「抽象写真」ーー接写の面白さ。荒俣宏「何かを得るために何かをあきらめる」。橋田寿賀子「人生ムダなことはひとつもなかった」。

 「抽象写真」ーーー自然や人工物の接写は想像力を刺激してくれます。

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  •  NHKラジオ深夜便(「2021年5月4日)「わたしのがむしゃら時代」荒俣宏)を散歩しながら聴く。1万歩。アンコール放送(2019年2月の再放送)。「何かを得るために何かをあきらめる」がテーマ。1947年生まれの団塊世代
  •  一浴一冊:橋田寿賀子『人生ムダなことはひとつもなかった 私の履歴書』(大和書房)。1925年生まれの脚本家の生涯。

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「名言との対話」5月5日。伊勢彦信「同じ遺伝子で私の体と鶏が出来てるように感じる」

伊勢彦信(いせ のぶひこ1929年5月5日〜  )は、日本の経営者。

 200786日 放送の「カンブリア宮殿」の解説は、伊勢信彦の率いる鶏卵業イセグループの歩みを説明してくれている。

「長年にわたり、"物価の優等生"といわれ、日本人の食卓に欠かせない食材となっているたまご。その卵で、一財を築き上げた会社がある。富山に本拠を置くイセグループ。販売量ナンバーワンを誇るブランド卵「森のたまご」を生み出した鶏卵業界のトップメーカーである。1960年代、中小零細の鶏卵農家がひしめいていた時代に、大規模な採卵農場を建設。生産、製造、物流の一貫した流通システムを確立し、1979年には、販売量で、国内ナンバーワンに立つ。その1年後、今度はなんとアメリカへ進出、1984年に、生産量・販売量ともに全米ナンバーワンを獲得した。その後も、卵の常識を打ち破ってきたイセグループは、積極的なビジネスを展開している。そのひとつが、卵そのものに付加価値をつける研究。鶏のえさに特殊な方法で、DHA(ドコサヘキサエン酸)やビタミンなどを添加し、栄養素を強化した"健康卵"を次々と開発、鶏卵では初の栄養機能食品も生み出している。また、卵の加工ビジネスにも乗り出し、コンビニエンスストアのおでんダネ用の卵やサンドイッチで使われるタマゴサラダなどを供給、大手コンビニやスーパーの食を支えている。一方で、食の安全が脅かされる時代、消費者の健康をどう守っていくのか。トップメーカーに課せられた使命も重い。 "エッグキング"の異名をとるイセグループ伊勢彦信会長をゲストに迎え、日本・アメリカでの成功の方程式、さらには、たまごビジネスの最前線で、今何が起こっているのか。最新の開発事情、安全なたまごの選び方について聞く」。

 また、山田清機『卵でピカソを買った男 「エッグ・キング」伊勢彦信の成功法則』(実業之日本社)という伝記がある。それによると「富山県の一養鶏家が、なぜ全米トップの座につけたのか。世界有数の絵画コレクターでもあるミステリアスな男、伊勢彦信の成功法則。鶏卵の生産・販売を手がけるイセ食品の伊勢彦信会長は、世界の「エッグ・キング」である一方、ピカソ、モジリアニ、マチスなど数々の名画の所有者でもある。“ミステリアス”な伊勢氏の人生から、成功の秘密を探る」。「伊勢氏は富山で父から養鶏業を引き継いだ。ヒヨコの育種改良事業から採卵事業に拡大。委託養鶏の一種「ツリー・エッグ・システム」を立ち上げ、大成功を収めた。生産調整によって国内の事業拡大が望めなくなると米国に進出。4年で全米のトップに立った」との解説がアマゾンにある。

この本のアマゾンの書評の一つには、「アンディーウォーホルなどのポップアーチストと友達になり、オークションで印象派の名画を競り落とす。大金持ちだが、スーツは値切って買う。有名人と知り合いだが、どう見ても田舎のおっさん。70過ぎなのに、ニューヨークとハンバーガーをこよなく愛し、富山の田んぼの中の豪邸に住まう。ともかく破天荒なオヤジ。ギャップに満ちた謎の人物。こんなオモロイ人物が日本にいたのか!と驚かされた」(マルメロ)とある。

伊勢彦信はピカソセザンヌルノワール、中国陶磁器、尾形光琳など、国内外の絵画や陶磁器から現代アートに至るまでの蒐集者で、世界的な美術本コレクターでもある。「日本金工をさぐるイセの眼(め)」「幻のコレクション中国陶磁名品展」などの展覧会も数多く開催している。
「卵でピカソを買った男」伊勢彦信は、「同じ遺伝子で私の体と鶏が出来てるように感じる」と語っている。「私は草木の精である」といった植物学者の牧野富太郎、「わが輩は豚である」と語った養豚業の笹崎龍雄と同じだ。こういう言葉を吐けるまで「卵」にのめり込んだのである。その副産物が美術品となったのだ。