父と同じ1923年(大正12年)生まれの人々ーー「名言との対話」より

今年の「名言との対話」は、「大正から昭和へ」がテーマでした。大正12年生まれの父と昭和2年生まれの母と、同世代の人たちがどんな時代と向き合ったのか、を知るためです。父は学徒出陣世代。生まれた当時の日本の人口は5800万人。関東大震災の年。65人中女性は4人。今年取り上げた人に加え、この6年間の「名言との対話」に取り上げた人々を並べてみました。こういう人たちと同じ年に生まれたのか、、、。

遠藤周作(作家)。高瀬将敏(殺陣師)。猿谷要アメリカ史研究者)。福田歓一政治学者)。高城聖鶴(書家)。武田喜之助(人形師)。江見絹子(画家)。キッシンジャー(米国務長官)。外山滋比古(英文学者)。池宮彰太郎(小説家)。千玄室(茶人)。隆慶一郎(小説家)。船越英二(俳優)。原田泰夫(将棋棋士)。石濱恒夫(作家)。鈴木萬次司(実業家)。桃井真(学者)。西村晃(俳優)。李登輝台湾総統)。上羽秀(空飛ぶマダム)。マリア・カラス(オペラ歌手)。海部八郎(商社マン)。三波春夫(歌手)。加島祥造(詩人)。根上淳(俳優)。辻勲(料理人)。竹内実(中国文学者)。流政之(彫刻家)。虫明亜呂無(作家)。ジャック・オニール(実業家)。千石イエス(宗教者)。飯田義国(彫刻家)。田村義也(編集者)。宮崎勇(エコノミスト)。白井義男(ボクサー)。田英夫(ジャーナリスト)。利光松男(実業家)。中村秀一郎(経営学者)。下河辺淳(官僚)。田淵節也(実業家)。鏡里喜代治(横綱)。西丸震哉(官僚)。大山倍達(空手家)。江頭匡一(実業家)。永井道雄(新聞記者)。鈴木清順(映画監督)。永谷嘉男(実業家)。大山康晴(将棋名人)。森嶋通夫(経済学者)。佐藤愛子(作家)。司馬遼太郎(作家)。渡辺美智雄(政治家)。有島武郎(作家)。リー・クアンユー(政治家)。池波正太郎(作家)。

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ウオーキング:1万歩越えの10532歩。。以下のラジオを聴きながら。

NHKラジオアーカイブス「声でつづる昭和人物史」で、「なかにし礼」を聴く。満州、戦争、国家。『兄弟』、『長崎ぶらぶら節』(直木賞)、、。

・NHK高橋源一郎飛ぶ教室」2021年1月1日「瀬戸内寂聴」(数え99歳)との対談を聴く。三島由紀夫川端康成との関係。河野多恵子(1926年生)と大庭みな子(1930年生)という二人の天才と寂聴(1922年生)との関係。『場所』『命』。、、、。実に面白い掛け合い。

立川:福島さんと打合せ。

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今日のヒント。「幸福の木」。

幸福の木(ドラセナ・マッサンゲアナ):ドラセナ・フラグランスの枝変わりによって生まれたマッサンゲアナという種類の観葉植物で、祝い事の贈答品として胡蝶蘭と共に親しまれている。幸福の木は愛知県渥美半島にあるナーセリーが日本で初めて輸入し、国内に流通させたと言われており強健な性質も相まって現在も人気の高い観葉植物。

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「名言との対話」12月29日。曽根幸明「やぁー命がけで審査させて頂きました」

曽根 幸明(そね こうめい、1933年12月28日 - 2017年4月20日)は日本の作曲家、アレンジャー。 

東京都世田谷区出身。日本大学文学部中退。「藤田功」の名で歌手・俳優活動の後、本名の「曽根幸明」で作曲家としての活動を始め、1960-70年代に活躍した。

勝新太郎の「座頭市子守唄」「いつかどこかで」、山川豊の「流氷子守歌」、森進一の「銀座の女」、藤圭子、園まりらの「夢は夜ひらく」、藤圭子「命預けます」(編曲)などが代表作。

象印スターものまね大合戦』など、1980年代にかけて審査員等としてテレビ番組にも登場し、親しみやすいキャラクターで人気を博した。特にアール・エフ・ラジオ日本では昼の歌謡ワイド番組を中心に様々な番組を担当した。病気治療などのため一線を退いたものの、晩年まで創作活動を続けた。審査員としての曽根の顔は私も覚えている。

スポニチアネックスというサイトの2019年4月19日で、妻で女優の太田きよみ(67)が19日放送のTBS系「爆報!THEフライデー」(金曜後7・00)に出演し、曽根とは泥沼不倫の末の略奪婚だったと告白したことを記事にしている。

ヒットメーカーだった曽根には下積み時代を支えた妻と2人の子どもたちがいたが、37歳の曽根は太田と出会ったことで人生が激変する。人気の若手女優だった19歳の太田と不倫関係となる。太田は2人の子供を妊娠、出産。出会ってから14年後、第2子を妊娠した後に2人は結婚した。

結婚から1年半後に曽根の母が直腸がんとなり、太田は育児と義母の介護をする生活になる。そして曽根が脳梗塞を発症しその介護も加わり、曽根は死去。遺産相続問題が起こる。楽曲の印税収入は少なく見積もっても月に30万円。死後50年間で推定1億8000万円になる。太田は非難されることを覚悟で、前妻と遺産相続問題の話し合いをするため直接対面する。前妻の直美は著作権相続を放棄する。離婚後に月100万円の仕送りをもらっていたからだ。太田に「当時はいい感情は持ちませんよ。でも、彼のお母さんの介護もしてくださった。彼の介護も必死にしていて偉いなあと。5年、10年も大変だった。この人は本当に曽根を愛していると思って。だから印税は当てにしなかった。気を楽にしてください」と語った。前妻からの言葉を受け取った太田は号泣している。

「やぁー命がけで審査させて頂きました」は、『童謡の謎』『神社の謎』シリーズの作家で歌手の合田道人のブログで以上が紹介されている、群馬テレビの歌謡番組の審査委員長をしていた時の名言である。『童謡の謎』『神社の謎』シリーズの作家で歌手の合

田道人のブログで以上が紹介されている。(うたこん大歌謡祭審査員の一日 - お元気ですか?合田道人です)

曽根幸明という人は、本業の作曲も、私生活の恋愛も、そして歌謡番組の審査員としての仕事も、何ごとも「命がけ」で行った人のようである。

「命がけ」という言葉は最近はあまり聞かなくなった。この言葉を使った例をランダムにあげてみよう。鈴木修「軽自動車の電動化を命がけでやる」。棚網良平「ショートパットは命がけで打て」。沢田政廣「人間というものはどんな場合でも、自分を見限ったらもうそれでおしまい。命がけになれば、どんなことでもできる」。島岡吉郎「命がけで当れ」。淀川長治黒澤明はどんな場合でも命がけで撮ってるね。あの齢になって。まだ撮ってるから、86でも映画つくるんだね。偉い人だ」。ロッキー青木「ビジネスで成功するのも、冒険で成功するのも、つきることは同じだと思う。それは「夢を持つ」「手段を徹底的に考え抜く「命がけでやる」の3つである」。大川功「新しい産業には、必ず『予兆』が「あるという。その『予兆』をのがさずにとらえ、これを命がけで事業化しようとする人に対して、天は『時流』という恩恵を与え、そして、『使命』という社会的責任を負わせるのだと思う。私の人生は、それに尽きる」。五代友厚「仕事は命がけや。死んでも仕事は残る。そういう仕事をせなあかん」。実相寺昭雄「おれたちは空想に命がけなんだからさ、あほなおとなといわれようといいじゃねえか」。

極め付きは白洲正子の「今は命を大切にすることより、酒でも遊びでも恋愛でもよい、命がけで何かを実行してみることだ。そのときはじめて命の尊さと、この世のはかなさを実感するだろう」だ。