ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(露: 1840年5月7日(ユリウス暦では4月25日) – 1893年11月6日(ユリウス暦10月25日))は、ロシアの作曲家。

法律学校を卒業し法務省につとめるが情熱はわかない。23歳で職を辞し音楽に専念する。それから音楽学校で学ぶから、作曲家としての出発は非常に遅かった。

西欧音楽のロマン派の技法をロシアの土壌の上に発展させた。作品に、ピアノ協奏曲、歌劇、交響曲「悲愴」などがある。またバレー音楽「白鳥の湖」「眠りの森の美女」「胡桃割り人形」はチャイコフスキーの三大バレーとして知られる。そしてその三曲はバレー界全体の三大作品ともいわれる傑作である。

チャイコフスキーは「過去を悔やむ。未来に希望を持つ。そして現在に決して満足しない。それが私のこれまでの人生でやってきたことだ」という姿勢を明らかにしている。

  • 我々は常に働かなければならない。そして、自尊心を持った芸術家は、その気にならないという口実をもって、自分の手を停めていてはならない。
  • インスピレーションは、怠けている者のもとには、決してやってこないものである。
  • インスピレーションにかきたてられた音楽家の心の奥底から流れ出た音楽だけが、人の心を打ち、感銘や感動を与えることができるのです。

以上にあげた言葉もそうだが、冒頭に掲げた「インスピレーションを待っていたら、何も書けない。私は毎朝必ず作曲をする。そうすると、神様がインスピレーションを送り込んで下さる」という名言も同じく、創作の秘密を語っているように思う。

チャイコフスキーという大音楽家のこの言は、膨大な仕事量であった大作家などと共通する。カントは早朝の5時から机に向かう習慣を持っていた。

池波正太郎は「書けない、と思ったら、それこそ一行も書けないのだ」「その日その日に、先ず机に向かうとき、なんともいえぬ苦痛が襲いかかってくる。それを、なだめすかし、元気をふるい起し、一行二行と原稿用紙を埋めてゆくうち、いつしか、没入することができる」と書いている

井伏鱒二は一日のうち何時間かは必ず机の前に座ることを自分自身に義務づけていた。「ぼくは物が書けない時、ハガキや手紙を書くことにしているんだ。筆ならしが終わると、ポンプの呼び水のように筆のすべりがよくなる」と言っている。

吉川英治は「子らは皆よき母もてりこの父は机くらしの外にあれども」という歌を詠んでいる。

分野は違えど、これらの大家たちが毎日、自分を叱咤しながら自分のテーマに立ち向かっていることを知ると安心する。創作の秘密は、習慣と克己にある。