邪馬台国論争と雑誌「邪馬台」

郷里の中津市に「邪馬台」という同人誌がある。季刊発行で2006年冬号が通巻161号というから創刊号から数えて実に41年目という長い年月続いている文化総合誌だ。私も同人の一人で時おり、この雑誌に寄稿している。


目次をみると様々のジャンルの作品が並んでいる。

「巻頭言」「評論」「詩」「漢詩」「俳壇史」「旅行記」「随筆」「研究」「郷土史」「自分史」「郷土の文人」「短歌」「川柳」「俳句」「連句」「創作」。これを並べるだけでもこの雑誌の幅の広さを感じることができるだろう。今回は174ページ。人口7万程度のまちにこれだけのものを生み出す人々がいるということに驚きと敬意を覚える。


今号では、初めて「巻頭言」を頼まれて「地域づくりと社会的合意形成」という一文を書いた。通常2ページのところ、5ページを使って、地域や行政のあり方を論じている。

また、以前「青春記」を連載していたが、ここ1年ほどは「旅行記」として「人物記念館の旅」を書いている。今回は、原敬記念館(墓石には姓名の外戒名は勿論位階勲等も記すに及ばず)と後藤新平記念館(遠眼鏡 一人で持てば 罪つくり)をとりあげた。


ずっと以前から「邪馬台」というタイトルが気になっていた。


中国三国時代の歴史書「三国誌」の中の「魏志倭人伝」に女王卑弥呼が統治していた邪馬台国という名前が出てくる。当時の日本は弥生時代である。倭人伝の中に以下の記述がある。