鈴木信太郎(1895-1970)は、20世紀前半の日本におけるフランス文学研究の黎明期に、フランス文学・語学の研究体制を確立し、研究者および教育者として活躍した。
フランス象徴派詩人マラルメと中世文学のヴィヨンの研究者。東大仏文科を活性化し、渡辺一夫、小林秀雄などを育てた。フランス稀覯本の蒐集家でもあった。
実家は埼玉県春日部の大地主。莫大な財産を継ぐことが決まっていたが、父は米穀商を継がせるつもりはなく、美術などを勉強した。15歳では漠然とフランス文学を志望するようになる。東京帝大文学部に入学しフランス文学を専攻。卒業後、副手を経て講師。
1925年30歳で私費留学生として渡仏。3つの目標。演劇を観る(260回)。本を蒐集する。中世仏フランス語を勉強する(ヴィヨンを読む。個人教授)。父の死去で繰り上げて、シベリア鉄道で帰国。
34歳、助教授。52歳、教授。定年退官後は、中央大学、東洋大学で教授。1960年、64歳フランスからレジオン・ドヌール三等勲章(コマンドール)。1970年、75歳で死去。
「生まれ変わって、もう一度現在までの人生を同じようにもう一度生きたい」と最終講義で語っている。
書庫付き書斎。書斎は新生で重要な場所。仕事部屋とサロン。耐震構造の鉄筋コンクリート造り。天井まである書棚は圧巻だ。
マラルメ「世界は一冊の美しき書物に近づくべくできている」を具現化した小宇宙。
「ロザリオ」同人。団伊能(団琢磨の父)。
書斎のステンドグラスは信太郎自身の手によるデザイン。
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インターゼミ。
学長講話:
全体知を目指す。100歳人生。納得のいく創造的人生。流動性知能と結晶性知能(つながり)は認識。。第三の知能「唯識論的知能」。5識(5感、、)と深層意識(美意識など)は意識(仏教の教えをスタディ!)
大学のビジネスモデルの変革。ジェロントロジー(高齢化社会工学)。
今夏2冊「20世紀と格闘した先人たち(アジア・アフリカ編)」と「若き日本の肖像(欧州編)」(再読!)。中年の危機の克服は、使命感と出会い。「多摩の地域史」「江戸期の日朝関係」「江戸期の日中関係」を読め(図解化!)
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「名言との対話」6月30日。高宮行男「予備校教師は5者を兼ねなければならない。学者、医者、役者、芸者、そして易者だ」
高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 2009年6月30日)は北海道出身の実業家で予備校経営者。学校法人高宮学園代々木ゼミナール理事長を務めた。
代々木ゼミナールは「生徒の駿台・机の河合・講師の代ゼミ」と言われるほど、「講師第一主義」の方針を貫いた。現在のタレント講師のはしりだ。
高宮の言う5者とは、学問を教える立場の「学者」。鬱屈した浪人生の心を支え、癒す「医者」。教室を舞台に見立て、教師役を演じる「役者」。艶やかな衣装や芸で魅せ、生徒の羨望の的となる「芸者」。そして志望校に導くアドバイスや“読み“ができる「易者」である。教育者に求められる理想の資質を見事に言い当てている。