図解塾・課外授業「続ける技術」第3回。 テーマは「人物記念館の旅」。

図解塾・課外授業「続ける技術」第3回。

第1回「ライフプランの実際」、第2回「日記・ブログ」。第3回のテーマは「人物記念館の旅」。15以上年かけて935館の人物記念館をまわって得た「本物の条件」と、さまざまなエピソードを紹介。大学でやっている15回の講義の内容を2時間で話してみました。

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  •  図解塾の補講「人物記念館」、本当に濃い2時間でした。15年間の蓄積の威力をまざまざと見させていただきました。最も印象に残ったのは、7つの「本物の条件」と、それぞれについて具体的な例を挙げて紹介してくださったこと。「師匠」「切磋琢磨」「持続する志」「怒涛の仕事量」「修養、鍛錬、研鑽」「飛躍する構想力」「日本への回帰」それぞれで挙げられた例も一つ一つが大変興味深く、偉人相互の関係も初めて知ることばかりで面白かったです。やはり、現地へ足を運んで、その場でなければ得られないものが大切ですね。
  • 40か国を訪問した久恒先生が日本国内を旅するようになったきっかけ、そして原動力を教えていただくことができました。人物記念館があるということは、影響力があったということ。自ら出向くことで、フィールドワークになる。メモを取る。現地でしか触れられない情報に出会う。翌朝思い出してブログに書く。記録に残る。繋がりが出てくる。物事に詳しくなれる。私の住まいの近くにも人物記念館があり、その存在すら知らなかったことに驚きました。行ってみたい場所が増えて、記録の重要性も教えてくださり、とても有意義な時間でした。ありがとうございました。
  • 人物記念館巡りを心から楽しんでいることが良くわかりました。やはり心から楽しむ気持ちが継続に繋がるのですね。テーマを決めて継続していくことで唯一無二のものが出来あがりますね。
  • 本日もありがとうございました。人物記念館を訪れて、メモして、ブログにアップすることで、インプットとアウトプットができて、すばらしいですね。何より楽しそうで、良いことです!偉人達同士でつながりがあって、ドラマがあり、人間味があり、そこを知れると面白いですね。画家が長寿ということも、創造力と体を使う、なるほどと思いました。旅行できるようになったら、ぜひ立ち寄ってみたいと思います。来週もどうぞよろしくお願いいたします。

以下は、突然あらわれた22歳の新人の感想。

  •  久恒先生、本日はありがとうございました。 本当にごちそうさまでした。 本日の「続けてきたこと、人物記念館の旅」というテーマに対して、久恒先生が積み重ねてきた時間と質が広く深く厚く、今日一日ではとても咀嚼しきれないなあと強く感じました。これから先の人生で体験が追い付いてくる中でひとつひとつ自分なりに消化していきます。 今、時間をおいて、様々な切り口でお話しを聴いてみたくなりました。「遅咲きの偉人」のような、いくつか例を考えると、 ・若者に響きそうな言葉 -落ちこぼれからの成功者 -○○歳まで自分探し ・昨今のトレンド -女性が活躍する文脈(フェミニストの方の口から「与謝野晶子」、「樋口一葉」さんの名前を聞いたことがなかったなあという気がした。) -SDGs等、三方よしにおける「世間よし」の実践者 -教育:偉人の師匠の在り方について など。  今回のお話しを通して、自分の探求したいことの解像度も上がりました。お話しを通して見えてきた自分の仮説は、「偉人が志を持っていることはもちろんだが、その志を生活から体現しているのではないか。」ということです。 志を強く持ち、そのために行動する人と消費者として過ごす人の暮らしの違い。 偉人たちに一貫する「暮らし」の在り方があるのではないかと気になりました。 これは現在の自分の関心領域とつながります。 現在自分は「脳神経のはたらき」に興味があります。そのなかでも人の特定の動きと対応した「バイオマーカー(= ある疾患の有無や、進行状態を示す目安となる生理学的指標 )」を見つけたいと考えています。構造と仕組を知りたいのです。 医学・生理学的に共通する偉人の特徴。そしてそれを作り出す暮らしのさま。そのバイオマーカーに関連する暮らしの特徴を見出すことで、偉人の人生を科学することができるのではないかと考えています。暮らしの在り方がわかれば、「偉い人の人生」に形からでも入っていくことができるのではなかろうか。それはきっと個人の人生の充実につながっていくきっかけになっていくのではないか、と内省が捗りました。本日はおなかと頭がいっぱいという感じです。今後、人物記念館応援隊などの活動を通して、体験とともにより自分なりに腹落ちさせていきます。久恒先生、本日はありがとうございました。

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「名言との対話」3月3日。いぬいとみこ「よその国の小人たちを日本で生かすことが私にできるのか」

いぬい とみこ(本名:乾 富子、1924年3月3日 - 2002年1月16日)は、日本の児童文学作家

東京生まれ。子ども時代からグリム童話などを愛読する。日本女子大学を中退し、京都平安女学院大学保育科に転学し、京都の保育園に勤務。父親が富士紡・柳井化学工場長となったため、山口県柳井市に住み、戦時保育所「ほまれ保育園」の保母となる。1950年日本児童文学者協会新人会に入り、佐藤さとる長崎源之助神戸淳吉らと同人誌『豆の木』を創刊。岩波書店石井桃子らと岩波少年文庫の編集に携る。

児童書の編集に携わりながらの旺盛な執筆活動で、児童文学関係の賞を多く受賞している。1954年ツグミ』で児童文学者協会新人賞受賞。1957年 『ながいながいペンギンの話』で第11回毎日出版文化賞受賞。1961年 『木かげの家の小人たち』で第1回国際アンデルセン賞国内賞受賞。1964年北極のムーシカミーシカ』で第5回国際アンデルセン賞佳作賞受賞。1965年うみねこの空』で第3回野間児童文芸賞受賞。1982年 『雪の夜の幻想』で第29回産経児童出版文化賞受賞。1983年 『山んば見習いのむすめ』で第13回赤い鳥文学賞、第30回産経児童出版文化賞受賞。1987年 『光の消えた日』『白鳥のふたごものがたり』の業績で山本有三記念路傍の石文学賞、第34回産経児童出版文化賞受賞。

小中学校の教科書にも登場した「川とノリオ」では、柳井川や宝来橋などを描き、「光の消えた日」には、1945年年8月14日の光海軍工廠の空襲で多くの尊い命が失われた事件を書いている。こうした縁もあって、1996年3月、いぬいとみこ文庫発起人会より「いぬいとみこ」の本50冊と岩波世界児童文学集全30冊の合計80冊が柳井図書館寄に寄贈され、「いぬいとみこ文庫」が開設された。2016年には東京の石神井公園ふるさと文化館で、「いぬいとみこ特別展」がひらかれており、今なお読みつがれていることがわかる。

12歳のころから妖精やピーターパンの物語を愛した乾富子は、「よその国の小人たちを日本で生かすことが私にできるのか、そして日本の土着の小人を私がつかまえることができるのか」と考えているうちに、『木かげの家の小人たち』(福音館文庫)を書き終えた。今回私が読み終えたこの本は小学校中級以上を対象とした物語だ。森山家の末っ子のゆりには秘密の大切な仕事がある。自宅の本の小部屋秘かに住む外国生まれの4人の小人たちに、毎朝一杯のミルクを届けること。しかし戦争がはじまり、それをおこなうことがしだいに難しくなってきくる。日本の国の「美しい心」が消えていくことを悲しむ物語だ。

いぬいとみこは「よその国の小人たちを日本で生かすことが私にできるのか」という問いに、長く読みつがれるファンタジーの傑作作品で答えをだしたのだ。17歳年上の石井桃子の後を継いで、児童文学の森をゆたかにした人だ。

木かげの家の小人たち (福音館文庫 物語)

「ながいながいペンギンの話」や「北極のムーシカミーシカ」などの作品で知られる児童文学者、いぬいとみこ(1924〜2002)の魅力に迫る特別展「いぬいとみこ−ながいながい おはなしを みんなに」が、東京都練馬区石神井公園ふるさと文化館で開かれている。
「ながいながいペンギンの話」や「北極のムーシカミーシカ」などの作品で知られる児童文学者、いぬいとみこ(1924〜2002)の魅力に迫る特別展「いぬいとみこ−ながいながい おはなしを みんなに」が、東京都練馬区石神井公園ふるさと文化館で開かれている。