午後、京都の「遊子庵」でミニ蜃気楼大学を開催。その前に、仲間の都築さんと鈴木さん(大阪在住)と昼食。
開会式:司会は田原さん。挨拶は橘川さん。私も一日学長として挨拶。
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講義タイトル:「人生計画(ライフプラン)の実際」。1時間。
久恒啓一(NPO法人知的生産の技術研究会理事長。多摩大学名誉教授)
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以下、呼びかけの文面。
あなたは、「人生計画」(ライフプラン)を持って生きていますか?
講師は47歳までの「青年期」のビジネスマン時代を経て、「壮年期」は教育者、そして「実年期」の現在は「アクティブ・シニア」として、充実した人生を送っています。
ビジネスマン時代は、「公人」としての本業と「個人」としてのライフワークを両立させるという微妙なかじ取りが必要な「二刀流人生」を送ってきました。
30歳で「一生の計画」、40歳で「30年計画」を立て、毎年の年初に立てた「計画」を実践し、年末に〇×△で総括し、次の正月に計画を立てる。このサイクルを40年以上にわたり続けてきました。マル秘であった30歳から47歳までの驚愕のライフプランとそのノウハウを公開します。
ライフプランは立てた方がいいことは分かっているが、どう作ったらいいかわからない。そんなあなたにライフプランを持つことの大事さと、血と汗と涙の匂いのする具体的なやり方の実践例を提供します。
あなたの人生は一変する可能性があります。お見逃しなく!。
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「名言との対話」6月14日。西江雅之「新聞の1面を見て、自由という単語が5つあったら、不自由な、自由のない国」
西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。享年77。
東京都出身。小学校時代にはNHKの素人のど自慢に出場し入賞する。日劇で『鐘の鳴る丘』に出演し、「鐘が鳴りますキンコンカン、、」を歌う。
子ども時代は野外で一日中過ごし、野性動植物や昆虫を食べていた。猫になりたかった西江は猫的生活を送る。その身のこなしが早大高等学院体操部で生きる。器械体操の東京地区高校大会にて鉄棒で1位となり、全種目総合でチャンピオンとなった。
早稲田大学政経学部3年の時、早大生たちによるアフリカ大陸縦断隊に参加。意思疎通の必要からスワヒリ語を研究し、日本最初のスワヒリ語の専門家となる。20代で日本初の「スワヒリ語辞典」を編む。
早稲田大学政経学部、学士入学で文学部英文科を卒業。大学院では芸術学専攻修士課程修了する。大学院時代はライシャワー大使の娘の家庭教師を務めた。その後フルブライト奨学生として渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院アフリカ研究科で学ぶ。 40歳まで定職はなかったが、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任した。
東京オリンピックの体操競技の日本代表候補となったことが示すように身体能力が高かった。また数十の言語を方言も含めて流ちょうに話すことができた。
この人間大好きの天才は世界中を旅しているのだが、荷物はビニール袋一つという軽装だった。中には財布、パスポート、読みかけの本、ノートと筆記用具だけだった。「新聞の1面を見て、自由という単語が5つあったら、不自由な、自由のない国」という西江は旅が住み家であった。
「世界は多数、地球は一つ」、「異文化理解とは、アキラメと妥協。相手と同じになることではない」と語り、「所詮人間は同じ。笑ったり泣いたり怒ったり。あり方がチョボチョボと違うだけ」であり、世界には4000から8000の言語があるように多様ではあるが、やはりみな地球人だという世界観だった。名前は知っていたが、このような奇人、天才とは知らなかった。興味が尽きない人物だ。