「私塾のすすめ」(斉藤孝・梅田望夫)2

斉藤孝と梅田望夫という同年の現代のカリスマは、それぞれ世の中に大量の信奉者がおり、集まってくる情報の量と質が高くなっているから、すでに見晴らしのよい峰の頂にいる。そしてその高みから見える風景のあり様を発信しているが、二人が見ている景色は微妙に違う。見えている世界が違うから「志」の中身も違ってくることになる。

斉藤孝は「深海魚」である。深海魚と出会えるくらいに深くもぐらなくては、物事は身につかない、もぐるまでの期間の手前で
浮かび上がっている人が多いと指摘する。深いところに生息しているから誰にも見えないものが見える視力を持っているのだろう。深海魚は水圧に耐える力が必要だ。新渡戸稲造が「井を掘りて今一尺で出る水をほらずに出ぬといふ人ぞう(憂)き」という言葉とダブる。

一方の梅田望夫は炭鉱の「カナリア」であると自分の役割を認識している。いちばん先頭に行って何かを感じ、察知する役目だ。カナリアは先頭にいるので常に危険と背中合わせだが、その声には誰もが耳を傾ける。特に未来の暗闇を覗こうとしている人には響く。

二人の特徴をやや戯画化しながら以下に挙げてみる。

役割:教える人(斉藤)と育てる人(梅田)
志:現在を変えるという志(斉藤)と未来を創るという志(梅田)
住んでいる世界:リアル(斉藤)とネット(梅田)
武器:三色ボールペン(斉藤)とウェブ技術(梅田)
照射する対象:過去(斉藤)と現在(梅田)
大衆と群衆:大衆を指導する(斉藤)と群衆とともに歩む(梅田)
人物判定:履歴書(斉藤)とブログ(梅田)
生活スタイル:柔軟路線(斉藤)と原則主義(梅田)