今を生きる親鸞ー寺島実郎(京都東本願寺)

京都東本願寺で行なわれた「これからの仏教を考えるーー今を生きる親鸞」と題した講演会に参加した。 寺島実郎さんが3年前の高野山での「現代を生きる空海」に続き、親鸞についての講演をした。聴衆は全国各地の浄土真宗の指導的立場にある人たちである。長崎、富山、大津、、、、。


書物と自己の体験を結びつけて考えていくという方法で学ぶ寺島さんは、天才空海に対し、目線の低さを親鸞の偉大さと言う。この半年、親鸞を深めてきており、京都の古本屋からもかかなりの書物を集めて読んでいる。
インドの世親と中国の曇鸞の二人の浄土教の僧侶名前を合わせて親鸞をとしたことに、ユーラシアの風を感じる。
親鸞の絶対平等主義は、国家統治の手段としての仏教を、民衆の目線に戻した。内村鑑三和辻哲郎が述べているように、親鸞の思想はキリスト教に近い。紀元前500年に生きた釈迦がキリストに影響を与え、それが中国唐の景教となって、空海もその寺院を見ている。その影響下に日本の仏教もあったのではないかという仮説を持っている。宗教の相互啓発は比較宗教学の分野でも言われている。
親鸞は時代状況と向き合い戦っている。50年前の700回忌には鈴木大拙が講演をしている。そこでは、日本仏教は弱者と普通の人のための仏教だ、真宗は世界への偉大な独創的な貢献であると語っている。親鸞の絶対平等主義は現世の権力者には不都合な思想だった。
親鸞は90歳まで生きたことも大きい。経験が積み重なって思考を練磨していった。越後流罪と関東での20年前、そして妻となった恵信尼との出会いも大きい。
今日の時代状況。ユーラシアダイナミズムに向き合わざるを得ない日本。この5−6年で日本のなりわいが変わった。戦後65年は異常で特殊な時代だった。ユーラシアの息吹を取り入れながら、正気に戻ってバランスよく進んでいかねばならない。
震災かからの再生。親鸞の目線の重さ。和魂洋才、無魂洋才、そして洋魂洋才を迫られているといった五木寛之。大震災でパラダイム転換。和魂とは何かを考える時、親鸞の存在がそそり立っている。

修了後の質疑。原発問題。日本は原子力の平和利用の技術とそれを担う技術者を育てる必要がある。平和利用に徹していくべきだ。
他力。親鸞の他力と近代主義の自力との緊張関係の中で自分を律していくのが大事だ。

以上が要旨だが、宗教者たちに感銘を与えていることがよくわかった。宗教界も悩んでいるのだ。

控え室で寺島さんにご挨拶。「よく来てくれた」。本人もいつもの講演とは違った緊張感の中での講演だったようだ。

寺島さんはそのまま東京で大きな講演があるとのことで戻ったが、私はお寺を回ることにした。親鸞東本願寺、歩いて15分の西本願寺、そして空海東寺(教王護国寺)を訪問した。

夜に寺島さんから電話があり、親鸞の講演が話題になった。