『図解コミュニケーション全集』第3巻の校正用の見本が届く。

『図解コミュニケーション全集』第3巻「実践編 よむ・考える・かく」校正用の見本が届きました。これを数日かけて校正します。

f:id:k-hisatune:20210903222114j:image

ーーーーーーーーーーー

・インタビューのまとめの原案を一人分片付ける。これで3人分。

・力丸:ZOOMで打ち合わせ。

・千葉雄:電話で近況交換。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

菅義偉自民党総裁が辞任を発表。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「名言との対話」9月3日。澤地久枝アベ政治を許さない」

澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日本のノンフィクション作家。

4歳の時に満州に渡り、そこで終戦を迎える。早稲田大学第二文学部卒業。「婦人公論」編集部に入る。編集次長を最後に同社を退社し、五味川純平氏の歴史小説『戦争と人間』執筆のための資料助手を約10 年間つとめた。1972年『妻たちの二・二六事件』を発表し、執筆生活に入り、硬派のノンフィクション作家として膨大な作品を仕上げていく。

ブクログ」という読書サービスがある。ここで澤地久枝を検索すると、全作品は159作品あることがわかる。おすすめの作品ランキングなどがあるが、すべては紹介できないので、賞をとった作品と付随する受賞を以下にあげてみよう。

『火はわが胸中にあり―忘れられた近衛兵士の叛乱・竹橋事件』で第5回(1978年度)日本ノンフィクション賞。『昭和史のおんな』で第41回(1979年)文藝春秋読者賞受賞。1985年には日本女性放送者懇談会賞を受賞。『滄海よ眠れ』『記録 ミッドウェー海戦』で第34回(1986年)菊池寛賞を受賞した。「戦争へと至った昭和史の実相に迫るノンフィクションを著した業績」によって、2008年度朝日賞受賞。無名の人々の声を汲み上げる「昭和史の語り部」との高い評価がある。

今回、『わたしが生きた「昭和」』(岩波現代文庫)を読んだ。一家で満州に渡り過ごした少女時代、敗戦後の難民生活という自身と家族の物語である。ここにはまさに「昭和」がある。具体的なエピソードは省き、澤地が歴史や国家をどのようにとらえているかをみてみよう。

・歴史とは、大気のようなものでもあり、海のようでもある。一つの時代に生きていて、自分がどこにいるのか見定めることのできる人は稀であろう。現に隣で、目前で、進行していることの本質が見えない。

・どうすれば共生と平等が可能か、知恵のかぎりをつくしたい。最大かつ絶対の条件、それは平和であることを、歴史に埋もれた数知れない死が告知している。

・テロの効果は狙われた人間の生命が奪われることだけにあるのではない。事件を知って、おそれから人々の自主規制がはじまる。言うべきことを言わなくなる。そこにこそテロ本来の目的がある。

・テロからは不毛の不幸な果実しか生まれない。、、わたしたちは恐怖にひるまず、変わる事なく言うべきことを言い続けなければならないのだ。テロの行方にさらに大きな不幸が招来されることを防ぐために。それは、一人一人の決心によってなされ得、そこにこそ人の生きる希望はある。

・飢えを招いた政治、餓死者を出した国は罰せられるべきだが、飢えへの責任を問われた例を聞いたことはない。

・「国」はどこにもなかった。赤裸にされた因幡の白兎のような個人、もしくは家族があらゆる現実と向き合う。どこからも助けなど来はしない。

・国とはなんと無責任な実態のないもの、無慈悲なものか

この本の「あとがき」には、血の通った歴史こそが、生きた歴史になる、そのためには無名の無数の人生がそこにぬりこめられ、証言性をもつことがのぞましいとある。数知れぬ、国境をこえる無名の死を追う仕事をテーマとすることになったと書いている。

澤地は1997年に90日間、スタンフォード大学で学び、つづいて生活の場を沖縄に移して琉球大学の国際関係論の講義を聴講している。人生の休暇をもらい、学生として学ぶなかで「昭和」の戦後を知ろうとした。その成果は、それ以後の作品に結実している。

婦人公論」で上野千鶴子との対談で近況を知った。50代の時に、一生ひとりで過ごす前提で家を建て替える。地下に書庫、客を迎えるのは2階。そしていざとなれば台所、食堂、寝室は1階にまとめ、寝室から直接トイレやバスに行けるようにして、1階だけで暮らせるようにした。90歳で一人暮らしの澤地は2020年自宅で転倒し、要介護4になり、その後、努力し要介護2の段階まで奇跡の復活をしている。お一人様の生活の先駆者なのだ。

澤地久枝は「九条の会」の呼び掛け人の一人だ 安倍内閣に対する批判に使われたキャッチフレーズ「アベ政治を許さない」の発案者である。それを俳人金子兜太が揮毫し、2015年の安全保障関連法案を巡る各地のデモでポスターとして掲げられた。「ユーキャン新語・流行語大賞」のトップ10に入ったことは記憶に新しい。

澤地久枝の生涯と作品を追って感じることは、国にも自分に対しても本気で戦う人だと、その厳しい姿勢に感銘を受ける。

自分を生み育てた父母、その父母を育てた祖父母を書くという「自分史」を書くという行為は、自分が生きた時代と自分の原点を探る作業だということを改めて思った。私もいつ書くことがあるだろう。