6月の知研セミナーはBRAIN MAGIC社の神成大樹氏

昨日の6月の知研セミナー。

「クリエイター向け入力デバイスを開発し、世界的に評価されているBRAIN MAGIC社を起業した神成大樹氏に、自らの起業ストーリーと、今後の世界のクリエイティビティがどんな方向へと変化していくのか、楽しく解説していただきます」。

以下、キーワードのみ。

  • orbital2の開発物語:要素分析と上位概念の発見による本質の解明。ヒヤリング、ユーザーメリット。常識を疑う。
  • 生成AI時代:ブレイン(脳・AI)・マジック(科学)。Entertament is everiy.人工知能と一緒に未来を。共感性と社会性。生成AIとVR。リア充(現実世界)とゲーマー(VRの仮想世界)。生産力を正義としない。AIと混然一体に。世界は進み日本は遅れている。AIが学んでいいもの悪いもの。何を学習させたかを記述する。著作権問題。素材を守ろうという動き。文化の育成の観点。越境を大事に。

感想:過去の知はAIが学ぶ。独自の情報の提出。体験、身体感覚。人間としての本領へ。アタマとココロ。神か奴隷か、ではなく友達。

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16日の知研幹部会:官庁書類提出の報告。岡山25周年イベント。「旅」をテーマとした共著は10人となった。7月22日は牧野庭園。8月以降は「本」をテーマに。

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後姿探検隊。


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「名言との対話」6月17日。倉田雲平「走る者はつまずきやすく、つま立つ者は倒れやすい。堅実なる一歩ずつを進めよ。進めたる足は堅く踏みしめよ

倉田 雲平(くらた うんぺい、嘉永4年4月〈1851年5月〉 - 大正6年〈1917年〉6月17日)は、日本の実業家、足袋職人。月星ゴム(ムーンスター)創業者。享年66。

福岡県久留米市出身。8歳で父を失う。父の遺訓「倉田家を再興させなさい」が胸にあった。衣服製縫の技術を学び、足袋の製造販売を生業とすることに決める。

1873年、久留米で足袋専門店を開業。23歳で結婚。夫婦は午前7時から深夜1時まで働く。1877年の西南戦争で多額の利益をあげるが、ライバルが殺到し、結果的に無一文となる。

革靴と馬具に広げたが、1882年に誕生した長男・金蔵は1895年に「足袋以外のものの製造を続けるべきでない」との意向を受けて、足袋を専業とする。人材養成のため職工養成所をつくる。1905年、に倉田式織底機を発明する。続いて、改良倉田式織底機および倉田式吉野織機を発明する。これらの発明によって足袋の大量生産が可能となった。大規模な織布工場を建設し、1908年には243万足を製造した。

1914年、「久留米足袋ノ名聲ヲ博スルニ至ラシム洵ニ實業ニ精勵シ衆民ノ模範タル者トス」との理由で緑綬褒章が授与される。1916年には大正天皇拝謁する栄誉を得た。1917年、つちやたび合名を設立し社長に就任。その3か月後に死去。

足袋王となった雲平は、「現代発明家伝」で、「此の成功は堅忍不抜なる君の奮進活動の成果に相違なきも又一方より観察すれば如何に發明改良の効力が偉大であるかを充分に證明するものと信ずる」と評価された。また「君齢既に六十を超ゆ、然れども意氣尚ほ旺盛、自から齢の加れるを知らざるものゝ如し、此の意氣旺盛なる好翁は事業界及び發明界に於て更に一飛躍を試みずには安ぜぬであらう」と記されている。商品の開発と改良に日夜取り組み、意気旺盛で年齢を感じさせない人物だったことがわかる。

事業の初期に失敗したときに「走る者はつまずきやすく、つま立つ者は倒れやすい。堅実なる一歩ずつを進めよ。進めたる足は堅く踏みしめよ」という教訓を得て、その通りに事業を展開している。この言葉は現在の株式会社ムーンスター(2006年に社名変更)の「社訓」となっている。また、創業者の気風を受け継ぎ、「新しい品質(まごころ)と新しい技術(こだわり)」が行動規範となっている。久留米では、アサヒシューズブリジストンと並び「ゴム三社」と呼ばれている。

現在よく見かけるウオーキングシューズ「ニューバランス」はこの会社が設立し、今も主要株主である。2018年にキッザニア東京にパビリオンを出展、銀座に総合旗艦店、2020年委は福岡に旗艦店をオープンするなど、1873年以来創業150年を迎えて健闘している。2022年現在、売上高は298億円、従業員は888名である。

この人の経歴を追いながら、まだ13歳の長男・金蔵が「「足袋以外のものの製造を続けるべきでない」と諭し、父・雲平がそのとおりにしたという逸話に興味を持った。その金蔵は社長を引き継いだだけでなく、倉田雲平の2代目を名乗っている。この2代で事業の基礎と方向が定まったのだろう。