万葉歌碑を巡る小さな旅--多摩・府中・八王子

k-hisatune2008-12-28

万葉集の庶民の歌」をライフワークとしている母((81歳)が来ているので、一緒に近くの万葉歌碑を訪ねる。

夏は、狛江の多摩川沿いに建つ碑を訪ねた。「多摩川に曝す手作りさらさらに何ぞこのこのここだ愛しき」。

今回の小さな旅では、多摩、府中、八王子の3つの歌碑を訪ねた。歴史とロマンにあふれる実に楽しい旅となった。

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多摩市南野二丁目 一本杉公園 芝生広場

 赤駒を山野に放し捕りかにて多摩の横山徒歩ゆか遣らむ

  豊島郡の上丁椋埼部荒虫が妻の宇遅部黒女
  (としまぐん)(かみつよぼろ)(くらはしべ)(あらむしがめ)(うじべのくろべ)

 赤駒(馬)を山野に放牧して捕えられずに、多摩の横山を歩いて行かせることか、馬がいれば乗せてやりたい、という妻の嘆き。

武蔵の国の国府であった府中から八王子までの多摩丘陵の尾根道は「多摩の横山」(東西が横、南北が縦)と呼ばれていたが、この東西に続く道は東国と西国を結ぶ要衝で、武蔵の国と相模の国の双方を眺めることができる高台だった。遠い九州での守りに着くために、この道を東国の防人は歩いて行ったのである。陸路で都へ、そして難波津から瀬戸内海を通り九州へ。この歌は、防人になっていく夫の身を案じる妻の嘆きをうたったものだ。

豊島郡の防人は国府に集合して府中から多摩川を渡って多摩丘陵を越えて、東海道をたどった。

この横山に南北に交わる形で、長池公園の向かい側の唐木田給水所から、奥州廃道(多摩市総合福祉センターの横)、奥州古道、鎌倉裏街道(一本杉公園あたり)、鎌倉街道上ノ道(南野高校のあたり)、鎌倉街道多摩ニュータウン市場のあたり)、古代東海道(展望広場のあたり)。この道は多摩東公園、多摩武道館まで続いている。現在ではこの横山に沿って尾根幹線道路(通称オネカン)が続いている。防人たちが見たであろう丹沢(相模)から秩父(甲斐)の山系とその先にある富士山は、この横山の道の府中側にある私の研究室から眺めることができる。毎日眺めている景色は、古代から中世、江戸時代に渡って、政治、軍事、文化、産業、社寺参詣などを目的として東国西国間の交易を行う商人や武士団、諸国霊場を行脚する巡礼者や都の貴人・官人、また幕末の新撰組なども行き来したから、その人たちが見た山々なのだ。

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府中市宮西二丁目 大国魂神社 参道鳥居前の欅並木

 武蔵野の草は諸向きかもかくも君がまにまに吾は寄りにしを
       (もろむき)        (あ)

武蔵の国(東京・埼玉・神奈川にわたる大国)の草が風に靡くよう、私は貴方にひたすら心を寄せたのに、という意味の歌。自然と共に生きた女心を歌ったもの。万葉仮名で書かれた歌碑。

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八王子市鑓水御殿峠 多摩養育園

 妹をこそ相見に来しか眉引きの横山べろの鹿なす思へる

  逢いに来ました
  横山あたり
  逢わせもくれずに
  母親は
  猪みたいに
  追い払う
   (現代語訳・竹下数馬)

峠にある斜面に建ってtいる多摩養育園という老人ホームのある一角にこの歌を記した四角い台座があり、その上に鹿のモニュメントが乗っているという趣向の歌碑である。なかなか見つからなかった。