打撃の神様・川上哲治(1920-2013年)さんが、巨人・楽天の日本シリーズのさなかに93歳で老衰で大往生した。
巨人の不動の4番打者。プロ野球初の2千本安打。背番号16は永久欠番。
熊本工業で甲子園準優勝投手。巨人入団後一塁手に転向。3年間兵役(熊本歩兵部隊・立川航空隊)。51年セ・リグ新の3割7分7厘で首位打者。、年間の三振数は6個。首位打者5度・本塁打王2度・打点王3度。通算打率3割1分3厘。監督生活14年で、日本一11回。日本シリーズ9連覇。
勇退後は、野球解説と少年野球教室の講師として全国を歩き、野球の裾野拡大に尽力。野球界初の文化功労者。
私はずっと長島ファンだったが、川上の打者として活躍は記憶はない。
この川上哲治という人物は「出処進退」を大事にする古武士だったと思う。
長島が入団した年に38歳であっさりと引退。V9の翌年優勝を逃し長島に監督を譲る。
その後は、少年野球教室で野球の裾野をひろげる活動に力を尽くす。
そして400勝投手・金田の引退、ミスタージャイアンツ・長島の引退、などまだ少し早いかなと思う時に、辞めさせている。
読売新聞の見出しは「名打者にして名将」。「栄光の巨匠」。
川上語録から。
- 「ボールが止まって見えた」
- 「3割打者として巨人と契約させてもらっている私としては、今が引きどきだと思う」
- 「もう3割は打てないと思う。背番号16が泥まみれにならないうちにファンにお返ししようと思う」
ニックネームの多い人だった
薫陶を受けた選手たちの哀悼の言葉。
- 前田智徳「首位打者争いの心構えを説かれた。1日4打席とすれば、その最後の打席で自分のスイングができるように臨みなさい。」
- 星野仙一「情に厚いところもあったが、野球に対しては非情。それだけ集中し、人生を賭けておられた。私の師匠のような存在。リーグ優勝した後にもはがきをいただき、「最後までしっかりやれ」と励ましていただいた。」「勝つためにいろんな書物を読んでいた。三国志とか韓非子とか。」
- 長島茂雄「監督としては勝負にも選手教育にも一切の妥協を許さない厳しさで、前人未到のV9に大きな役割を果たされました。」
- 王貞治「9年というのは川上さんの執念が生み出した。今後も破られることはないでしょう。」
- 黒江透彦「勝負の事だけでなく人間教育も受け、その教えは他球団にいっても役立った。親をなくしたような気持ちだ」
- 森昌彦「人生の師匠」
- 野村克也「常にV)時代が脳裏にあり、川上さんを鏡にしていた」
- 妻「どんなことにも常に全力投球で、93年間の人生を駈け抜けていったように思います。悔いのない大往生でございました。」
- 長男・貴光さん「最後は眠るように静かに亡くなった」
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