万葉歌碑の旅ーー伊香保編。多胡碑記念館

妻と85歳の母と3人で旅に出ている。
昨日は伊香保の人物記念館の旅だったが、今日は、母のテーマである万葉歌碑の旅だ。
群馬県は万葉歌碑がもっとも多い県である。東歌、防人の歌など。
伊香保は厳秀(いかほ)と呼ばれた万葉の昔から歌に詠まれている。また広重などの手になる絵も残っている。

歌碑は小さいので見つけるのがなかなか骨が折れる。
万葉の昔、庶民が詠んだ歌は奔放で愛情深く、そして率直で暖かい。いつの世も人間の心は同じだ。万葉の人々がみじかに感んじられる。


い香保せよ なかなかしけに おもいどろ くまこそしっと 忘れせなふも
伊香保にいる背の君よ、私の妹に思いをかけているようですが、私があなたと一緒に寝たことは決して忘れませんからね。くやしい)(観山荘西側)

い香保風 吹く日吹かぬ日 ありといえど 吾が恋のみしてときなかりけり
伊香保の山から吹いてくる風も、吹く日と吹かない日があるけれど、私があなたを思う心だけはどんなときも変わらず、いつもあなたを思い続けています。)(伊香保の神社境内)

い香保ろの そいのまき原 峯もころには奥をなかねそ まさかしよかば
伊香保の山沿いにあるまきの林は、ずっと嶺の方まで続いているのだから、私たちのことだって先のことをあれこれ考えることはないと、今がよいのだからね。)( 
森林公園管理棟前)

い香保ろの 八坂のいでに 立つ 虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝 てば
伊香保の山裾にある大きな水門にかかる虹が、はっきり見えるようになるまで、一緒に寝ていられたらどんなによいものか。ぜひそうなるようにしたいものだ。)(水澤寺境内)
この歌の訳はこういう風に現地では書かれていた。こちらの方がいい。
(はっきりと二人の仲が知れてしまってもかまわない。それまでも共寝したならば、どんなによかろう。さあ寝よう、寝ましょう)

高崎市吉井の多胡碑記念館を訪問。
710年に平城京奈良時代が始まるが、その翌年に多胡郡が設置される。これを記念して建てられた碑である。多胡と胡人、つまり外国人が多いという意味だ。
この碑には藤原尊つまり不比等の名前も刻まれている。
朝鮮半島では三国時代が続いていたが、660年には百済が、668年には高句麗が滅亡し、唐と組んだ新羅が半島を統一した。日本は白村江の戦い百済を応援し出兵したが敗れる。この後、半島から胡人が日本に住みつく。渡来人は物部氏などに圧迫されるが、ようやく300戸の多胡郡が設置された。この郡は「羊」というリーダーに任せられる。この羊は2メートル50センチの大男だった。その後長くひつじさまと呼ばれている。この物語も興味深い。