10万円とマスク

金曜日の学部と大学院の授業の準備。

ZOOMで近藤秘書と打ち合わせ

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・ 八王子市役所から「10万円」の申請書が届いた。オンラインより郵送の方が早い。

・マスクはまだ届かない。「アベノマスク 待ってないけど まだ来ない」。

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「名言との対話」5月20日。萩原井泉水「物のあはれも人のなさけも身にしみて感じられるのは「旅」である」

荻原 井泉水(おぎわら せいせんすい、1884年明治17年)6月16日 - 1976年昭和51年)5月20日)は、日本自由律俳句俳人、俳論家。

麻布中学の頃より俳句を作り始める。一高を経て、1908年東京帝国大学文科大学言語学科卒業。1911年新傾向俳句機関誌「層雲」を主宰。中村不折が表紙画を描いた「層雲」を主宰する自由律俳句の創始者だとなる。尾崎放哉、種田山頭火らを育てた1914年自由律俳句として層雲より創刊した初の句集『自然の扉』を刊行。1915年、季語の使用を絶対視しない「季語無用」、575という定型を必要としない自由律をあわせた「無定型無季自由律俳句」を提唱した。

妻と母の死去以降各地への遍歴の旅が多くなる。戦後も層雲の主宰として自由律俳壇を牽引し、1965年、自由律の俳人としては唯一となる日本芸術院会員に選ばれる。また昭和女子大学の教授も務めた。 

1937年発刊萩原井泉水『芭蕉を尋ねて』(新潮社)を読んだ。「おお、伊賀に来た」と記す芭蕉の故郷である伊賀から始まり、大和、駿河三河尾張、美濃、伊勢、近江の義仲寺の芭蕉の墓を巡る旅行記である。「芭蕉の遺蹟を尋ねて歩きたい」は久しい希望だった。その地に立って、しみじみと古人の心を自分の心にうつしてみたいという気持ちだった。芭蕉を語り、自らを語る本である。

芭蕉の真蹟。眼福。佳い物を見ることを得たのは嬉しい。『笈の小文』の詠草と本文の違いを発見。その土地と関係ない句碑を建てる人が多い。大和、『野ざらし紀行』で芭蕉は、同行の門人を朋友と記している。普通人が聞く所と違ったように表現して、却って面白くなる事は、俳句にして然り、俳句以外の芸術にもある事である。三河、弟子の白雪の息子二人に俳号をつけている。「わかれ途の出ばった石にこしかえる」が面白い。義仲寺へ葬ってくれとそれとなく言葉もあったので、芭蕉はこの寺に葬られた。芭蕉は門弟3000人。、、、、

2019年8月の帰省時に、心のままにーー俳人荻原井泉水と陶工・北朗」展をみた。中津は古くから文化芸術の町であった。藩主の文化奨励などが影響している。文化人が出ただけでなく、日本中から多くの文化人が訪れている。頼山陽池大雅与謝野晶子などの名前を記憶している。俳句の荻原井泉水もその一人だ。中津に一緒に行った内島北朗は、層雲同人で、本業は「陶工」である。
この二人は、中津の木村宇平と村上二丘らと交流した。両名とも医師である。木村家は、二丘の息子の又郎が眼科医になり、井泉水との交流の記録や美術収集を行い、この美術館をつくった。この美術館は2度目の訪問であるが、前回は中津の画家の特集だった。地味だが、いい企画を行っている美術館だ。

吉村昭『海も暮れきる』(講談社文庫)を読んだ。荻原井泉水が面倒をみた自由律俳人の尾崎放哉の伝記だ。人生最後の8か月間を小豆島で過ごした人だ。鳥取県出身の放哉は一高に入学する。同級には安倍能成小宮豊隆、藤村操、野上豊一郎、などがいて、一級上には後に面倒をかける荻原井泉水がいた。東京帝国大学法学部に入って、酒を覚えてから生活は破たんしていく。この後の人生は酒との戦いになっていく。卒業後、東洋生命保険に入社し要職にも就くが酒で失敗する。朝鮮でも同じことが起り、日本で寺男になる。転落と漂泊の人生となるが最後に住んだのが小豆島だった。ここでも人々の好意で何とか生活をするが、次第に体も衰弱していく。ところが不思議なことに俳風は逆に鋭くなっていく。結局この地で200句以上を詠んでいる。

 荻原井泉水の自由律俳句をあげてみる。「月  雲がにげてゆく雲が追うてゆく」「空をあゆむ朗々と月ひとり」。

 荻原井泉水の『芭蕉を尋ねて』では、「旅」について、芭蕉の考えを下敷きにして語っている。芭蕉は旅について「山野海浜の美景に造化の巧を見、或は無依の道者の跡をしたひ、風情の人の実をうかがふ」と語り、荻原井泉水は「物のあはれも人のなさけも身にしみて感じられるのは「旅」である」と記している。芭蕉の旅の生活と旅の詩とは遂に一生を貫くものとなった。「野ざらしを心に風のしむ身かな」「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」。その芭蕉西行の遺蹟も訪ねている。泉泉水は芭蕉という先人の跡を徹底的にたどった。私の「人物記念館の旅」は多くの先人に学ぶ旅だ。自然からあはれを知り、出会いで人間を知る、それが旅だ。コロナがおさまったら、また旅に出よう。 

芭蕉を尋ねて

芭蕉を尋ねて