新しいこと。AIスピーカー「アマゾン・エコープラス」が始動。

AIスマートスピーカー「アマゾン・エコープラス」が書斎に。

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1月2日。金子繁治「世界チャンピオンは、奪い取るものではなく、チャンピオンにふさわしい器になった者に神様が与えて下さる栄誉だよ」

 金子 繁治(かねこ しげじ、1931年8月13日 - 2016年1月2日)は、日本のプロボクサー、プロモーター。

「魅惑のパンチャー」の異名を持ち、昭和30年代の日本プロボクシング界のスターとして活躍した。1950年デビュー、全日本新人王決定戦を制したボクサーとして、初めて1953年に東洋ボクシング連盟の東洋王座を獲得し、以後6度防衛した。1958年にノンタイトルでTKOで勝利したが、網膜剥離で引退する。ついに世界タイトルへの挑戦はかなわなかった。

引退後は金子ボクシングジムを設立し、東洋バンタム級王者村田英次郎には4度世界チャンピオンに挑戦させたが、2分2敗で夢は叶わなかった。東洋太平洋クルーザー級王者高橋良輔東洋太平洋ミドル級チャンピオンのケビン・パーマー、日本ジュニアフライ級チャンピオン岩田健二らを育てた実績がある。

1962年にファイティング原田が世界チャンピオンになった頃から海老原博幸なども出て、日本のプロボクシングは全盛期を迎える。野球のON砲、相撲の柏鵬時代と同じ時代であり、テレビ放映される機会も多く、10代に入っていた私も熱狂した覚えがある。金子が引退したのはその数年前だから、残念ながらその勇姿はみていない。

冒頭の言葉は、後にジムの清水智信が2度の世界戦で苦杯をなめた時に、金子が清水に語った励ましの言葉である。その清水は3度目の挑戦でWBAスーパーフライ級チャンピオンになった。不運のボクサー金子繁治は、親子二代をかけて神様からようやく栄誉を与えられたのだ。ボクサーとしても強者だったが、クリスチャンであった金子繁治は指導者としても優れていたと感じさせる言葉である。