私の履歴書〈第5集〉 (1958年) 石毛郁治 三船久蔵 岡野喜太郎 武者小路実篤 木村義雄 安井誠一郎 杉山元治郎 芳沢謙吉
- 作者: 日本経済新聞社
- 出版社/メーカー: 日本経済新聞社
- 発売日: 1958
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岡野喜太郎「欲を離れるのが長寿の秘訣である」
岡野 喜太郎(おかの きたろう、1864年5月9日(元治元年4月4日) - 1965年(昭和40年)6月6日)は、駿河国駿東郡青野村(現・静岡県沼津市青野)出身の銀行家、静岡県多額納税者。スルガ銀行創設者。沼津市名誉市民。静岡県屈指の実業家であった。
今では日経新聞の名物企画となった「私の履歴書」だが、60年以上前の1957年では、まだ第5冊だった。他には木村義雄、三船久蔵、武者小路実篤、安井誠一郎など7人が紹介されている。スルガ銀行創業者の岡野喜太郎は101歳まで生きたセンテナリアンだ。1957年、95歳のときの「私の履歴書」である。
1957年(昭和32年)まで62年間も駿河銀行の頭取を務めた。沼津市の青野公園には岡野の石像があり、「欲を離れるのが長寿の秘訣である」という意味の言葉が刻まれている。
以下、岡野語録から。
・母は本当に偉かった。
・私の一生は青野の村人、駿河、伊豆、相模の事業家に下駄の鼻緒を立ててやたようなものではなかろうか。
・曽有の災害に遭い、師範学校を辞め、青年農夫になった。
・人のやることはなんでもやる、人よりはよくやる、決して人にまけない。
・貯蓄組合をつくる。一番小さい相方銀行を設立し頭取。事務員、小使い。駿東実業銀行。駿河銀行。合併は競争心を退嬰させる。
・だけでなく、知恵を貸す。忠告をする。それが真の銀行家だ。
・貯蓄の習慣と克己の心。克己の心と実行。
・貯蓄は人を自立させ、家を繁栄させ、国家を劉生に導くはや道である。
・毎日が真剣勝負。
・銀行の経営もむずかしいことではない。平凡に徹することだ。「入るを計って出づるを制する」。家の経営と同じである。
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「読書悠々」の目次をつくる。故郷・中津編。作家の素顔編。太平洋戦争前後編。日本歴代総理編(上・中・下)。戦後70年を迎えた「沖縄」編(上・下)。戦後を考える編。注目の女性作家編。世界を見つめる本篇。追悼・遺言・辞世編。高齢女性編。モンゴル編。台湾紀行編。平成時代に亡くなった人編。注目の女性たち編。戦後をつくった人たち編。外国の人たち編。女子教育の先駆者編。若い作家たち編。
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スイミング500m
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「名言との対話」8月25日。ニール・オールデン・アームストロング「一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。That's one small step for [a] man, one giant leap for mankind.」
ニール・オールデン・アームストロング(Neil Alden Armstrong, 1930年8月5日 - 2012年8月25日)は、アメリカ合衆国の海軍飛行士、テスト・パイロット、宇宙飛行士、大学教授。人類で初めて月面に降り立った人物である。当時は38歳だった。
アームストロングは1969年、アポロ11号の二人の宇宙飛行士が月着陸船「イーグル号」で月面に降り立った。2時間15分を船外で過ごし、21.5キロの月物質を採取し、21時間半を月面で過ごし、司令船「コロンビア」に戻った。
1961年にジョン・F・ケネディ大統領が掲げた「この60年代が終わるまでに人間を月に着陸させ、安全に地球に帰還させる」という国家目標を達成したのである。ニクソン大統領と会話している。世界の人口の20パーセントの人々が、人類が初めて月面を歩く瞬間を見ていたと言われている。
「自分は単に他の何千人ものエンジニアが造ったものをオルドリンと操縦しただけだ」「あれ [= "The eagle has landed."] は、10年もの間取り組んできた(ケネディ)大統領の目的を果たしたことを意味する決め台詞でした」。鷲はアメリカの国鳥である。
一緒に月面に降りたオルドリンは、その光景を"magnificent desolation" (荘厳なる荒涼)と表現した。コリンズは「意識、予感、満足、自信、歓喜に近い感覚」であったと綴っている
その後、50年経っても月面に降り立った人間はいない。宇宙開発よりも、地球上の問題を解決すべきとの世論も盛り上がりをみせた。 1973年になるころには、アメリカ人の59パーセントの人々が宇宙探査にかける費用を削減すべきだと回答するまでになったことが影響している。
アームストロングは、NASAを退官。教壇に立ったり、スペースシャトルチャレンジャー号の爆発事故を調査するロジャー委員会の副委員長に任命されたり、アメリカを代表する企業のCMにでるなどしている。
息子によれば、1日平均1万通の手紙が来ていたそうだ。「アポロ計画は携わった40万人のチームワークがあったからこそ成功した」と語っていた。そして「何をするにも全力で努力を惜しむな。そして謙虚でいなさい」が口癖だったと述べている。
1979年には自宅の農場での作業中に指が切断されたが、慌てることなく、切断された指を拾うと氷に詰めて、ケンタッキー州ルイスビルのジューウィッシュ病院まで持って行き縫合手術を受けている。『宇宙からの帰還』を書いている立花隆はアームストロングを「精神的に健康すぎるほど健康な人で、反面人間的面白みにはまるで欠けた人物。驚くほど自己抑制がきく人で、いかなる場面でもパニくるとか、感情が激するといったことがない。」と評している。その通りであった。オルドリンは月面に降り立った二人目となり、敗北感を持ち、帰還後の喧騒の中でうつ病を発症している。登山に置いても誰が一番先に頂上に立つのかが問題になるが、宇宙飛行においても同じことがある。この栄光の影には、人間関係の問題もあったことがわかる。
英雄アームストロングの名前をつけたものを探してみよう。ニール・A. アームストロング飛行研究センター。海洋調査艦・ニール・アームストロング。故郷のワパコネタのニール・アームストロング航空宇宙博物館。
1人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である。この名言は世界中の人が記憶している。短い言葉であるが、長く記憶される偉大なメッセージである。