リレー講座「知の再武装」。

松本先生:大いなる多摩学会。人事。

学長:人事案件の進捗。近刊著書の報告。知研の新プロジェクト。

杉田先生:人事。

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 リレー講座:寺島学長

・知の再武装。『ジェロントロジー宣言』(NHK出版新書)。3つの知能。1・流動性知能(博識。記憶力・IQ、、。年齢とともに衰える)。2・結晶性知能(判断力。体験・文献・出会いなどによって知と知のつながりがみえてくる。努力次第で高まってくる。ヨコ)。3・唯識性知能(本質を感じ取る感受性。心に中の深さ。タテ)。五識五感(センサー)、九識(六識。七:末那識。八:阿頼耶識。九:阿摩羅識)。AIは「認識」、目的手段合理性、recognize)。人間は「意識」、感動・宇宙・世界・美意識・宗教、consciousness)。仏教は無神論。思想。釈迦は自分の悟り。世親が唯識論を唱えた。それに超越的な神秘性を附加(加上)し変化したのが衆生救済の「大乗仏教」。三島由紀夫豊饒の海」の第4巻「天人五衰」。松尾芭蕉「よくみればなずな花咲く垣根かな」。観音は聞こえないような小さな音を観る。聞は見えない光を感じ取る。

・人類史における宗教。6万年前:アフリカからホモ・サピエンスのグレートジャーニー・3.8万年前:日本列島に到着。1万年前:定住。コミュニティ・協調・配慮・利他愛)。2500年前:ユダヤブッダ孔子

・人間とは何か。生命科学の発展とAIの進化によって問い直されている。動物行動学・進化認知学。2003年にヒトゲノム解読終了。チンパンジーとは脳のDNAは1.2%の違い。個体差を含めると1.06%。それは言語と意思疎通、コミュニケーションの分野。意識の深さ、思想、宗教。サルは現実・人間は空想。「サピエンス全史」では虚構を生み出す力が人間。

・「1968年再考」。50年前。フランス5月革命。アメリカはベトナム反戦、黒人の人人種差別撤廃運動。アメリカが色あせ。ソ連の軋み、プラハの春。中国は毛沢東文革中南米ゲバラカストロ、日本は大学紛争、日大・東大闘争。トランプはウオートンビジネススクールの2年生でカネと女。1989年「7月4日に生まれて」はベトナム戦争で傷病兵で帰還した主人公が蔑視で傷つく物語。対照的。クリントン(徴兵拒否、ドラッグ、フリーセックス、、)と同年。

・今の時代をどう思うか。

1・「なぜか。国会で参院の定数6人増」。自堕落さ極まれり。互助会。怒り。問題意識。消費税増税だから議員定数削減という約束の反古。議員は人口比でアメリカの2倍。2億円X6人X6年=72億円。人口3割減少していく中3割はヒアスのが当然。

・2・「なぜ北海道に米軍基地がないのか、なぜ沖縄に米軍基地が70.6%も集中しているのか」。沖縄:人口増加中。基地依存は5%。観光立国で自立。出生数増加と高齢者の移住。日米安保は対ソ連。米軍は北海道から一番遠い沖縄に陣取った。首都圏には横田基地厚木基地日本帝国主義復活を抑えるのが日米安保という「ビンの蓋」論。本当に必要な施設は何か。三沢から沖縄までを一つ一つテーブルに載せる。進駐軍のステイタス、思いやり予算。独立国に外交群が常駐という異常さ。ドイツは冷戦後に基地の段階的縮小と地位協定の改定を行い主権を回復。気づきと問題識から、調べ、自分の考えをつくっていく。

3・「金ジョンウンはなぜ中国の飛行機で米朝首脳会談シンガポールに行ったのか?」。中国の恫喝、恐怖心。アメリカ主導の半島統一の直前に北朝鮮に中国が軍事介入・駐留し、グリップするという戦略。南との融和に走り、中国には3回行った。カリュウ「中国は北に首輪をつけた」。周金平二次政権の実績として香港・台湾・北朝鮮が必要。

・「ジェロントロジー宣言」。都市郊外型高齢化が問題。高齢者を生かしきる、支える側にしていく。食と農、観光立国に対応する高度観光人材。一緒に時代を切り拓いていきましょう

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「名言との対話(平成命日編)」7月12日。大橋巨泉「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ」

大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年昭和9年〉3月22- 2016年平成28年〉7月12日)は、日本タレントテレビ番組司会者ラジオパーソナリティ)。

放送作家エッセイスト評論家競馬評論家音楽評論家、時事評論家)、馬主政治家参議院議員)、実業家・芸能プロモーター、オーケーギフトショップグループ取締役社長)と、巨泉の肩書きの多さは天下一品だ。巨泉は1950年から使っている俳号である。

麻雀、ゴルフ、競馬などw厚かった「11PM」で司会者として活躍。1969年のパイロット万年筆のヒットCM「ハッパふみふみ」はユニークだった。「みじかびの きゃぷりてぃとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ」。よくはわからないが、なんとなくわかるような気がするCMだった。俳句の575とジャズのリズムが結びついた傑作だった。その後、クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などで高い視聴率でテレビ界を席巻していく。

消耗品にならないため自分でマネジメントするために、大橋巨泉事務所をつくる。原則は「映画とドラマはやらない」「一業種一種目を守る」「ナイター裏の番組は引き受けない」「週3本以上の番組はもたない」「番組の内容・構成には自ら関与する」、そして「自分の番組意外には出演しない」とうい大原則をつくる。これは20年間守られた。

「50歳でリタイヤ」のつもりだっが、ビートたけしという新しい才能と出会い、延ばす。報道と娯楽を結びつけた「巨泉の造語「インフォテイメント」番組の「巨泉のこんなモノいらない?!」は自身が言う代表作となった。

56歳で念願のセミ・リタイア生活に入る。冬はオーストラリアのゴールドコーストニュージーランドオークランド、春は日本、夏はカナダのバンクーバー、秋は日本。太陽を求めて温暖な気候の土地を渡り歩く「ひまわり生活」を堪能する。そのために、身軽に動けるようにパイプカットの避妊手術を行い子どもはつくらなかった。行く先の国の歴史や現状を勉強し、片言でもいいからその国の言葉をしゃべり、食事のメニューは自分で注文することにしていた。

巨泉には「僕は辞めると言ってはいないんです。辞めたのです」 (議員辞職の時)。「野球は巨人、司会は巨泉」、、など名言が多い。やはり俳句の影響だろう。

座右の銘岸信介総理にならって「転ぶな、風邪ひくな、義理を欠け」であり、義理を欠くことにしていた。大橋巨泉という人物は、以上にみるように公私ともに、何事にも原則を持ち、明快な方針で臨んでいることに感銘を受ける。そして「それは違う、おかしい、というマトモな批判さえ許さない戦前みたいな“空気”を今の日本に感じる」と警告を発していた。「戦争は爺さんが決めて、おっさんが命令して、若者が死ぬ」と言っている。慧眼の巨泉はわれわれが、こころすべき言葉を残してくれた。

巨泉―人生の選択 (黄金の濡れ落葉講座)

巨泉―人生の選択 (黄金の濡れ落葉講座)

 

 

 

準備していると考えがまとまってくる。情報交換が次の行動を促してくれる。対話しているとアイデアが浮かんでくる。

多摩キャンパス。

・授業準備:学部・大学院。

・講演準備:準備していると考えがまとまってくる。

・高野課長:打ち合わせ。情報交換が次の行動を促してくれる。

・中村その子先生:教務の課題。将来展望。対話しているとアイデアが浮かんでくる。

・荻阪先生(客員):日経出版から出す4冊目の近刊の相談と報告を受ける。

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「名言との対話(平成命日編)」7月11日。岩田聡「人間は何を面白がるのか、何に驚くのか」

岩田 聡(いわた さとる、1959年12月6日 - 2015年7月11日は、日本プログラマHAL研究所代表取締役社長を経て、任天堂代表取締役社長。

北海道生まれ。東京工業大学卒業後、ゲーム開発会社ハル研究所に入社。ファミコン時代からゲーム開発に携わり、プログラミングを手掛け、社長を務めた後、40歳で任天堂に転職。2002年、入社2年目の42歳で任天堂中興の祖・山内社長から指名を受けて社長に就任。ゲーム人口の拡大を目指す方針のもと、5歳から95歳まで遊べるゲームをつくるという路線で集団指導で経営を行っていく。2004年、ニンテンドーDSを開発。ソフト『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は「脳トレ」として流行語になり、社会現象にまでなる。2006年、1億台以上が売れた2006年のWiiを開発。これまでのゲーム愛好者とはまったく異なる層をつかみ任天堂を世界企業に押し上げる。

岩田は「プログラマーはノーと言っちゃいけない」と言い、未知の驚きや喜びを感じて喜んでくれるまで精進するのがプログラマーであるとし、人間を観察し続けて、試行錯誤を繰り返す。ゲームは景気変動の影響を受けない業界であり、驚きがない商品は、景気がいくら良くても売れない。やはり商品開発が命なのである。

ゲーム開発では、チーム内での数えきれないほどのやり取りの中でコンセプトが浸透し、共有され、商品に結実する。異なる部門が素早いキャッチボールを繰り返しながら、同じ目標、目標に突き進むことで、開発が成功するのである。優れた商品開発にはチームマネジメント、プロジェクトマネジメントが欠かせない。

岩田はゲーム開発者であることが天職だと信じていたが、会社の経営を任され、開発チームのマネジメントと会社の経営には多くの共通点があることがわかり、経営も天職だと思うようになった。「私の名刺には社長と書いてありますが、頭の中はゲーム開発者です。心はゲーマーです」と語っている岩田社長は、驚きを提供するのだから、お客様の要望を聞くことは無駄になるとの考えだった。いわゆるマーケはティングは不要であるということになる。

2015年現在の調査では、日本のゲーム人口は全体の人数は4336万人、スマホタブレット用ゲーム人口は3099万人。家庭用ゲーム機所有者は5,224万人、家庭用ゲームアクティブユーザーは3,200万人、家庭用ゲーム継続プレイヤーは1,539万人。大学生たちが熱中する姿を見ていると、途方もなく、未来がある業界だとの感を深くする。

ゲーム、広く娯楽産業は、人種や文化の違いといった壁を越えて、人間は何を面白がるのか、人間は何に驚くのか、という本質の探究を行っている業界でもある。岩田を頂点とするプログラマーたちの「人間とは何か」を探る中で得られた深い人間観察が数々のヒット商品を生み出したのである。1959年生まれの岩田聡の社長在籍のままでの55歳というあまりにも若すぎる死は日本と世界のファンに大きな衝撃を与えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「漱石俳句集」より--宇佐八幡の句

宇佐出身の千葉雄君と電話で話したのをきっかけに、『漱石俳句集』に宇佐八幡を詠んだ句があったのを思い出した。漱石の俳句はいい。好みだが、子規よりも好きだ。

 

 松の苔鶴痩せながら神の春

 南無弓矢八幡殿に御慶かな

 神かけて祈る戀なし宇佐の春

 ぬかぢきて曰く正月二日なり

 宇佐に行くや佳き日を選む初暦

 蕭條たる古澤に入るや春の夕

 

宇佐八幡以外の句。

 元日や吾新たなる願あり

 詩を書かん君墨を磨れ今朝の春

 温泉や水滑らかに去年の垢

 天と地と打ち解けりな初霞

 初夢や金も拾はず死にもせず

 歯ぎしりの下婢恐ろしや春の宵

 金泥の鶴や朱塗りの屠蘇の盃

 そそのかす女の眉や春浅し

 永き日や欠伸うつして別れ行く

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「名言との対話(平成命日編)」7月10日。つかこうへい「間だの芸だのいらない。芝居はF1レース。0.01秒間違えると死ぬという真剣勝負を観に、客は来る。金を払って車庫入れを観に来る客はいない」

つか こうへい1948年4月24日 - 2010年7月10日)は、日本劇作家演出家小説家

1974年に自身の劇団を立ち上げ、8年後に一端解散したがその後も劇団やセミナーの立ち上げを行い後進の育成にも尽力し、多数の俳優や脚本家を育て上げたことでも有名。

"つかこうへい以前(第一世代)"、"つかこうへい以後(第三世代)"と呼ばれる程の一時代を築き、1970年代から1980年代にかけて一大 " "つかブーム"を巻き起こしたことで知られる。

稽古は、「口立て」という、しゃべりながらセリフをつける演出法であった。「作家が机の上で書く台詞は4割。あとの6割は稽古場で役者が自分に書かせてくれるもの」との考えで、稽古を重ねるごとにセリフが変わっていく。初日と楽日とでは演出が異なった。演出は「役者が持っている個人の生活史、言葉の生活史を探してやり、言葉のいい選択をしてやるため」のものだった。つかは、「生の刺し身」のような生き言葉を体全体から発するように役者に要求するのだった。「演出家の仕事は、漁師が、魚が知らないうちに網にかかってしまったと。いうように、観客を演出家の網にかけること」。

NHK「あの人に会いたい」を改めて観たが、「希望・愛・夢」や「ハッピーエンド」を語っている。役者の一番いい姿を引き出したいとする気迫あふれる演出は、新しいセリフを次々と生み出していく。つかこうへいは、役者を愛おしみ、人間をこよなく愛す人であった。「男と女の愛おしく思い合う力さえあれば、国は滅びん」みたいな、そういう夢を持ってみたい、と42歳のつかは1990年に語っている。そして、「愛情」と「大嫌い」の振幅の幅が大きいほどいい、演出家だと言う。「人を愛したり信じたりすることは今いちばん惨めな勇気を必要としている時代。それでも人を愛したり愛おしく思っていかなくちゃいけない」。1983年の「かけおち」では、大竹しのぶ沖雅也北村和夫が熱演していた。

熱海殺人事件』『ロマンス』等と並ぶつかこうへいの代表作の一つが「蒲田行進曲」だ。1980年には第15回紀伊國屋演劇賞を受賞、1982年には、小説『蒲田行進曲』が直木賞を受賞し、深作欣二監督で映画化され大ヒットした。この小説と映画は話題になった。

「人間にとって大切なのは、何を恥と思うかです」というつかは「文化とは『恥の方向性』であり、日本人はそれがわからなくなってきている」と嘆いた。在日韓国人二世であり、日本語がわからない母にもわかるように、名前をひらがなにしたのだ。死後に公表された最期のメッセージ(2010年1月1日付)には、「恥の多い人生でございました」とあり、『娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています』、とあった。

「間だの芸などはいらない」と言う演劇界の革命児・つかこうへいは、岸田国士戯曲賞ゴールデン・アロー賞演劇賞、紀伊國屋演劇賞団体賞、日本アカデミー賞最優秀脚本賞読売文学賞などの賞を席巻している。「芝居はF1レース」といい、62歳の短い生涯をF1ドライバーのように、疾走したのである。

 

 

話題の「舞浜倶楽部」(介護付き有料老人ホーム)を見学--食事と音楽と人間関係。

新浦安の「舞浜倶楽部」を総研・松本先生と見学。グスタフ社長と廉隅顧問から説明を受ける。外観はエミルタージュ美術館を模した建物。

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 スエーデン式。食事と音楽。地域の力。地域と地域のつながり。ブンネメソッド。タクティールケア入門。ソーシャルサポート。認知症カフェ。サポーター養成講座。人材不足がテーマ。日本はコミュニティづくりに優れている。多様な主体の協働。人が集まるのは食事と音楽。看取りケア。おいしい食事と活発な人間関係。個人史(バックグラウンド)。多世代交流。食事は委託しない。一人一人の好みを把握。ブンネギター。クリニック併設。スタッフ120名で76名。普通食・嗜好食・軟菜食・ミキサー食・行事食・配慮食・きざみ食・医療食・特別配慮食。食事と排泄をきれいにまわす。チェックリスト3000。ピル・ケース。人材育成が一番。離職率が目安。

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隣の妹夫婦のマンションを訪問。

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 豊洲に住む娘の第二子が本日早朝に誕生。妹夫婦と一緒に病院を訪問し、新生児男子をみる。

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「名言との対話(平成命日編)」7月9日。山田五十鈴「「緻密な観察力と、たくましい創造力」

 山田 五十鈴(やまだ いすず、1917年2月5日 - 2012年7月9日)は、日本女優。女優初の文化勲章受賞者。享年95。

戦前から戦後にかけて活躍した、昭和期を代表する映画女優1960年代以降は舞台女優としても活動し、水谷八重子杉村春子とともに「三大女優」と呼ばれた。

自伝『山田五十鈴 映画とともに』(日本図書センター)を読むと、この大女優が仕事に目覚め、精進し、ライフワークに挑戦していく成長の姿がよくわかる。結婚を3度しているのだが、そのつど相手からの影響で女優として、人間としての自覚を持ち、そしてそれを乗り越えて歩いていく姿が印象的だ。

結婚して子どもをもうけ、女優をやめる覚悟で最後の一本「浪華悲歌」に取り組むと、芸事に対する執念、貪欲さがわき上がってくる。そして演技者になろうとする強烈な欲望が生まれる。女優を一生をかける仕事だと決心すると、もっと勉強しなければという気持ちがわいてきて、「鶴八鶴次郎」の成功で自信がつき、かつてない貪欲さで勉強に没頭する。そして「私にはしなければならないしごとがあるのだ」という考えがさらに強くなり、「りっぱな演技者であるなら、つねに大衆の愛情と批判によってそだてられていくものであるというきびしさ」を知るようになっていく。

山田五十鈴の回想によれば、「浪華悲歌」「祇園の姉妹」が女優生活の方向を決定し、「鶴八鶴次郎」でかたまって、「或る夜の殿様」で戦中・戦後の私生活を含めたもやもやした空気を取りはらって、ライフワークである女優の道を迷いなく歩いていくようになった。

「人間がちゃんとした目的もなしに生きていることのくだらなさ、はかなさへの反省」、「人間としてのふかい自省というものがどんなにたいせつなものか」、 「演技を通じて成長していかなければならない」。

映画女優生活を長年送ってきたが、まだ映画演技の体系ができていないという山田五十鈴は、しかし幾通りもの表現のしかたをいっぱい引き出しのなかにしまって、撮影の現場に持っていかなければ間にあわないと、勉強を続けていく。

「いろんな人間を創造していく方法や、演技の創造方法について根本から勉強しなければならない」「日常の基礎訓練をつみかさねることと、観客の皆さまから教えていただくということが、つねに両立していかないと、ほんとうの俳優としての成長はありえない、人間としてもたかめられることがないのではないか」

「緻密な観察力と、たくましい創造力」を念頭に演技と表現に一生を捧げた山田五十鈴は、「みて下さる観客に自分のやっているしごとがどんなに大きく影響するかということ、こんなよろこびを感じるしごとは他にないのではないか」と仕事観を語っている。さまざまの人物の創造を試みるという志を持っている大女優の演技が大衆の生活に与える影響はきわめて大きなものがある。山田五十鈴は大いなる女優であり、また人間としても偉い人であった。

山田五十鈴―映画とともに (人間の記録)

山田五十鈴―映画とともに (人間の記録)

 

 

知研東京7月セミナー「SNS時代の知的生産の技術--継続は勢力なり」

 知研東京7月セミナー

ブログ「久恒啓一の今日も生涯の一日なり」連続5000日達成記念

「SNS時代の知的生産の技術--継続は勢力なり―」

 

日時:7月20日(金):18時半より。

ゲストスピーカー:久恒啓一NPO法人知的生産の技術研究会理事長)

テーマ:「SNS時代の知的生産の技術--継続は勢力なり」

受講費:セミナー・懇親会、そして新著「偉人の誕生日366名言集」(定価3500円)込みで、4000円ポッキリ。

場所:代々木BVハウス 〒151-0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷5丁目20−23。https://goo.gl/CvwYcu

参加希望者はinfo@tiken.orgまでメールを。

 

1998年の図解ウェブから始まり、メルマガ、ブログ、ツイッターフェイスブック、ライン、インスタグラムと、進化するメディアで実験を重ねてきた講師は、2004年9月28日以来、毎日書き続けてきたブログが2018年6月7日で、13.7年になり、5000日に達した。また、ネットワークのベース基地である図解ウェブは1998年以来20年を迎え、メルマガ「学びの軌跡」は1000号を越えてきた。

 この間、すでに140冊の著書を持つ講師はSNSの活用で得た個人のビッグデータの蓄積と活用によって、今後さらに驚異的な生産性をもたらすことを確信するに至っている。その新思想と完成した知的生産と具体的なノウハウ・技術をあますところなく開陳するセミナーとなるだろう。

 「継続は力なり」どころではない。SNSを用いることによって記録が積み重なり、難しかった「継続」が容易になった。「継続は勢力なり」といえるまでになりつつある幸せな時代が迫っている。

「人間はネットワークの中に浮かんでいる」と考えている講師の人生観とともに、人生100年時代を迎え撃つ新しい武器として、SNS時代の知的生産の技術を一緒に深めましょう!

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「名言との対話(平成命日編)」7月8日。串田孫一若いうちは何かになりたいという夢を持つのもいい。しかし、もっと大切なのは、いかに生きるかである。日々の行いを選び積み重ねることが人生の行方を定める」

串田 孫一(くしだ まごいち、1915年11月12日 - 2005年7月8日)は、日本詩人哲学者随筆家

 中学時代から登山を始める。1938年、処女短編集『白椿』を刊行、戦前は上智大学で教える。戦後、1946年に『永遠の沈黙 パスカル小論』を上梓、詩の文芸誌『歴程』同人となる。旧制東京高等学校で教え、1955年、最初の山の本『若き日の山』を上梓、1958年、尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』を創刊、1983年に終刊するまで責任編集者を務めた。また文芸誌『同時代』にも同人として参加。東京外国語大学教授を務めたが1965年に退官。同年から1994年までFMラジオ番組「音楽の絵本」でパーソナリティを務めた。

著作は山岳文学、画集、小説、人生論、哲学書、翻訳など多岐にわたり、実に500 冊以上刊行されている。串田孫一の名は、『山のパンセ』など「山」と関係して記憶しているが、それは一面であって、もっと幅広い活動をした人だ。サインを求められたとき本名の音をもじって「九四○五一」と書くことがあったそうだ。

2015年には1958 年から亡くなるまでの 47 年間を過ごした小金井市立はけの森美術館 で「生誕100執念 串田孫一」展が開かれた。「自然を愛し小金井に居を構えた哲学者、詩人、エッセイストの串田孫一」と紹介されている。登山の際に風景をスケッチしたり、自著の挿絵や装丁を数多く手掛けたりと、画人としての一面も持っており、串田と美術の関係を取り上げた企画展だ。地元にも愛された文化人だった。

深田久弥草野心平らも寄稿した山の文芸誌「アルプ」の美術館である「北のアルプ美術館」でも「串田」孫一の仕事部屋 書斎・居間復元」という企画展も開催されている。数年かけて復元作業を行ったのだが、「到底その大きさと広さと深さは表現できない」そうだ。

旧制高校や大学での教鞭。文芸誌の編集。ラジオのパーソナリティ。幅広い分野を横断する著作群。風景画や挿絵、装丁を手がける画人。、、、串田孫一という巨人も、若い頃から毎日「いかに生きるか」を自らに問い、誠実に日々の行いを積み重ね、その延長線上に大いなる人生を築きあげたことを知った。 

新選 山のパンセ (岩波文庫)

新選 山のパンセ (岩波文庫)

 

 

 
 

多摩キャンパス:FD研修会(ルーブリック)。湘南キャンパス:日本国際文化学会での学長講演。インターゼミ。

多摩キャンパス

10時:FD研修会「ルブリック」。

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 湘南キャンパス

14時半:学長と面談:人事

    バートル先生:出版

    杉田学部長:人事

15時半:日本国際文化学会で学長講演「知の再武装」。

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・ 文化は人間の全体知。世界認識と時代認識。

・デジタル専制。ニューセブンシスターズ(520兆円)=GAFA(412兆円)+M(108兆円)。データを握っているプラットフォーマーズ。日本のトップ5の合計は62.9兆円。日本のものづくりは利益はあがらない。カエル跳びの経済。夢にカネがつく時代。第四次産業革命=ITXFT。データリズムの時代。アマゾンが金融に入ったら?

スマホ人生とショッピングモール人生。つがるのは便利だが、つながれる情況。ネットワーク情報革命の本質とジレンマ。

・アジアダイナミズム:2018年予測の一人GDP:シンガ6.2万ドル。香港4.9。日本4.1。韓国3.3。ブルネイ3.3。台湾2.6。中国1.0。タイ0.7。日本を除くアジア(中国・インド・アセアン5,、)%代後半の成長が続くと10数年後には現在の2倍。アメリカとの貿易15.1%(2011年11.7%からGAFA+Mで経済好調)。中国21.7%(政経分離)。港湾ランキング:東京31位・神戸55位・横浜57位・名古屋59位・大阪83位に転落。トップ10は中国中心、5位プサン(米国へ2日速い)。米中の貿易は日米の3倍。

・スーパーメガリージョン審議会:9年後に東京名古屋40分。7000万人の太平洋ベルト。早ければ2037年(20年後)に東京大阪1時間。

・戦後日本人の欠落は日本近代史のブラックアウトという時代認識とメルカトル図法による世界認識。地球儀。人流ではインバウンド2800万人が、6000万人になる。8割はアジア。期待と不安。文化摩擦。

・ジェロントロジー宣言:人口減少(2045年:秋田マイナス41.2%。北海道500万が370万。札幌に270万。キャピタル都市への人口集中)。1996年1億人、2008年1.28億人、2053年1億人。65歳以上は6.7%から38%へ。高齢者が社会参画するプラットフォームの設計。特に都市郊外型高齢社会での参画。農業、6000万人のインバウンドへの対応。今後様々の事業展開。それが社会の安定につながる。

フロイトアインシュタインの対話:暴力への誘惑あり。文化力で抑えることができる。知性で欲望をコントロール。知の力:流動性知能(覚える)。結晶性知能(つながり)。第三の知能「唯識性知能」を提案。AIは認識(recognize)・人間には意識(

consciousness)がある。五識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識)と仏教の九識(六識「理知・感情」。七識「末那識(まなしき)・八識「阿頼耶識(あらやしき)」・九識「阿摩羅識(アマらしき)」。宗教は意識。人間が神をつくった。

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17時:インターゼミ

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「名言との対話(平成命日編)」7月7日。「台所の声を政治に反映させる」

奥 むめお(おく むめお、本名:奥 梅尾(読み同じ)、1895年10月24日 - 1997年7月7日)は、日本婦人運動家政治家。享年101。

 本を読むことによって「かえって大事なものからどんどん遠ざかってゆくようないらだち」にとらわれるようになり、真理は実践のなかにあり、本を読みすぎたと考え、姓名を偽り女工として紡績工場に入り、一女工として潜入取材したレポートが反響を呼んだ。

息子をおんぶしながら婦人参政権運動に取り組み、ねんねこ姿の婦人活動家として評判をよび、1947年の第1回参議院議員選挙で当選。「わたしは国会議員になったその日から、日本中のおしゃもじの心を心として働こう」と決心する。

1948年(昭和23年)に「不良マッチ退治主婦大会」が開催され、主婦たちは配給された不良マッチへの不満をぶつけ、マッチの配給制度を廃止に追い込んだ。奥むねおはエプロンとしゃもじを旗印に「台所の声を政治へ」結びつけるべく、全国の主婦たちの力を結集させ、主婦連合会をつくり、台所と政治の直結を訴えた。「平々凡々な女の日常生活のなかに政治を見出し、その道を光あり、幸ある明るいものにすること」を信念として女性や毎日の暮らしのための運動に尽くしたのだ。主婦連合会の創立当時の合言葉は「くらしのつらさは政治の悪さからくる、私たちの自覚の足りなさからもくる」。

主婦会館初代館長をつとめた主婦会館のサイトには「人間 奥むめおの軌跡」という写真集が掲載されている。奥むねおは、90歳を超えても主婦連の会長を務めており、92歳で自伝を発刊。そして100歳では、主婦会館建設の挨拶で次のようなメッセージを発している。「私の百歳の年に再び会館建設のご挨拶を申し上げる慶びを感謝いたします。叩けば門は必ず開くことを信じ、この世に生きる限り、世の中に役立つ人間として励みたいと思います。どうぞ皆さまのお力ぞえをお願いいたします。 主婦会館 名誉館長 奥むめお」。これが公に残した最後の言葉となり、翌1997年(平成九)年七月、新しい会館を見ることなく死去した。国立女性教育会館奥むめおコレクションがある。

「平々凡々な女の日常生活のなかに政治を見出し、その道を光あり、幸ある明るいものにすること」を信念として女性や毎日の暮らしのための運動に尽くした人である。台所の声を政治に反映させるためには、「行動しなければダメ」が口癖だった。奥むねおは生涯現役で女性解放運動に取り組んだ。この人は100年人生の生き方のモデルだ。

 

 

学部の授業:図解のテーマは「新聞の社説」と「日本の論点」。受講生の反応は?

「ビジネスコミュニケーション」の授業の12回目からは、文藝春秋『2018年日本の論点』で、各界の論客が書いた政治から経済、社会、技術、スポーツ、文化にいたる論文を図解するという難題に挑戦する。そしてパワーポイントによる図解の描き方を講義。以下、アンケートから。

・図解の本質に気づいた。自分の意見をようやく持てるようになった。図解は生きる上で必要。決断力に欠けていたが、図解で全てが変わった。自分の考えが180度変わった気がする。・北朝鮮アメリカの問題について図解したが、悩んだが最後は良い図が描けた。中国が大きく変わっていることが分かった。今頭の中でも図が浮かんでいるので良いPPTが作れるように授業も頑張りたい。・自分の課題は睡眠についてだが、実際色々と悩んでいた事なのでどんどん深堀して理解を深めたい。・文章でどれだけ凄い人がどれだけ凄い内容を書いていても、内容があまり入ってこないのは納得がいく。図解を駆使してパワーポイントでもできるようになりたい。・新元号の話は中々面白かった。元号の変わるメカニズムが知れて良かった。・どのようにすれば分かりやすくできるのか?というのが、経営情報という分野に沿っていると思えた。ITを経営で活かす、どう活かすかがポイントであると分かった。・これからの教育は「学力」や「偏差値」では勝負できない。必要なのは「モチベーション」である。・読む時、色ペンを上手く使うことで理解しやすくなることを学んだ。就職において学歴はもう関係なく実力主義であり、自分の得意分野に合った大学を探していく必要があるということを知った。・授業外の時間も使って取り組むようにしたい。・どこが重要で、どこが必要ではないか判断できるようになってきた。・一人一人違う資料なので一人で見えてこなかった部分があり、みんなと協力してやるのでは違うものが見えるため、勉強になった。・自分の課題のテーマが、論理的な文ではなく、出来事をただ書いているだけの論文に見え、図解しにくいと感じた。・今回のテーマは研究のしがいがあると感じた。

パワポだと修正や追加などが容易に行えるので便利だと思った。・パワーポイントについて詳しくなった。・パワーポイントが図解のためのものだと思ってなかった。・パワーポイントの使い方を本やネットなどで調べマスターしたい。・パワーポイントの説明が分かりやすかった。・図解を駆使してパワーポイントでもできるようになりたい。

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 前回の新聞の社説の図解に挑戦した11回目の授業アンケート。自信がついてきたことがうかがえる。

・社説を図解したことにより自分に自信がついた。これから武器にしていくことが出来る気がする。・ 図を書くのが少しずつ楽になってきた。成長を感じる・11回目なので図解が上手く書けるようになった。・図解する能力がついてきた。読解力を身につけたい。・はじめと最後の結論を先に読み、全体を理解すると、内容、関係性が分かった。・だいぶ慣れが出てきてスムーズに頭が動くようになった。・何事も練習、経験により上達するのだと理解した。・スラスラ書けた。重要なキーワードを探し当てられるようになった。・スラスラ図解できた。・図解して自分の意見を持てた。・図解の書き方の能力が上がり、特別講座の松本先生の講義の時、図解で分かりやすく鮮明に書けた。この講義を受けて良かった。・楽しく図解できた。もっとたくさん図解したら、もっと簡単になるのかと思うとわくわくする。・図解でき大きな達成感があった。・完成した図をみて頑張ったと思った。・図にする時に内容をしっかり読むので詳しくなった。・図解の書き方のポイントが分かってきた実感があった。・図解を自分の武器にしたい。・関係性を組み合わせていくのがパズルの様で少し楽しく感じた。・頭の回転が速くなった気がする。・大事なところをまとめる能力も上がったと思う。・社説を毎日チェックしようと思った。

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・橘川先生:フリーあご足マッチングPJCT。子ども向け図解教科書PJCT。デベソ。ロート。会社。、、、

・事務局との定例ミーティング

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「名言との対話(平成名一編)」7月6日。森瑤子「積極的に、肯定的に生きている人は、やっぱり、毎日が華やぎ、いいことが起こっていく」

森瑤子(もり ようこ、1940年11月4日 - 1993年7月6日) は、1980年代に活躍した日本小説家

東京藝術大学卒業後、広告会社に3年ほど勤務し、英国人コピーライターと結婚。1977年(昭和52年)、夫がいて子供がいて、生活は豊かで幸福だったが、池田満寿夫エーゲ海に捧ぐ』の芥川賞を受賞を知り、刺激され『情事』を書く。 38歳 『情事』で第2回すばる文学賞受賞。37歳でデビューしてから52歳で没するまでの短い活動期間に、小説エッセイ翻訳など100冊を超える著作を生んだ。作品は20回以上テレビドラマ化されている。

都会に生きる成熟した男女の性愛や恋愛の機微を、洒脱な乾いた文体で描き出す筆力。貿易商を営むイギリス人の夫と3人の娘と共に六本木に住み、休日には軽井沢や伊豆の別荘で過ごす生活スタイル。華やかなファッション。こういったバックグラウンドで、女性たちのカリスマ的存在になる。女性の生き方、お酒やファッションなど繊細で独特の美意識に裏打ちされたエッセイは人気が高い。しかし実物は大柄でゴルフとテニスで年中日焼けしている健康な人だったのが、意外である。

そういったエッセイのひとつ『人生の贈り物』を今回読んだ。「毎年のように、去年より今年の私の方がずっといいと思いながら」生きてきた森瑤子が50歳迎えたばかりの頃に書いた愛用品をめぐるエッセイである。不思議な石、ベネチアン・グラス、モロッコの酒入れ、色ガラスの帽子、オランダの人形、インディアン・ドレスなどがでてくる。エッセイという形式は、書いた人の本音がストレートに出てくるので、私はよく読むことにしている。

「人の人生というのは、場所との出逢い、物との出逢い、人との出逢いから成り立つものだ」「ようやく時間の余裕もでき、それと同時にお金の余裕もできると、見えてくるものというものがあるのだ」「外国の街を歩く時、観光客の歩く速度ではなく、その街で働いているそこの人たちと同じ速度で歩くことにしている。これは街に溶け込み目立たず、安全な方法なのだ」「贈り物のもうひとつのパターンがあるのを忘れていた。自分のために手に入れて、大事にしているコレクションを、ふと思いついて「これをあの方に差し上げよう」という贈り方だ」

『森瑤子が残した 愛の美学』という本では、「結局、女にとって男とは、寝てみたいか、そうでないかの、二通りしかないのではないだろうか」と語っている。作家の宇野千代が、男を「寝た、寝ていない」と二分して人を驚かせたという逸話があるが、森瑤子の愛の美学を実践したのが宇野千代ということになるのだろうか。

行動を起こす人には、必ず事件が起こる。それはほとんどの場合、その人にふさわしい、その人らしい事件になる。いいこともわるいことも起こるが、起伏のある、華やぎのある人生になる。この考えには賛成だ。 

人生の贈り物 (集英社文庫)

人生の贈り物 (集英社文庫)