消防大学校で幹部科(26期)の講義


調布市深大寺にある総務省消防庁防大学校で講義。
国及び都道府県の消防事務に従事する職員、市町村の消防職員、消防団員の幹部が対象。最少年齢37歳、最高年齢53歳、平均年齢48歳。
札幌から熊本までの52名。千歳市消防本部、佐倉市八街市酒々井町消防組合消防本部、東京消防庁、、、、。
階級は消防指令が中心で、消防司令長、消防司令補。役職は、装備係長、主幹、救助係長、課長補佐、通信指令係長、警防救助係長、副所長、所長代理、、、。

消防行政の第一線で奮闘しているリーダーの方々なので、こちらも講義や実習に力が入る。

「職場で部下、上司とやってみたい」「4コマにもかからわず時間の経つのがあっという間で楽しく受講できた」「部下に実施したい」「図が個性を表すことに驚きました」「自分のチーム内において実施したい」「新しい手法に驚いています」「組織的な向上に活用したい」「実戦する」「新鮮だった」「長い間頭の思考がかたまっていて柔軟な考え方ができなくなっていたことに気づいた、少しは柔らかくしてもらった」「部下指導に生かしていきたい」「本当に貴重な時間」「部下にやらせる。頭が疲れた」「所属でも行ってみたい」「所属に帰り是非部会に実施させたい」「楽しく考えることができました」「自分に考える力がないかを痛感」「目からうろこが落ちた思い」「部下に対し教養の時間にやらせたい」「救急救命士として救急科の学生が描いた図を閲覧したい」「企業の事業構想の話をしてもらいたい」「少し鳥の目になれたような気がする」「職場で職員と共にやってみたい」「自分の弱点を発見」「自分の立場、役割、仕事を再確認、再認識」「部下指導や自分自身の教養にしたい。大変勉強になった」「周りから自分を見ていた。今後は自分を中心にまわりを見渡したい」「固い考え方から脱皮したい」「頭が少し柔らかくなった」「頭が整理された」「自署でも実施する」「驚きました」「通知文や法令の解釈等に活用」「俯瞰、鳥の目」「即、役立ちそう」

夜は、高校の同級生たちと新宿で集まった。
玄海」という1928年(昭和3年)創業の水たき専門店。戦前には頭山満広田弘毅が愛用し、陸軍が起こした2・26事件ではここで謀議が行われたとのこと。店の入り口の「玄海」は頭山の書である。また、私たちが楽しんだ部屋にも頭山の書が掛かっていた。

玄洋社という政治結社があった。「皇室を敬載すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」との三原則を基幹とした政治結社で明治12年にこの名前になった。大隈外相を襲い条約改正を葬った来島恒喜も玄洋社社員だった。玄洋社は、自由民権運動憲法の新設、国会の開設、祖国の国力伸張に奔走する。また屈辱的外交条約の破棄、アジア主義に基づくアジア民族の自決独立の援助を行う。孫文を助けるなど中国革命における玄洋社の存在は大きく第二次世界大戦終了直後まで日中平和工作を継続していた。

玄洋社の創始者の一人が頭山満である。遠山は1855年生まれで1944年に亡くなっている。「ふるさと博多」シリーズという小冊子には「無位、無冠。在野の頭領。不思議な大きなひと」との評が出ている。萩の乱連座し投獄、出獄後は板垣退助と交わる。向陽社・玄洋社を組織。福稜新報を創刊し社長。大隈外相爆弾事件にかかわる。満州義軍結成を支援。浪人会を結成し大正デモクラシーの風潮と対決。純正普選運動を展開。孫文、ボースら亡命政客を保護。戦前右翼界の長老として晩年は神格化される。

非常に雰囲気の良い店で、酒を酌み交わしながら、それぞれの近況、友人たちの情報などを肴に、愉しい時間を過ごした。