朝8時10分のリムジンバスで出発。
羽田から福岡までの機内で、新刊の北康利「本多静六」をkindle で読了。川柳も「酒」をテーマに7つできた。
午後4時過ぎに中津に到着。駅ピアノ。
まず宝蔵寺でお墓参り。亡き母と会話。自宅で現状確認のための写真撮影。
自宅で現状確認。
夜は高校の同窓会。内尾、藤田、瀬口、久持、吉森、加来。たっとり屋での食事から始まり、カラオケ、ワインバー(写真)、アイリッシュコーヒー、と4カ所回り、午前1時頃に解散。
以下、以前つくった同窓会の川柳。
禿頭と 白髪の夏 同窓会
一人去り 二人去りして 同窓会
ーーーーーーーー
「名言との対話」11月5日。菊池武範「商品を作り出す以上、人から喜ばれ、愛されるものでなくてはならない」
菊池武範(きくち たけのり、1985年11月5日‐ 1975年5月14日)は、日本の実業家。タイガー魔法瓶創業者。
愛媛県西予市出身。父の授業の失敗で12歳で小学校高等科を中退。大阪に出て、いらないとなる。1910年、15歳頃船場で魔法瓶を目撃する。後にイーグル魔法瓶に就職し事業経験を積む。1923年、28歳で菊池製作所を創設。1953年にタイガー魔法瓶工業となる。1968年に会長73歳。1975年79歳で死去した。
今では当たり前の魔法瓶であるが、真空断熱容器である。タイガー魔法瓶は魔法瓶を中心に世界64カ国で事業を行っている。この会社は来年2023年に創業100周年を迎える予定である。
なじみのあるタイガーの由来は、父が寅年生まれであったこと、虎はアジアでは最強の動物だったことに由来している。
タイガー魔法瓶のホームページの中に、「魔法瓶の歴史」があった。
全国マホービン工業組合初代理事長の西岡鳴雄は魔法瓶に花柄を持ち込んだ。また空気圧を利用したレバー操作だけで湯の出る卓上の商品を開発し押すだけでお湯が出る仕組みになった。
第2代は寺本梅次郎である。タイガー魔法瓶から独立してグロリア魔法瓶製作所をそうぎょうw。
第3代理事長は市川重幸。電子ジャーを発売し電気業界への参入を果たした。茹でるAirPods「雄岳」が大ヒット。
第4代は山中雅文。湯さしを回転させるアイディアを出した。
第5代はグロリア魔法瓶の寺本巳之吉。いつでもどこでも温かいご飯が食べられる弁当ジャーを発売した。
第6代は市川博邦。象印マホービンの返信事業や海外への積極展開を進めた。バブル崩壊に遭い、効率化と環境に配慮した取り組みを行った。
第7代は菊池嘉人。電子ジャー「炊きたて」、炊飯電子ジャー、オープン電子レンジ、電気ポットなどを開発している。
今では当たり前となった魔法瓶の歴史を眺めると、多くの人の努力によって成し遂げられた商品だということがわかる。魔法瓶という命名に発売された時の衝撃がみえる。私たちの便利な日常生活もこういった先人たちの努力に負うているのだ。