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「日刊ゲンダイ」9月1日号に、内田勝康(58歳)さんのインタビュー記事が載っていました。NHKのアナウンサーから福祉の世界へ転身し、話題になった人です。この記事を私の「キャリア3期」説で読み解くとこうなります。
- 青年期:NHKアナウンサー、キャスターとして30年。社会福祉士資格を取得。
- 壮年期:52歳、早期退職でホスピスの世界へ。医療型短期入所施設「もみじの家」のハウスマネジャー。
- 実年期:60歳の定年を前に、医療的ケア児の全国ネットワークを構想中。
「キャリア3期・人生6期」説で、最近「名言との対話」で取り上げた人たちを、以下に分析してみました。50歳前後までが青年期、65歳前後までが壮年期、80歳前後までは実年期、95歳前後までは熟年期、110歳前後までは大人期、120歳前後までが仙人期、
- 石井ふく子:私の人生6期説でみると石井ふく子は、青年期、壮年期、実年期、熟年期を過ぎて、いよいよ本日から95歳からの「大人期」に入る。どのように過ごしていくだろうか。
- 小椋佳:小椋佳は、青年期は銀行員。50歳前後の「中年の危機」は大学生に戻って勉強することで乗り切っている。60代半ばからの壮年期を経て、80歳の実年期を終える年齢で、引退するといいうことになる。56歳以降の動きをもう少し調べたい。
- 鍵山秀三郎:鍵山は本日で88歳の米寿を迎えた。社長退任は65歳であり、その後の23年は掃除の伝道師となった。私の見立てでは、青年期、壮年期は実業に励み、65歳からの実年期とその後の80歳からの熟年期は、実業から得た真理を世に広めるという社会活動に専念しているということになる。
- 横尾忠則:青年期はグラフィックデザイナー、45歳からの壮年期と65歳からの実年期は画家であった。そして80歳からの95歳までの熟年期を迎えるにあたって、熟年期で活躍している先達に自分の考えをぶつけてみたというように私にはみえる。 この本の企画は横尾忠則が80歳だったため、自分より年長の80代、90代のアーチストへのインタビューとなった。
- 木村義一: 木村義一のビリヤードの技には惚れ惚れとするが、この人が本格的なプロになるのは50歳であったことが注目に値する。青年期はアマチュアであり、壮年期からプロになり、実年期までトップを維持し、熟年期は楽しんだのである。
- 林真理子:その林真理子にして「何も書いていない」というのは凄いことです。つまり生涯を代表する傑作、歴史に残る最高の作品にはまだ届いていないという認識です。60代半ばという年齢は、「青年期」(50歳まで)、「壮年期」(65歳まで)を過ぎて、私のいう「実年期」(80歳まで)にさしかかったところということになります。
- 永井路子:「万葉集は愛と恋の聖書」とはよく言ったものだ。永井路子は本日で96歳。青年期(25-50)、壮年期(50-65)、実年期(65-80)、熟年期(80-95)を終えて、大人期(95-110)に入っている。
- 京極純一:「うかうか三十きょろきょろ四十」(「立つ」と「惑わず」人並みに)。孔子は30にして「立つ」といった。それは専門をもってプロになることを意味している。そして40にして「惑わず」といった。しかし多くの人はそうはいかない。30まで「うかうか」過ごし、40になるころにはまわりを「きょろきょろ」見回すことになる。この本が書かれた1970年頃は、平均寿命が70歳にのびたから「うかうか42、きょろきょろ56」となるとしている。2020年の現在では「人生100年時代」の到来と騒がれている。この時代には「うかうか50、きょろきょろ65」と考えたらいかがだろうか。50歳までの青年期、65歳までの壮年期、80歳までの実年期という人生区分は私の説だが、その観点からみると、うかうかと青年期を過ごし、定年の65歳あたりできょろきょろしている姿が浮かんでくる。心を刺し貫く戒めの諺だ。
- 立花隆:9年前に未発表リストの存在を発表している。そのうち3冊は完成済みという。この知の巨人は、間断なくいい仕事をし、その都度、メディアで話題になっている。その立花隆も80代を迎える。今後どのような知のパノラマを見せてくれるだろうか。この人も「終わらざる人」である。1940年生まれの立花隆は、青年期、壮年期、実年期を経て、熟年期の入り口に立っている。
- 益田孝:青年期から壮年期は三井を率いて日本経済の重鎮として活躍。60歳で三井合名理事長であった益田は辞意を表明し、団琢磨を後任者に推薦して66歳で引退する。「老いの身にあまる重荷をおろしては またわかかへる心地こそすれ」。引退後の24年は文化人として重きをなした人物だ。数奇者として、茶人として「鈍翁」(蒐集した茶器「鈍太郎」に由来)を名乗り、千利休以来の大茶人と称された。また茶器の蒐集家としても一家をなした。
- 須藤一郎:現在85歳。 「青年期」は生命保険会社のビジネスマン。「壮年期」は美術に目覚め町田の自宅を美術館として開放。「実年期」は銀座で美術館を展開。「熟年期」に入り、小田原で活動中ということになります。
- 河野文江:「青年期」は大企業での仕事や独立し起こした企業で仕事に熱中している。50歳を越えるあたりで病に冒されていることがわかり、「壮年期」には生き方を一変させる。病気を克服した後には、キャリアや自分史に関心を持っていく。60代の初めに出会った「自分史」の普及は天職だと思うようになり、協議会の活動に深く入っていく。その結果、65歳あたりから始まる「実年期」は組織の代表となって、運動に力を注いでいる。その先にどのような未来が待っているか、楽しみだ。
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B社の実年期向けのインタビュー本:2人の原稿草案を書く。
それぞれ30枚ほどなので、さらに練る必要がある。
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「名言との対話」9月2日。羽山昇「日本がどうなってしまうかわからない、だからこそ人は理想を失ってはいけない。どんな時でも理想を貫いていこう」
羽山昇(1924年9月2日〜2012年3月13日)は、理想科学工業の創業者。
東京出身。陸軍士官学校58期生として少尉に任官したが、まもなく終戦を迎え復員し、日大に入学する。学費も家計もすべて自身で算段しなければならなかったため、在学中の1946年に、世田谷の自宅に講義ノートを謄写版で印刷する「理想社」を設立する。約1年半の歳月をかけ開発した国産初のエマルジョンインク「RISOインク」を完成させ、印刷機材メーカーへの第一歩を踏み出した。
1954年乳化物インクを開発し、1955年に理想科学研究所(現理想科学工業)と改称し、社長に就任する。1977年に家庭用の多色印刷機「プリントゴッコ」を発売する。1980年に事務用デジタル印刷機「リソグラフ」を発売するなど、孔版印刷機のトップメーカーにそだてた。
平成に入ると、理想科学は世界各地へ積極的に海外進出し、販売ネットワークの構築を進めた。理想科学初の海外現地法人RISO, INC(. マサチューセッツ州)の設立を皮切りに、世界各国に次々と営業拠点を設置。1999年には、理想科学初の海外生産拠点として中国・広東省珠海市で操業を開始した。その後、上海・深セン・タイに工場を稼働し、グローバル体制へとシフトした。理想科学は「オルフィス」「リソグラフ」などの販売や技術サポート、消耗品の供給を190以上の国と地域で展開している。
家庭用では1977年に発売を開始した「プリントゴッコ」は、驚異的な売れ行きを示し、日本の文化的・国民的行事ともいえる「年賀状づくり」のツールとして人気を博し、年の暮れの風物詩ともなった。「すべての家庭で親子一緒に印刷ゴッコを楽しんでほしい」という思いから開発されたこの商品は、「家庭で使ってもらうには1万円を切る額でなければならない」との羽山昇の考えから、発売当時は9,800で、大ヒット商品となった。1980年代後半から1990年代前半の最盛期には毎年60万台以上がコンスタントに売れた。長年にわたりベストセラーであったが、2008年に終了。つい最近まで生き延びていたのだ。
事務用品では、独自の「新孔版」技術によるまったく新しい印刷システムを採用した「リソグラフ」が有名だ。1980年の登場以来、常にこの分野をリードし続けている。1984年に発売した「リソグラフ007」は、製版・印刷に必要なすべての機能を1台に完結し、手軽に大量の印刷を高速・低コストで行う「印刷ロボット」として話題を呼んだ。2009年には、次世代高速プリンター「オルフィスXシリーズ」を発売。理想科学は、「ペーパーコミュニケーション」の分野において、独自のソリューションを提供する開発型企業として挑戦し続けている。
実践女子大には羽山昇・昭子奨学金がある。学園生活で優秀な学生を選ぶのだが、学園創立者「下田歌子」の顕彰に関する活動という項目もあることに今回気づいた。
新しもの好きの私は「プリントゴッコ」に飛びついたクチだ。30代の時代は年末の年賀状作りにせっせとこれを使って印刷に励んだことを思い出す。「リソグラフ」も職場で使ったこともある。
社名に「理想」という言葉が入っている。「名は体をあらわす」というように、ネーミングは重要だ。国はどうなるかは予断を許さないから、寄りかからない姿勢を保ち、自分自身は理想を実現するために頑張っていこうという自立の精神を高らかに宣言している。そして「ペーパーコミュニケーション」という考え方で事業を展開したのは素晴らしい。ペーパー(紙)の印刷をやっているのではない。家庭や職場でのコミュニケーションを豊かにするために科学という武器を用いて仕事をしているという高い次元の理念がこの会社を大きくしたのだろう。人は理想を失った時に老いる。企業も同じだ。この企業は社名に「理想」がついている限り、その遺伝子で困難を乗り切っていくだろう。