プレハブの長屋の2階にある部屋で、毎週部会をやっていると、1階の丁度真下にある混声合唱団の清らかな歌声が聞こえてきます。なかなかうまいのだろうけれども、われわれ探検部員の歌もかなりいけるのではないか、混声合唱団の歌声を聞いてそう思いました。自称ロマンチストあり、多少ロマンチストの毛のある男ありなので、人をロマンチストにさせる山の夜など、しんみりと歌をうたうことが多いのです。静かな夜に、テントの中のローソクを囲みながら、合唱をしたり、独唱したりするのです。私達は、自分達のことを“探検部少年少女合唱団”と呼んでいました。レパートリーは、その頃はやった御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)の青春歌謡、「いつかある日山で死んだら」で始まる感傷的な山の歌、レッドリババレーなど英語のうた、春歌など多彩でした。したがって、時間さえ規制されなければ、何時間でもうたい続ける有様でした。どこの国にも国歌があるように、探検部でも部歌が欲しいという声がありました。
私達が半分部歌のーつもりで愛唱していたのは、「知床旅情」です。当時は、この歌は世間に知られておらず、私達はこの美しいメロディをこよなく愛していました。「今宵こそは君にうちあけんと岩かげに寄れば、」など皆でその気になって合唱です。ところが、歌手の加藤登紀子がテレビの画面でうたいはじめると、寮の風呂の中でも全然風情を理解しないような男が口ずさむのを聞くとプライドが許さず、この歌を部歌にするのはやめました。
もう一つは、「波をちゃぷちゃぷ〜〜かきわけて」で始まるNHKの「ひょっこりひょうたん島」の主題歌です。「丸い地球の水平線に何かがきっと待っている。楽しいこともあるだろさ、苦しいこともあるだろさ、だけどボクらはくじけない、泣くのはイヤだ、笑っちゃお」なかなかいい歌です。この歌はその後クラブの連中の結婚式の時は必ずやりました。又、誰がつくったか忘れましたが、「行くぞ我等が探検部」というのがあります。歌詞は、「ゆくぞーわれらがたんけんぶうー、ゆくぞーわれらがたんけんぶうー」とこの一つの文句が同じメロディーでいつまでも続くのです。これも一時、受けたのですが、あまりバカバカしいのでやめてしまいました。
「よしそれではボクがつくろう。」と野心を燃やした私は、ある晩、歌詞をつくりはじめました。ああでもない、こうでもないと練っていますととうとう明け方までかかってしまいましたがやっとできあがりました。しかし作詞ということではなくて、よく旧制高校のバンカラ男どもが、声をはりあげるあの「巻頭言!」になってしまったのです。
探検部巻頭言!!
いざや聞け、我等ロマンチストの歌声を!!
いざや歌わんかな、誇らかなる感情の高揚を持ちて!!
あまた多くの女に愛されし我等といえども!!
初恋の君に流す涙の純情を誰が知る!!
あまた多くの友を得し我等といえども!!
君に流す惜別の涙を誰が知る!!
薄青き順風に帆をあげてはるかなる海の彼方、夢多き君よ何処へ!!
流れくる逆風つきてはるかなる山の彼方、望多き我身は何処へ!!
あるは、とうとうと流るる大河を渡り!!
あるは、白銀輝く峰々を駆け、
あるは、烈風吹きすさぶ野分をつきて!!
あるは、鳥も通わぬ絶海の孤島へ!!
月影淡き丘に座せ、我はつぐ一杯の酒!!
君よ飲め、恍惚の美酒!!
そして行け、若き血潮のなすがまま!!
不浄なる巷をおそへ、高き蛮声!!
ああ、うたわずや、たたえずや男のロマン、男の純情!!
当時の私は、ペンネームを、高遠純としていましたので、部誌には作・高遠純となってのっています。この巻頭言は、私が先の詞を若干のふしをつけて大声で叫ぶと、部員が一声に「オー」と声をあげるというやり方にしました。結構評判が良く、それからは、どんな会合であってもこれをやることにしました。苦労してつくり、数えきれないほど実演したので、何十年たった今も、一言の狂いもなく唱えることが出来ます。自称ロマンチスト、高遠純の面目躍如といったところでしようか。