平野啓一郎『ドーン』

平野啓一郎『ドーン』をオーディブルで聴き終わった。2009年に刊行された近未来小説だ。

2033年宇宙船DAWNは、有人宇宙船として人類史上初めて火星に降り立った。6人の宇宙飛行士の中の唯一の日本人の佐野明日人が主人公。火星への道中の中で、同僚の女性をめぐる事件が起こる。船内で女性は妊娠する。医者である明日人は地球のNASAの助けを借りて火星で堕胎手術を行う。このスキャンダルは2036年アメリカ大統領選に大きな影響を与えることになる。そしてアメリカが東アフリカで行っている泥沼の紛争への武力介入ともつながる産軍複合体という化け物による大きな陰謀が明らかになる。

顔認証システムと組み合わされた防犯カメラの世界的ネットワークが、人々を支配する様子など、近未来の環視社会の様子がリアリティを持って描かれている。舞台は宇宙船の船内と近未来のアメリカだが、ストーリーの中心は、愛であり、男女関係、親子関係である。

平野啓一郎は、近代の自我を備えた「個人」(indivisual)という概念は腑に落ちないとして、他の著書で「分人」という概念を提唱していた。それ以上は分けられないという意味での個人ではなく、複数の他者と関係の中で生成し、存在する分人(ディヴィジュアル)のネットワークとしてアイデンティティを捉えようとする考え方だ。個人は他者との関係の中で生成する分人のネットワークで構成されるのではないか。それがこの未来小説のテーマとなっている。

出口や解答のない状況の中で、明日人と妻とは日本へ帰る。その到着のシーンには希望がある。平野の作品らしい終わり方だ。

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天候が悪く寒かったので、やるべき仕事を整理しながら休養。

「大全」「心の健康」「見本」「編集」「読書会」

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「名言との対話」2月25日。飯田龍太「俳句は相撲に似ている。4m55だが、丸い土俵は窮屈ではない」

飯田 龍太(いいだ りゅうた、1920年大正9年)7月10日 - 2007年平成19年)2月25日)は、山梨県出身の日本俳人飯田蛇笏の四男。

国学院大学折口信夫門下に入る。国文学者か小説家になろうとしたが、兄3人が死んだため、故郷の大庄屋飯田家を継ぐ。そして父・飯田蛇笏の俳句結社「雲母」も継ぐことになった。

代表句として私が選んだ「誰彼もあらず一天自尊の秋」に見るように、父・蛇笏は、熱いロマンチスト、傲岸不屈、そして古武士の風格があった。息子・龍太は、土着の目を意識した、そして冷え冷えとした醒めた人であった。金屏風であった父・蛇笏の高さから飛翔した龍太は父の期待に応え、1970年代は「龍太の時代」と一人の名で呼ばれるほど抜きんでた存在になった。1992年には「雲母」を900号で終刊し、俳壇に衝撃を与える。

以下、父母についての句。

 手が見えて父が落葉の山歩く

 遺されて母が雪踏む雪あかり

 遺書父になし母になし冬日

 去るものは去りまた充ちて秋の空

 父母の亡き裏口開いて枯木山

私の好きな句。

 娼婦らも溶けゆく雪の中に棲み

 どの子にも涼しく風の吹く日かな

 冬近し手に乗る檎の夢を見て

 山河はや冬かがやきて位につけり

 冬ふかむ父情の深みゆくごとく

 かたつむり甲斐も信濃も雨の中

 大寒の赤子動かぬ家の中

 千里より一里が遠き春の闇

 雪の峰しづかに春ののぼりゆく

 闇よりも山大いなる晩夏かな

 重畳の芽吹きは山の怒濤かな

 秋の蛇笏春の龍太と偲ぶべし

 またもとのおれにもどり夕焼中(最後の句)

山梨に旅して文学館を訪れると飯田蛇笏と飯田龍太親子の本や句集が目に入る。龍太は親の七光りかと思って敬遠していたが、間違いだった。龍太は蛇笏と並ぶ、いやそれ以上の俳人だった。「龍太の時代」と言われるほど、俳人だけでなく同時代の文学者たちに愛され、大きな影響を与えている。

「誰もが感じていながら、いままで、誰もいわなかったことを、ずばりと言い止めた俳句。それが名句の条件である」。龍太の指摘するこの名句の条件は、感じてはいたが表現できなかったことをずばりと断定して気持ちがいい。この条件とは、短歌でも川柳でも、そして小説でも、歌でも、すべての創作活動にあてはまるのではないか。

句作の秘訣については以下のように述べている。「私は旅をすると、ここに季節を変えて来たらどうだろうと考えることにしているんです」「射程を長くとりなさい」「俳句は季語を持つことで大衆性を獲得している、、、日本人の知恵だね」「これからの俳句に何か残された、もしあるとすれば、老境に至っての世界の新しい開眼ということになる」

以下、龍太の入論。「俳句は相撲に似ている。4m55だが、丸い土俵は窮屈ではない」「俳句は自得の文芸」「俳句は炊きたてのご飯に似ている。あたたかい味噌汁とこころのこもったおいしいつけものがあれば十分」「俳句は、名を求める文芸様式ではない。作品が愛唱されたら、作者は誰でいもいい」、、、。

日本の短歌、俳句、川柳は、それぞれの形式を持っている。その土俵の中で暴れまわるのである。両国で力士のいない土俵そのものを見た時、もっと広いと思っていた私は、土俵のあまりの小ささに驚いたことがある。日本の短詩という文学は、その制約のゆえにかえって創造性を引き出すところがある。自由律、あるいは決まった領域を持たない小説というジャンルは制約がないために、発想が自由であるが、その自由が重荷になることもある。

大きな仕事をしようとすると、組織や集団を舞台に、多くの人と一緒に仕事をすることになる。その天地は意外に広い。「丸い土俵は窮屈ではない」という龍太の言葉は、実は貴重な生き方の助言でもあるのだ。