「一浴一冊」の読書習慣。

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・多摩センターで秘書の近藤さんと打ち合わせ。

・南大沢の東京都立大学の国際交流センターのレストランで食事。

・朗読:ユーチューブで小川未明「殿様の茶碗」を聴く。睡眠朗読シリーズ。

・「一浴一冊」。風呂で一冊の本を読み、大事なところに印をつける習慣。今日は広中平祐『学問の発見』(講談社)を読了。

・ デメケン:企業ミュージアムと「Shout」。miroと図解コミュニケーション。

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「名言との対話」4月5日。瀬川康男「こんどは、絵が俺を、引いて行く。苦しみながら歩け、行ける所まで行け、と云う」

瀬川 康男(せがわ やすお、1932年4月5日 - 2010年2月18日)は、日本の画家版画家絵本作家

愛知県岡崎出身。旧制中学時代に画家になろうと決意し、東京芸術大学美術学部油画科を受験するも失敗。東京の下宿で浪人生活を送るが、結核に罹患して3-4年間の入院生活を送る。絵はこの間も独学で描き続けた。

1960年に初の絵本『きつねのよめいり』を出版し、3作目の『ふしぎなたけのこ』で第1回BIBのグランプリを受賞、以後、多くの仕事をこなしていく。

1967年に『いないいないばあ』を出版。それまでほとんどなかった0歳児向けの絵本で、450万部のロングセラーとなり、赤ちゃん絵本の代表的作品となった。同年には『ふしぎなたけのこ』で、スロバキアブラチスラバ世界絵本原画展グランプリを受賞した。そういえば、新宿かどこかで、私も「イナイイナイ バー」というバーを見かけたこともある。それほどの影響力があったということかもしれない。

1987年には『ぼうし』で、講談社出版文化賞絵本賞、絵本にっぽん大賞を受賞。1983年から1990年まで、平家物語に登場する人物の人生を全9巻で描く絵本シリーズ『絵巻平家物語』(文章は木下順二)の制作に取り組んだ。膨大な資料と取材をもとに構想を重ねた。「絵のために苦しむことはみな苦しんだ、という気がする」「たいへんな仕事」と語っている。この作品は1992年に産経児童出版文化賞大賞を受賞した。

生涯で100冊を超える絵本の作品を発表している瀬川は、「絵本界の鬼才」と呼ばれた。そして童画の枠を超えた現代的な「児童出版美術」の域に達した、という評価を受けている。

 1982年、長野県青木村に居を移す。古い大きな家を「坦雲亭」と名付け、アトリエで創作に没頭する。1983年夏から、「坦雲亭日乗」と題した日記を書き始め、亡くなるまで27年間書き続ける。愛犬や友人、里山の人々と交流した穏やかな時間、張りつめた創作の時間の様子を記している。

 1990年7月14日の日記には、冒頭に紹介した言葉が記されている。自分が選んだ絵の道であるが、しだいに絵が自分という存在を引っ張っていくようになる。そして何者かが「行けるとこまで行け」というまでになる。「無限の長さと感ずるまで、息をつめてみつめてみる。植物は植物の形をぬぎすてて、金色にかがやく本来の顔をあらわす」「花が生まれ 育ち咲くように素描すること」という言葉を読むと、動物はもちろんのこと、描く自然界の山川草木のすべてに仏が宿っていると感じたのであろう。瀬川康男という画家は、運命に身をゆだねよう、そういう境地に達したのだろう。