
9.英国魔ショナルトレイル5カ所:915キロ55日。
10.独国ライン川渓谷&モーゼル川渓谷トレイルトレッキング:それぞれ239キロ15日、355キロ13日。
11.ドイツーイタリ、クロアチアトレッキング:672キロ40日。
12.ブルガリア:3カ所の山岳口演トレッキング607キロ39日。滞在費はネパール並。
13.コロナ禍の2年:国内みちのく潮風トレイル1025キロを八戸から相馬まで39日。
14.四国遍路108箇所(88+別格20)通し打ち1417キロ40日。
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友人。ブログに記録。食べ物と酒。巡礼証明書。新しいことをすると世界が広がる。スマホGPS。ピルグリム・ガイド。アルベルgu(宿)。ハプニング。自然享受権(英国)。6-9月。FBグループ。メルマガ。ガイドは英語版。スマホ地図GPSアプリ
「Geographica」
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始まる前に本当に久しぶりに坪内君と少し会話。聞き終わって、人生100年時代の定年退職後の活動の素晴らしいモデルであると感心した。
10日の朝、坪内さんのFBを開いたら、参加者の感激した様子のコメントがいくつもあり、それに返事を書いていた。それをピックアップしてみたが、ここに人生100年時代の生き方の指針がある。
ずっと前ばかり見て過ごしてます
出来る時にやらないと、いつか、は無いですよ
色々な面で、何かしらの刺激になれば幸いです
好きな事は継続出来ます
ずっと、前ばかり見て過ごしています
好きな事ばかりやっていたら、こうなりました
是非真似して下さい
36歳から走り始めて、走歩距離は現在11万6500kmになってます。
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終了後、山田君と「ベルニーニ」で食事。
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「名言との対話」7月9日。清水幾太郎「私たちが読書や思索に苦労するのは、転向するためではないでしょうか。また、一所懸命に勉強していれば、何時かは必ず転向するに決っています」
清水 幾太郎 (しみず いくたろう、 1907年 7月9日 - 1988年 8月10日 )は、 日本 の 社会学者 ・ 評論家 。
東京生まれ。東京大帝大文学部卒業後、同大学助手などを経て読売新聞社の論説委員となり、第2次世界大戦中は陸軍報道班員として健筆をふるう。
1946年から「二十世紀研究所」を主宰。戦後日本の民主化に対応するべく、知識人集団を組織する。 1949~69年にかけて学習院大学教授をつとめる。学習院大学の定年は70歳だったが、退職は61歳だった。
この間、雑誌『世界』に論文「今こそ国会へ-請願のすすめ」を発表するなど、基地闘争や 60年安保闘争の先頭に立った。戦後知識人の最高峰として畏敬された。
安保以後は左翼陣営を離れ、「現代思想研究会」を発足させる。 1966年に著書『現代思想』でマルクス主義を批判し、その「転向」が論議を呼んだ。「批判」と「賛辞」の渦の中心に存在し、「雑誌『世界』からは掲載を断られている。1980年の『日本よ国家たれ-核の選択』 では戦後民主主義そのものを批判している。
著書135冊、翻訳書39冊、編纂監修43冊。合計執筆数は2582を数える。『清水幾太郎著作集』 19巻 。日本の戦前・戦後の思潮に大きな影響を与えた文化人である。
私は教育学者の竹内洋の愛読者であるが、その竹内が、『メディアと知識人--清水幾太郎の覇権と忘却』(中央公論社)という本を書いている。戦後のスター論客だった清水幾太郎を傍系インテリと定義し、「正系中の傍系」であると捉えて議論を展開していた。そして清水の変化は知識人界のヘゲモニーを掌握するための戦略ととらえている。いつもながらその分析とたくみな筆致にうならせられる。確かに面白くて一気に読み終えて高揚感が残った。
一方で清水幾太郎は文章論が有名であった。『論文の書き方』は、岩波新書のトップランクの売れ行きである。私は『図で考えれば文章がうまくなる』(PHP)を書いたとき、改めて読んだことがある。清水の主張は「文章は答えである」とし、問題を設定し、問題に答えるために文章を書くのだという。そして短文の部品を組み立てて、答えの全体像をつくりだす、それが文章を書くということだ主張して、今なお多くの読者を得ている。
この本の姉妹編として清水が書いた『日本語の技術 私の文章作法』(中公文庫)を読むと、思いつきを保存し、たくさんの思いつき同士の連絡をつけよ、自伝の試みは年齢に関係なくやるべきだ、などとある。この本の中で「転向」についての考えが記されていて目が留まった。
「私たちが読書や思索に苦労するのは、転向するためではないでしょうか。また、一所懸命に勉強していれば、何時かは必ず転向するに決っています」というのである。
人生の中で小高い地点に立つと、今までたどってきた道が一望できる。それを自伝や自分史として記すなかで、次の未来が見えてくる。だから人間が本当に成長するということは、転向の連続ではないかという主張である。時代、環境は変化する。そしてその中で生きる自分は成長していくのであって、それを転向を非難するのはあたらないということだろう。少し強弁をしている感もあるが、よくわかる気がする。