鎌倉FM「理系の森」の2回目のテーマは「図解コミュニケーション」。日経に共著の広告。

鎌倉FM「理系の森」は、AIやロボット等の理系分野が、生活にどう関わっているか解説していく番組。

私は3週連続で登場。2週目の今回のテーマは「図解コミュニケーション」。パーソナリティは樋口一さん、顧問は高山由香さん。笑いの絶えない30分でした。

 

   

 

先週の第1回の放送がPodcastにアップされた。

第202回 久恒さん 成長は止まらない!70代の挑戦  作成者:理系の森 (spotify.com)

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日経新聞に3月末発刊の『旅は新たな発見』(日本地域社会研究所)の広告。10人の共著。私は「人物記念館の旅」をテーマに書いている。

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同じページに「旅」をテーマとした新刊がいくつか目についた。

  • 川合宣雄「旅行家とめぐる日本183村」(ごま書房新社)。
  • 桜井恒夫・藤間正博「旅鉄・ワルシャワ」(22世紀アート)。

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奈良岡朋子 に対する画像結果

「名言との対話」3月23日。奈良岡朋子「ささやかなライフワーク」

奈良岡 朋子(ならおか ともこ、1929年〈昭和4年〉12月1日 - 2023年〈令和5年〉3月23日)は、日本の女優、声優、ナレーター。

東京・本郷生まれ。女子美大卒。1948年、大学在学中に民衆芸術劇場の研究生となり1950年劇団「民藝」の設立に参加、後に代表をつとめた。

舞台をはじめ、映画やテレビにも多数出演し、ジャンヌ・モローキャサリン・ヘップバーンの洋画の吹替えをするなど声優としても活躍している。

主な出演舞台としては、『ガラスの動物園』ローラ役、『イルクーツク物語』のワーリャ役、『ドライビングミスデイジー』のデイジー役などがある。NHKでは、大河ドラマ春の坂道』、『55歳からのハローライク』他。『おしん』他のナレーションも担当している。1992年に紫綬褒章、2000年に勲四等旭日小綬章を受章。

交友も多く、杉村春子からは妹のように可愛がられ、美空ひばりとは「和枝」という本名で呼んでいた大の親友同士。石原裕次郎が「最も尊敬する女優」として奈良岡朋子の名前を挙げていた。黒柳徹子とは同期デビューで親しく、「徹子の部屋」に定期的に出演している。

文藝春秋の「蓋棺録」には、奈良岡朋子の「私生活でも主体的なこと、ノーブルで理知的なこと、常にみずみずしいこと、それとミステリアスなこと」という言葉を紹介していた。

奈良岡朋子が2013年より上演している「黒い雨-八月六日広島にて、矢須子-」は、「ささやかなライフワークとして始めた」と言う一人語りの舞台である。井伏鱒二の『黒い雨』(新潮文庫刊)をもとにした作品。毎夏のように全国で上演を重ねてきて、2019年には東京新宿、大阪、広島。2020年は下関、福岡、佐賀で公演を行っている。

黒い雨とは原爆炸裂時に巻き上げられた泥やほこり、すす、放射性物質を含んだ重油のような大粒の黒い雨を指す。「大雨地域」在住の被爆者にのみ健康診断やがんなどの特定疾患発病時被爆者健康手帳の交付を行ってきたが、その範囲をめぐっていまなお係争が続いているから、ニュースでみることがある。その動向にも影響を与えていると思われる。

自身は「ささやか」というが、その影響は小さくない。多くの作品をこなしてきた奈良岡朋子が「熟年期」の84歳でたどり着いたライフワークだ。10回続いた。命の続く限り、続けたのである。こういう仕事をライフワークというのであろう。

以下、没後に生前に残しておいたメッセージがニュースで紹介されてる。

「新たな旅が始まりました。旅好きの私のことです、未知の世界への旅立ちは何やら心が弾みます。

向こうへ着いたらすぐに宇野さんを訪ねます。もう一度あの厳しい演出を受けたいと長い間願ってきました。でもね、宇野さん、私はあなたよりずっと長く生きて経験を積んできましたからね、昔のデコじゃないですよ。「デコ、お前ちっとましになったな」と言われたくてこれまで頑張ってきたんですから。腕が鳴ります。杉村先生とももう一度同じ舞台を踏みたかった。どんな役でもいいからご一緒したい。ワクワクします。

両親に挨拶するのは二、三本舞台をやって少し落ち着いてからにします。それからは裕ちゃんや和枝さんと思いっきり遊びます。

これが別れではないですよ。いつかはまたお会いできますからね。

それでは一足お先に失礼します。皆さまはどうぞごゆっくり…

奈良岡朋子

このメッセージからは本業の延長線上に持ったささやかなライフワークも終えた満ち足りた心境を感じる。両親とともに、師匠の宇野重吉、先輩の杉村春子、友人の石原裕次郎、親友の美空ひばりの名前がでている。そして「あの世」でも舞台をやっている。あの世が実際にあるかどうかはわからないが、あると思っている方が心が平安があることは間違いがないのではないか。