知研セミナー:松本龍二さんの「認知症介護に役立つAI小説、個々のニーズに合わせた心温まる物語が、豊かな日々を支えます!」。

3月の知研セミナーのゲストは松本龍二さん。テーマは「認知症介護に役立つAI小説」。15人が参加。

松本さんは岡山の認知症の施設のケアマネジャーで認知症介護指導者などの資格を持っている。その現場でChatGPTなどのAIを使った活動をしている。

その成果の一部を披露してもらったが、素晴らしい活動と、その成果に参加者たちは驚き、感銘を受けた。

個人個人、一人一人に合わせた介護という理想に向かってAIを使うという実験であり、参加者の一人が「前代未聞」と語っていたのが、印象的だった。

いくつかの指示をAIにしてできあがった短編小説を読んでもらったり、テレビ画面で写したらい、AIによる音声で聴いてもらう。入所者たちが笑顔になる。

いくつかその小説をみせてもらった。希望に満ちたハッピーエンドが多く、読んだ人が幸せな気分になれる内容だ。この活動によって施設内のコミュニケーションがよくなったそうだ。

この小説は、個人個人の事情、ニーズに沿った内容になっているので、心に響くのだろう。AIの持つ豊かな可能性を感じたセミナーだった。

以下、参加者の感想。

  • 3月の知研セミナー「認知症介護に役立つAI小説!」のお話を、実際の小説もご紹介いただきながら伺いました。介護とAI小説がどのように結びつくんだろうかと思っていましたが、講師の松本さんが認知症グループホームでケアマネージャーや介護の仕事を真摯に行ってこられたからこそできたことなんだと思いました。認知症の方は時折ご自身の過去に戻っていかれるので、その方に寄り添うのはなかなか難しいこと。でもそんな中でニーズに気づき、AI小説を作ろうと考えた松本さんって画期的ですごいなぁと思いましたし、結果としてみなさんから喜んでもらえたということですから、素晴らしいと思いました。 AIの活用は、使い手の思いによっていくらでも可能性がありそうですから、今後、どんなことと結び付けていけばグループホームのみなさんの幸せに役立てるのか、期待値が高いです。そして、さらにAI小説を活用するにあたっては、AIを使い慣れた学生さんやボランティアなどと協力して取り組むのもいいのではと、勝手に想像してしまいました。ただし、読者が特定されているので、その方々のことを知ってもらったり、ふれあってもらったりとつながっていただいたうえで、作成してもらえたらよりいいなと思います。例えば読者と一緒になってAI小説を作成するなんてことができたら、また違った楽しみ方ができそうです。松本さんがこれからも取り組んでいくとおっしゃっていましたから、次にどんな取組をされるのかとても興味が湧きました。機会があれば引き続きお話を伺いたいです。よろしくお願いいたします。
  • 本日の知研セミナー「認知症介護に役立つAI小説」、ありがとうございました。生成AIで作成した小説で認知症の入居者の方々の心のケアができるという、とても興味深いお話でした。講師の松本さん、ありがとうございました。まずChatGPTが小説を作成するところの実演で、思った以上に短い命令文だけで、あっという間に短編小説が出来てしまうことや、小説の内容も自然と心のケアに繋がるような穏やかなものに仕上がるところに驚きました。また、実際に入居者の方が出来上がった小説を楽しみ、人と人との関係性をも改善させることに繋がったという話は、AIの作成した文章が人の心に響いたということの実例として、とても興味深く聞きました。また、AI小説を認知症介護に活用することが、認知症介護全体の中でどのような位置付けになっているかというところも整理されていて、素晴らしいと思いました。今日は貴重なお話、ありがとうございました。
  • 知研フォーラムの3月の定例会は松本龍二さんを講師にお迎えして「認知症介護に役立つAI小説! 個々のニーズに合わせた心温まる物語が、豊かな日々を支えます!」というタイトルでお話いただきました。
     最初テーマをうかがったとき、「認知症とAI????」正直、全く想像できませんでした。お話をうかがって、認知症の方も本を読むのがお好きな方も多いこと、施設にある本はあらかた読んでしまって退屈されていることがまず初めて知ったことでした。そして、「AIにその人に寄り添った内容の小説を書かせて、読んでもらう」という松本さんの発想。これが本当にすばらしい。異質と思われるものを組み合わせた結果、思いがけない化学反応を起こしてすばらしい生成物が得られました。個々の方の個性や興味関心に寄り添った筋書きで、結末は必ず心豊かになり希望がもてるものができ、一人一人の利用者さんが元気と生きがいをもつことができた、と聴いた我々も心温まるお話でした。「科学技術は人を幸せにするためにある」と常々思っていますが、まさにその通りになっていました。そして、今後、認知症介護だけでなく、いろいろな場面でAIが活用できる可能性を教えてくれました。もちろん、そのベースとなっているのは松本さんの利用者さんたち一人一人への深い理解と愛情です。これなくして技術だけをまねしても、花咲か爺さんに出てくる欲張り爺さんのようにかえってうまくいかないと思います。松本さん、本当に今日はいいお話をありがとうございました。
  • 認知症の方々の興味関心に合わせ、その人の心が明るくなる「物語」をA.Iによって生成し、その物語を持って語りかけていくことで、普段のBPSD(不快感情)を持つ認知症の特性がより前向きに明るくなっていく、という実例とその仕組みについて語っていただきました。これは従来にない先進的でありつつ、認知症介護専門家として、心の通った取り組みであるとともに、ユーザー個々人へ寄り添った、完全にその人のためだけのストーリーを構築していけるという、究極的な個人サービスとして成立していると感じました。 施設で暮らす方が感じてきたであろう不満や悲しみも含め、それらがより良い方向へ変わっていく「物語」に、自分の気持が反映されていると感じたり、また、物語世界に素直に感情移入していける「スペシャル」な小説が、朝、A.Iを使ってわずか数十秒のうちに書かれ(最終的には人の手によって修正、完成する)、その日のうちに対象となる方に絵と文字と音声で提示できる、という実践リポートは、2025年には全国800万人となる認知症の方々とそれを支える介護者への大きな福音となる希望を感じました。松本さん、素晴らしい取り組みのお話をありがとうございました!

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」3月21日。宮城まり子私ほどこの仕事に不適当なものはありません。けれど、なんとか私がやりとおしてこれたのは愛です」

宮城 まり子(みやぎ まりこ、1927年3月21日 - 2020年3月21日)は、歌手女優慈善活動家福祉事業家)、映画監督。享年93。

東京出身。人気歌手、人気女優でありながら、その絶頂期に芸能活動から離れ、1968年に日本初の民間社会福祉施設である社会福祉法人ねむの木福祉会を設立し、静岡県掛川市学校法人ねむの木学園をつくった。ねむの木養護学校校長、特別支援学校ねむの木の校長などを歴任した。

私は2008年に宮城まり子の「ねむの木こども美術館」を訪問している。吉行淳之介文学館から新緑を見ながらそして深い渓谷の水音を聞きながら少し道を登っていくと、NHKテレビの番組で見た記憶のある独特の建物が現れた。宮城まり子が心血を注いだ「ねむの木こども美術館」である。ユニークな建築で知られる藤森照信さんの設計。白い横長の建物だが、土地自他に傾斜があり、入り口のある部分は2階建てで、多くの作品を展示している部分は1階建てだ。その2階建ての屋根はキノコの形をしており茶色の帽子をかぶっているようでユーモラスだ。
2階にはエレベータで上がる。「私ほどこの仕事に不適当なものはありません。けれど、なんとか私がやりとおしてこれたのは愛です」とまり子が出した手紙の一節が掲示してある。恋人の吉行淳之介文学館でも感じたことだが、エニアグラムの性格タイプ2であることは間違いない。このタイプは人を助けることで自己の存在を確認できるから、献身や愛に生きる人が多くなる。
最初の真白なまばゆい空間は教会を連想させる。宮城まり子自身のガラス素材の作品がある。「モナコの海」「きづついた夜」「海辺の街」「春」「日本海の夕日」「こどもの情景」、、、。ここには、ほんめとしみつ君とほんめつとむ君の兄弟の絵が並んでいる。「おかあさん」の絵は、赤と黒のみで描いた顔で、これは宮城まり子がモデルだろう。
メインの大きな空間には子どもたちの絵がたくさん展示されている。やましたゆみこさんの作品はとても好きになった。「お花畑のこどもたち」「飛行機雲」「つしんぼとり」「秋の木の黄」「れんげ草とあたしとおかあさん」「春が来ました お花もつくしんぼもおはよう」「ねむの木国ねむの木県ねむの木村ねむの木」、、。大きなキャンバスに細かくデザインされた絵は長い時間の存在と豊かな表現力を感じさせる。むらまつきよみさんの作品もいい。木の香りがいい素敵な美術館である。
出口近くの空間に2007年4月15日朝4時と日付と時間の入った宮城まり子の言葉がある。美術館の開館の日の朝の言葉である。

「わたしたちは、造形の神のたまわれた試練を恩恵とうけとり、あらゆる困難にたえ楽しく強くそしてたよることなく、やさしく感謝しものごとに対処し根気よく自分の造形に挑戦した 心おどるでしょう これがわたしたちのやったこと まり子」。
「ねえ、貴方 わたし、よくまあつづいていると思います。子どもたちの才能は無限なのですね まり子」。
この美術館の白い外壁の下の方には、子どもたちが描いた木や花の絵が描かれていてとてもいい。
出口から広い庭に出て歩くと、鳥の声が間断なく聞こえてくる。「ホーホケキョー」とウグイスは長く長く鳴き続けていておかしくなるほどだった。

美術館を後にして道を下ると社会福祉法人ねむの木学園に着く。ねむの木学園は肢体不自由児を対象とした施設で宮城まり子が1968年以来運営してきた肢体不自由児療護施設である。山あいにある広い敷地の中に薄赤の屋根をかぶったかわいい建物がいくつか並んでいる。白い小手鞠(こでまり)の花がきれいだ。学園にいく朱塗りの橋の名前も、こでまり橋だった。学園の外を歩きながら中をのぞくと。子どもたちがダンスをしている姿が垣間見えた。ねむの木は白い花の先がピンクに染まっている可憐な花。この学園には1時間に1本のバス便がある。
「愛の風景」というねむの木学園を題材にした写真集をみると、子どもたちに絵を教えたり、ミュージカルを一緒に踊ったり、合唱したり、ポピーの中をみんなで歩いたりする、まり子の姿がある。一生懸命に頑張っているが、80歳を迎え老いたまり子にこの学園の経営という重荷がかかっていると思うとかわいそうな気もする。

吉行淳之介記念館は広い文学館だが、天井は各部屋ごとにそれぞれ異なった工夫が凝らされている。三角形に張り出した空間の先の小さな場所からは庭の緑が心を和ませる。

恋人まり子への手紙が掲示してあった。「帰ってきたら、君のヒコーキの中の手紙が着いていて、胸がきゅんとなった。好きだよ」「君と離れていると、気持ちが荒んで困ってしまっている」、、。
吉行淳之介の作品は今まで読んだことはなかったので、『鞄の中身』を買った。最初の短編の「手品師」を読んだ。もろくはかない青春の一こまを描いた叙情豊かな作品だった。
建物といい、遺品の配置といい、能を催した庭の見事さといい、見事である。ハードだけでなく、ソフトに優れていると感心した。宮城まり子の配慮が隅々にまで行き届いている上質の空間であり、宮城まり子の愛が吉行を包み込んでいる。吉行淳之介を記念した文学館であるが、宮城まり子の記念館であるとの印象も濃い。

それから3年後の2011年に、宮城まり子の銀行口座から、現金を不正に引き出したとして、警視庁は容疑者を詐欺の疑いで逮捕したというニュースが流れた。

「毒消しゃいらんかね」「ガード下の靴みがき」「屑屋の歌」「納豆うりの歌」「ジャワの焼鳥売り」「陽気な水兵さん」「まり太郎の歌」「ドレミの歌」などを歌った紅白歌合戦には1954年から8回出演するなどの大歌手だった。どの歌も戦後の世相を反映しており、人々は励まされた。そのまり子は、30代で困難な社会福祉の道を選び、その道を歩み続けた。そしてテレビ、ラジオ、映画、著作などで、身体や精神に障害を持つ子どもたちへの支援を訴え続けた崇高な生涯を送った。3月21日は、宮城まり子の誕生日であり、死亡日である。同年同日だった。

 

 

                                      • -